第6話 初仕事

 出発当日まで及んだ壮大な荷造りの後、一体何泊するのかという程に大量の荷物を抱えて私達は出発時間ギリギリで電車に飛び乗った。無論、原因はマナである。彼女には悪気など毛頭ないようで、何とか間に合った電車では「いい汗かいた」とまるでスポーツ選手のような事を言ってすぐによだれを垂らしながら眠りについた。


「まったく、お前のせいだってのに……」


 彼女の立ち振る舞いはまるで子供そのものだが、その天真爛漫さが、退屈しない日々を作っている事は確かだった。

 疲れのせいか、柄にもなくそんなことを考えていた私は、いつの間にか深く寝入っていた。

 ゆっくりと瞳を開けると車窓には白光する海が一面に広がっていた。

 ルイシャムからバスと鉄道を乗り換え北に直進丸一日、スコットランドの田舎町サ

ンゴモアには大都市ロンドンのような都会の喧騒は一切なかった。


「海、海だよアニマ! 久しぶりに見たなあ」

「うん」


 ぶかぶかのモッズコートを羽織ったマナは、砂浜の上をまるでステップを踏むような軽い足どりで歩いた。その姿は外套を着てはしゃぎ回る子供のようでもあった。


「あんまり遠くに行かないでね」

「はーい」 


そういえば、彼女がいたと言っていた孤児院も海の近くだった。この海の青さがどこか彼女には懐かしいのかもしれない。


「――それにしても、何もないなこの場所は」


岸に波が当たる音が響いた。

雲一つない快晴だが、遮るものが何もない冬の海岸は刺さるような寒さだ。


「こんなとこに学校があるんだか……」


 とてもこの殺風景な場所にお嬢様が通う学校があるとは思えなかった。なぜなら見渡す限り麦畑と海しかなく、人の営みを感じられるのはこの待ち合わせ場所として

指定された小さな駅舎しかなかったからだ。


「いつくるんだろーね、依頼人さん」

「さあ…… もうそろそろ来てもおかしくないと思うんだけど」


 約束の時間は十三時。休み時間の間に来ると手紙には書かれていた。しかしもうその時間を半時以上過ぎている。

 カイにガセネタを掴まされたか?


「ここらに宿は無さそうだし、あと一時間待ってこなかったら引き返すか――」

「その必要はなさそうだよ」


 マナはそう言うと麦畑の間に伸びる小道を指さした。その先には私達に向かって手を大きく振りながら、近づいてくる少女の姿があった。


「す、すみません遅れましたぁ!」  

 


 三十分遅れでやってきた依頼人のエミリー・アレクサンドラは華麗、美麗、綺麗――そんな言葉が似合う美しい少女だった。彼女は腰までまっすぐな金色の髪を伸ばし、ドレスのように制服を着こなしていた。年は私とマナと同じ十六歳。だがまるで背中に定規を差し込んだように真っすぐと伸びた背筋、そしてそれによって強調された胸部――立派な体つきで、制服を着ていなければ彼女は私達よりずっと年上の女性に見えた。

 軽く自己紹介を済ませた私たちは道案内する彼女を先頭に学校のある岸に向けて、木々に囲まれた小道を歩いていた。


「本当にすみません、ロンドンから来ていただいたのに私が遅れてしまってぇ……」

「いえいえ、気にしないでください」


 エミリーは急に担任に頼み事を押し付けられ、遅れてしまったそうだ。そしてそのせいで時間があまり無いらしく、仕事の詳細は目的地に着いてからされる事になった。


「……」


 それにしても、マナのこのテンションの下がりっぷりは一体何なのだろうか……

マナはなぜか、さっきまではっちゃけていた彼女はどこに行ったのか、ずっと曇った表情をしていた。


「どうした、顔色が悪いよ? ――もしかして初めての仕事で緊張してるの?」


 違う、マナは首を横に振った。

 

「……ね、ねえアニマ。 あのコ本当にあたし達と同い年なの? ――あたしのよりずっとでかいんだけど……」


 マナは悲壮な表情をしたまま自身の胸を揉み私にそう言った。

どうしていつもマナはこう、無自覚というか無防備なのだろうか……


「――あれは規格外、だね」


 別にマナは小さくない、むしろ大きい部類だ。それだけあのエミリーが持つものが異常だった。

 歩くたびに上下に揺れる、マナの二倍はありそうなそれはまるで生き物のようだった。


「……あ、あのう。 さっきからお二人の視線が怖いんですけどお……」

「い、いえ何でもありません――」

「何でそんなおっぱいが大きいんですか⁉」


 一瞬で場の空気は凍り付いた。遠くから鳥の鳴き声が良く聞こえてきた。

 超直球! 私達の疑問を隠す事なくドストレートにマナはぶつけたからだ。

 そうだ、マナは無自覚でも無防備でもない。ただのアホだった。

 エミリーはみるみるうちに顔を真っ赤にさせた。


「へ? ……ってえええ⁉」

「バカ、お前は常識が無いのか⁉」

「痛っ――頭殴んなくたっていいじゃんか! あと馬鹿っていう方が馬鹿なんだぞバーカ!」


 ガキかお前は。


「あ、あのう…… マナさんだって十分大きいと思いますう…… その、大きくても邪魔なだけですし―― ってひゃあああ⁉」

「邪魔なだけですしい、じゃないよ! なんだよ語尾伸ばすだけじゃ足りなくて乳伸ばしたんか? 恵まれてるやつは幸せだなあ、ああん? こうしてほしいのかおい!」

「ひゃ、ひゃああ⁉」


急に語気が荒くなったマナはエミリーの体に後ろから抱き着いて、その体をいじくり回した。そして抵抗するエミリーは動こうとするたびに弱弱しい声を上げた。


「やめろ悪漢かお前は!」


 私は暴れる獣をエミリーから引きはがしもう一度その頭を殴った。エミリーは涙を浮かべながら私の背中に隠れるようにしがみついた。


「マ、マナさん…… こ、怖いですう……」


 この仕事、何だか嫌な予感しかしない。



 小道のさらに奥、更に緑が濃ゆい森の獣道を進むと、木々の隙間から急にその建物は表れた。そこにはカトリックの教会のように大胆で豪華な造りをした複数の校舎が立ち並んでいた。後ろからでもその規模の大きさは伺えた。


「すごいね、アニマ……」

「うん…… まるでお城みたいだ……」

「ふふ、実際にこのカラデール女学院はかつてここにあった領主のお城を改装して建てられた学校なんですよぉ」

「なるほどね…… どおりで校舎が城壁に囲まれているわけだ」

「エミリーさん、それであたし達はどこから入ればいいのかな? どうやら入口は見当たらないけど……」


 確かに、壁とその奥の建物は見えるがその入口は見渡す限りだとどこにもなかった。


「いえ、ここにありますよぉ」


 そう言うとエミリーは壁にもたれて置かれていた大きな木の板を横に動かした。すると、錆びた鉄の扉が現れた。

 私はなぜかこの景色をどこかで見た事があるような気がした。

 エミリーは鞄から鍵を取り出し、鍵穴に差し込んだ。すると、ガチャリと鍵のまわる音がして、重たい扉がゆっくりと開いた。


「――着きました、ここが校舎の裏口ですぅ。 私は先に入って人が入ってこないか見ておきますので、お二人はここで――これに着替えて待っていてください。」


 エミリーは鞄から服を取り出すと、厚い扉の奥に消えていった。それは二つとも彼女との来ていた制服と同じものだった。


……二つとも?


「ちょ、エミリーさん⁉ なんか私の服間違ってないですか⁉ これ女性用ですよ!」


 私は急いでエミリーが待つ扉に向かった。しかしマナに両手が抑えられ遮られた。


「何やってんのアニマ! 郷に入っては郷に従えって言うでしょ? ――そういう事だよ、うん」

「どういうこと⁉」

「まあ、偶然にもアニマの髪色に合ったウィッグがここにあるわけだし――」


 そう言うと不敵な笑みを浮かべながら、マナは目を光らせ獲物をしとめる猛獣のように私に襲い掛かってきた。


「諦めなさーい!」 

「うわあああ‼」



「なんだか、スカートの下が凄くスース―する……」


 無理やりマナに女装させられた私は初めての体験に戸惑いを隠せずにいた。

 しかし困惑している私を他所に、なぜか女性陣は楽しそうに目を輝かせていた。


「アニマさん―― すごく、すっごく、似合ってますぅ!」

「ど、どうも……?」

「ふふん、うちのアニマならざっとこんなもんよ」

「どうしてお前が得意げなんだよ! ――それにしても、なんで私が女装しなきゃいけないんですか?」


 私は恐らく犯人だろうエミリーを見た。しかし彼女はきょとんと、首をかしげた。


「あれ、依頼文にこの事は書いていたのですがぁ…… 低身長でなで肩で女装が似合う殿方の獏を募集って」


 そうか、カイのやつ……


「……いえ、すみませんそうでしたね。 うっかりしていました。 ――でも私が女装しても秒速でばれてしまうと思うのですが…… って痛⁉」


 エミリーは鼻息を荒くして私の頬を思いっきりぶったたいた。


「っふん! 私言ったじゃないですかぁ、似合ってますよぉ、アニマさん! いいえ、アニマちゃん!」

「ちゃん⁉」


 おっとりしていた気品ある彼女は何処やら、急に感情が高ぶった彼女に私は思わずたじろいだ。


「この学校は十代の男性は絶対に入校が許されないのです。 だから、アニマちゃんみたいな殿方は本来入れないのですぅ」

「――そこで女装ですか」


 その通り、とエミリーは指を立てた。


「カイさんに頼んで正解でしたぁ。 イギリスに女性の獏さんはもういないのでぇ、女装が出来る殿方の獏を捜していたんですぅ」


 私はいつ女装オッケーな獏になったんだ。頼んだら断る事を見越して女装の件を伏せていたに違いない――そして奇跡的にウィッグを持ってきたマナは飯に釣られて裏でカイと結託していたに違いない、というかこれは間違いない。

 現にマナはそっぽを向いてわざとらしく口笛を吹いていた。


「はあ…… とにかく、先に進みましょう」

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