第7話 夢の入り口

 幸い、私達は学外の人間であることを伏せたまま、目的地――学生寮にたどり着く事が出来た。なぜか途中途中で生徒からの変な注目を集めていたが、それはこの女装が変だったからに違いない。


「どうですかぁ、この学校は」


 声を潜めて、エミリーは私に尋ねた。


「とても綺麗で、美しい学び舎だと思います。 ――ただ、正直に言うと、息が詰まるような感じがします」

「……あたしもそう思う。 廊下にはごみ一つ落ちてなくて、生徒さんたちの話声はすごい上品で、建物は眩しいくらいにブルジョアーって感じなんだけど」


 マナは膳板にもたれながら窓の外を眺めた。


「お城の壁に囲われているからかな。 当たり前だけど建物って壁に囲われてるじゃん、そこにさらに周りを壁で囲われるってなると窮屈に感じる」

 

 城壁は塀、協会の教会の尖塔は監視塔。隣には受刑者が逃げ出さないための断崖絶壁。確かにマナの言う通りで、外から見たらこの学校はお城のようだったが、逆に内側から外の景色を見るとまるで監獄のようだった。


「セネカ――この扉の奥にいる依頼人もあなた達と同じような事を言っていましたぁ」


 エミリーの目には寂しげな影が宿っていた。

 彼女が鍵を差し込むと、ガチャッと鍵穴の奥で音がした。窓から差し込んでいた光の影は、扉の入り口まで届いていた。

何も言わず奥に進むエミリーに続いて、私達は眠り姫が待つ部屋に足を踏み入れた。

 中央に吊るされたシャンデリアで光るその部屋の中は、外と同様に豪勢だった。さらにその普通じゃない学生寮の一室の広さは、私達が暮らす家と同じくらい広かった。それだけじゃない、上着がいらないくらいこの部屋の中は温かかった。


「……」


 私が毎晩寒くて寝付けない中、彼女はゆったり最新の石油ストーブで温かくなった部屋の中ぐっすりと心地よい眠りにつくことができるのだろう。同じ年だと言うのにこうも違うのか――これが庶民とお嬢様の格の違いか。

 胸がぎゅっとしめつけられるような気分だった。


「……そうか」


 しかし、それは私の邪推だった。眠り続ける少女に配慮してずっとストーブが付いていたんだろう。そもそもここは北国だ、ロンドンとの寒さは比べ物にならない。ストーブの常備は必然的だ。

 くだらない嫉妬心で揺れた私の心はなんと醜いのだろうか。


「どうかしたの、アニマ?」

「いや、なんでもない」


 勝手に自責の念で一杯になった私の視線は、すぐに部屋の角にあるベッドへと移った。

 そこに少女は横たわっていた。点滴台の横で、ピクリとも動かずに。鍵盤のように黒い髪をした彼女は、ほっそりとしているが目鼻立ちのきりっとした美しい顔をしていた。

 もう陽は沈みかけていて、辺りはオレンジ色に染まっていた。

「彼女が……」


「もう、一週間眠っていますぅ……  あの子――セネカを助けてあげてください!」



「――じゃあ、一旦状況を整理しますね」

「はい」


 泣きじゃくった後の彼女の瞼は真っ赤に腫れていた。横でずっと肩をさすってあげていたマナにエミリーは安心しきった様子でもたれかかっていた。それは母と子のようだった。

 私は彼女が落ち着いたことを確認すると、マナに取らせたメモを読み上げた。


「彼女はエミリーさんのルームメイトで同級生のセネカ・プルーケ。 十日前からずっと目を覚まさない。 



 最初は私をからかうためのいたずらだと思っていた。だってセネカは初等部の時からずっといたずらが好きな女の子だったから。

といっても彼女は高等部に上がってから物静かな女の子に変わった。

呑気だと思う。久々にセネカがいたずらしてくれたと思いこんだ私は舞い上がっていたのかもしれない。


「セネカ死んだふりなんかしてないで、起きなきゃ遅刻するよぉ」


 しかし彼女の体をどんなに揺さぶっても声をかけても反応が無い。そして体は動かない、ピクリとも。ただ呼吸をしているだけ。これはいたずらなんかじゃないって私はすぐに気づいた。

 私は急いで医者を呼んだ。

 ブラント先生。長い白髭を伸ばした、少し腰の曲がったおじいさん。介護の人も一緒だった。

 町でただ一人、皆から慕われる名医だ。これできっと大丈夫、私はそう思った。

 しかし診察を行った後の彼の表情は曇っていた。


「呼吸や心拍に異常は見られません、脊髄反射や脳神経も同様です。 ただ、外界との認識が途絶えられていることから彼女は植物状態にあると推察できます」


 私は崩れ落ちるように地面に膝をついた。

 植物状態という言葉が繰り返し頭の中で発せられた。

 どうして、セネカが? どうして、こんな突然に?


「――しかし妙ではあります。なぜ彼女が植物状態に陥ってしまったのか、その原因が分からないのです。 彼女の頭に目立った外傷はありませんし、学生ですから脳の血流障害による低酸素脳症が起きているとも考えにくい……」

「セ、セネカは一体何が……?」

「このコ、夢に沈んでいるんじゃねえの」


 先生の介護人――角刈りで背の高いその人はカルテを覗き込みながら、独り言のように呟いた。


「――失礼、私は縁あってブラント先生の元で働いているカイというものです。 先生、俺にはこの症状に思い当たる節があります」


 妙にかしこまった口調でカイさんはそう言った。


「続けてくれ」

「ありがとうございます。 ――エミリーちゃん、些細な事でも構ん。 最近このコに何か変わったことはあったか?」

「変わったこと、ですかぁ…… 昔は活発だったんですけど最近、というか高等部に上がってからセネカはすごく静かになりました、滅多に人と話さなくなって…… これが症状に関係があるのですかぁ?」

「……ああ、関係あるとも。 十分すぎるくらいさ」


 カイさんはそう言うと私の頭を撫でた。男の人の硬い手だった。少し恥ずかしい。


「一人、セネカちゃんを助けてあげられる人がロンドンにいる。 俺はあと数日ここで働いた後帰るから、それまでに依頼文を書いて俺に渡してくれ」

「その人の名前は……?」

「アニマ、アニマ・フェルメール。 ロンドンで夢診療所をやっている」



 ――という事があり、私のもとに依頼文が届いたと」


 外で傾いていた陽はすっかり海の底へ沈んでいた。時計を見るとまだ四時になったばかりだった。ロンドンとここでは日没の時間がまるで違う。

 室内の気温もかなり下がり、ヒーターを付けていても肌寒さがあった。改めて北国の冬の厳しさを感じた。


「家にいない事が多いから何してるんだろーとは思ってたけどカイさんてお医者さんだったんだ……」 

「まあね…… 私も未だに信じられない」


 カイは見かけや言動から色眼鏡で見られることが多いが、俯瞰してみるとカイは医者で不動産を所有している成功者である。

この事実を信じたくないというか、認めたくないけれど…… 


「とにかく、エミリーさんのおかげで私に依頼を届けた経緯とセネカさんの大まかな情報を把握できました。 ――それでは早速ですが彼女の夢に入らせていただきます。 獏や魔女の夢についてカイから聞きましたか?」

「はい、ざっくりとですがぁ…… ただ今まで御伽噺かと思っていたので正直な所現実味がありません」


 科学が進む今、加えて獏が減っている背景もあってエミリーのように私達の存在を捉える人は少なくない。


「分かりました。 ――では私達が夢から出てくるまでエミリーさんは外で待っていていただいてもよろしいですか?」

「ええ、構いません…… どうかセネカを助けてあげてください」


 エミリーは胸の前で手を合わせ、部屋を後にした。

 私とマナは夢に入るための準備を始めた。それは寝るための準備でもあった。私達は持ってきた寝間着に着替えると、布団に包まった。マナはセネカと同じベッドで、私はエミリーのベッドを拝借した。


「――本当に被れるタイプの服が好きなんだな」

「だって落ち着くからねえ」


 そう言うとマナはフードを深く被った。

 私が地味なルームウェアを着ている一方でマナはまるで着ぐるみのような犬を模したモフモフの服を着ていた。

 通りで荷物が重かったわけだ。


「今から私達は眠りにつき、彼女の夢に入る。 ……おーい、聞いてるのか?」

「……ああ、ごめん。 ふぁあ……今日一日中あるいてたからねむくって――それにしても部屋眩しくない? 明かり消さなくていいの?」


 マナは大きな欠伸をした。

 本当は私も寝る必要は無い、そのまま彼女に近づき、彼女の"本"を見ればそのまま自然と世界に引き込まれる。

 しかし私と違って力が弱いマナはセネカと一緒でまず眠りにつく必要がある。


「眩しいかもしれないが部屋の明かりは消さないよ。 夢は眠りが浅いときに見るからね」

「はあい……」

「いいか、夢に入った時私達はその世界の住人となっている事を忘れるな」 

「……それじゃ、おやすみぃ」


 すぐにマナのいびきが聞こえてきた。

 彼女が熟睡しない事を祈りながら、私もゆっくりと目を閉じた。

 監獄のようなこの場所で、年を重ねすっかりおとなしくなったセネカはどんな経緯を経て夢を選んだのか。


『――無意識下において人々は、自分のいる世界が模写象だと気づかないまま閉じこもる』


 あの日、マナが来た日、夢の中で会った魔女の言葉を私は思い出した。

 彼女との不思議な出会い以降、私は夢に入っていない。

 もしかしたらまた彼女に会えるかもしれない。


「……」


 そんな根拠の無い主張が浮かび上がる私の意識は、突然糸が切られた操り人形のようにあっという間に深い海の底へと沈んでいった。



「――きて!」


 体が揺さぶられて、目を覚ました。はっきりとは聞こえないが、繰り返し誰かが私に声をかけ続けていた。


「起きて、アニマ!」

「んんっ、マナか…… どうだ、私たちは夢に入れたか?」

「それが……」


 マナは妙に焦った顔をしながら、光の差し込む窓の外を指さした。そこはどこかで見た城壁で囲まれた学校の中だった……ってえ?


「――私達、熟睡していたみたい……」


 すぐに全身の毛穴から滝のような冷や汗が流れだした。私は寝る前にエミリーに言った言葉を思い出した。


『私達が夢から出てくるまで部屋の外で待っていてください』


 まずい。あの純粋で真面目そうなエミリーなら本当に待ちかねない。時計を見るとちょうど朝の七時を指していた。ざっと十五時間。どんだけ寝ていたんだ私達は。


「マナ、とりあえず服を着替えて謝りに行くぞ」

「わかった! じゃあこれ着なきゃね!」


 マナは制服(女子用)のシャツブラウス諸々が掛けられたハンガ―を手に、目を輝かせていた。

 


「あれ、いない……」

「流石に十五時間も寝てたら待たないか……」


 混乱がありつつも急いで身支度を整え廊下に飛び出した私たちの前に、エミリーの姿は無かった。

 昨日閑散としていた廊下には教室にむかう生徒たちで賑わっていた。


「――ねえねえ」

「――あの人」

「――だよね」


 ひそひそと何処からもなく視線と共に私達に対する囁き声が聞こえてきた。案の定、彼女たちに見覚えがない私たちは注目の的となっていた。

 私達――特に私は本来ここにいてはならない存在だ。もし私達を不振に思った生徒が一人でも教員に報告してしまったら、この部屋で待ち続ける事は得策ではないだろう。

まだエミリーとの合流は果たせていないが、人の視線を集めない場所に逃げるべきか――しかしどこに行けば?


「――ねえ、貴方たち」


 頭を抱えた私の前に、少女は表れた。群青色に煌めくその瞳は鋭く私を捉えていた。吸い込まれそうな長い黒髪、スラっと上に伸びたそのシルエット。私は彼女に見覚えがあった。

 いや、しかしそんな筈は――


「落ち着かない様子だけどどうかしたの? もうすぐ授業が始まるよ」


 まずい、とにかくここは目立たないように立ち回らなければ。

 というか私、女装しているじゃないか! 声を出したら一瞬で男だとばれてしまう……

 絶体絶命の状況に、私はだらだらと大粒の汗を流した。


「……えっと大丈夫?」


 何か返事をしなくては、口を開こうとしたその時、二割程開きかけた口はマナの手によって強引に塞がれた。


「――あの、このコどうやら喉を傷めてて声が出せないのー! あ、私達は今から保健室に行かなきゃいけないから、これで!」

「う、うん……」


 マナに手を引かれたまま、全速力で私達は黒髪の少女の元から離れていった。九死に一生。マナの助け舟によって私達は何とか難を逃れる事が出来た。 

 それにしてもいつこの口をふさいだ手を離すのだろうか? 恥ずかしい諸々以前に、息が、出来ない……


 

「――はぁ、はぁ。 い、一体いつまで私の口をふさいでんだ! 後一分くらいで死んでたよ、割と本気で……」


 走り続けた私達は、校舎の裏口から飛び出すとすぐ近くにある木の下で倒れるようにもたれかかった。

 といってもマナは息が一切上がってなく、その表情には十分余裕があった。


「……死なないよ、一分でも百分でも一日でも千年でも」

「私は化け物か……」

「アニマだけじゃない、私も、あとセネカさんも一緒」

「――どういうこと?」

「そのまんまだよ。 何分呼吸が止められようが、私とアニマ、セネカさんは死なないよ――この夢の中ではね」


 枝に止まっていた海鳥が、枯葉を落として羽ばたいた。そのこげ茶色は風に運ばれた砂をのせゆっくりと落ちていった。

 写実的、その一言では言い表せない程にこの世界は現実と相違がなかった。

 そしてそれはベッドで眠っていた少女と、声をかけてきた少女にも同じことが言えた。


「……そうか、やはり彼女が」


 ここはあの凛とした黒髪の少女はセネカだった。しかし、瞳を開けた彼女を見たことが無い私は彼女の正体に気が付かなかった。

 何より、彼女の夢の中がこの学校そのものだったなんて想像もできなかった。もしマナが気づかなければ私達はずっとこの夢の中でエミリーを探し続けていたかもしれない。

 しかし、これからどうしたものか。

 彼女を――セネカを夢から覚ますために私達には何ができるだろうか。


「アニマ、どうしようか……」

「うん…… 凄く難しいな……」


 身を切るような風が吹いた。空想世界と分かっていても肩を震わすほどにそれは冷たかった。

 その時、宙に舞った木の葉の奥から人影が近付いてきた。


「――キミたち、そんなところで何をしているんだい?」

「………⁉」


 慌ててマナが立ち上がる。しかし私はそれを手で止めた。

 ツタの伸びた校舎の壁の隣で、真っ黒な日傘をくるくるとまわしながら、制服を着こなして小柄な少女はそこに立っていた。純白の髪を揺らして、夏の夕焼けみたいに赤い瞳を覗かせながら。

 彼女がここに来るだろうと何となく感じていたからか、私は自分自身が驚くほどにすんなりと、その存在を受け入れていた。


「――お久しぶりです、イトリさん」

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