第11話 異国のお城


深い深い霧の森。

迷ったら空を見上げてごらん。

灰色の城が目印だ。

そこはヴォレフのお城。

坂道をのぼって、のぼって、のぼって、ようやくたどり着く。

ただそこに行くのはおすすめしない。かの城は目印。

不用意に近づけば貪欲な狼たちに食われてしまう。

だから、一刻も早く森を抜けて、抜けて帰ろう、さもなければ狼たちに食われてしまう。


――そこに着いてしまえばもう出られない。



御者が口ずさむ物騒な歌。

緩やかな坂道をずっとずっとのぼった先。馬たちは最後の方には息を切らす。ヴォレフ王国城。数えきれないほどの尖塔が立ち並ぶお城。それは大きいものから小さいものまで様々で近くで見ると、どこもかしこも細かな彫刻が施されている。

ラーナ達が到着したころには森に深い霧が立ち込め、まるで雲の上に立っている幻想的な城であった。しかし、美しい見た目と裏腹に到着早々――幽閉されるのだった。


数多の尖塔の一つ、王の間とは反対にあるそのてっぺんにラーナとカインはいた。今日で十一日と過ぎた。

部屋から出ると、塔の周りをぐるりと囲む外階段がある。私は手すりの向こうを覗き込んだ。あまりの高さにくらっと目がまわる。下から吹き付ける風。その時、足音が下から聞こえて振り返った。

不機嫌そうなメイドが息を切らせながら手に銀のトレーを持っていた。

「あ、ありがとう」

「ふん」愛想悪くすぐに下に降りていった。私はすっかりあのような態度になれてしまった。あの人はずっとマシで、私を見て唾を吐きかけた騎士もいた。

「全く。あの女は毎度、毎度、階段を私たちなんかのためにのぼらされるのに文句を言っているがな。ここに閉じ込めたのは奴らの主だということを忘れているのか」

ここ二週間の監禁のように近い生活にすっかりやさぐれたカインが呟いた。髪の毛もぼさぼさでシャツがはだけている。酒瓶を手に――悪態をつく。

貴人というわりには捕虜。捕虜よりは多少ましな待遇。手紙も出してもらえない、ずっと見張り尖塔の部屋に閉じ込められている。抜け出そうにも階下にはずらりと騎士たちが待ち構えている。

「ふん、見張り塔を我々に占拠されて敵の侵入に気付かず滅びてしまえばいい」

「お兄様っ、なんてことを言うのですか」

「――すまない、ラーナ......」

カインはトレーを受け取ると、疲れ切った顔で部屋に戻っていった。

「お兄様って意外と――繊細なのかしら」

城は山にあり、ここからでも海は見えない。私はふうっとため息をついた。

びゅうびゅうと吹く風。カインは慣れない気候のせい――と調子が悪そうだった。

「お兄様のお城は海にあるっていっていたものね。山の空気がダメみたい」

サラサラとひんやり冷たい灰色の石で出来たお城。とっても綺麗で豪華なのに、住む人々が心の冷たい人で悲しかった。山の中だから風も冷ややかなのだ。

「だからみーんな心の狭そうで意地悪な人ばかりなのかなぁ......」

「ラーナ......風邪をひくぞ......」弱々しいカインの声が扉の向こうから聞こえてきた。

「まだ外見てるっ!」「ほどほどにしなさい」もごもごとこもった声が返ってきた。

カインに元気がないとこっちまで元気がなくなってくる。かといってすることもない塔の上は退屈極まりなかった。

「はぁぁ、鳥さんは他の監視塔の人に撃たれちゃうし――本当、綺麗なお城なのにもったいないっ」

糞で汚れるのが嫌だからと撃ち落とすらしいが、血で汚れるのはいいのか。この国の人の考えは一生かけても分かりそうになかった。

私は部屋にあった望遠鏡をポケットから取り出すと覗いた。

――っ!?

「げほっ、げほっ」

「ラーナッ!?」

私は驚きのあまりむせた。心配して飛んできた兄に望遠鏡を渡して指さした。

「どうしたんだ、ラーナ」

「変な人達がいるんですっ、なんか怪しい格好で斧とか、怖そうな武器をたくさんもった人達ですっ」

「何だとっ」

カインは望遠鏡を覗き込んだ。そのまま呟く。

「あれはヴォレフを悩ませている、黒狼の盗賊団だな......ロウルフは国内で王家に対しての不満が高まっているからいつ襲われてもおかしくないと報告を受けていたが」

他の見張り塔は気付いていないようだった。もしかしたら他には死角になるような位置に行軍しているのかもしれない。

「お兄様、他は気付いた様子がありません」

「あ。ああ......」

兄は望遠鏡を置くと、盗賊団のいる方を食い入るように見つめる。そのまま瞬き一つしないで私の顔を覗いた。その時のカインの顔は薄ら笑っていた。ぞくりと背筋が凍った。カインは地べたに座ると、のんびりと語り始めた。

「いくつか、考えたのだが。このまま伝えなければ城は混乱するだろう。私たちのことなんて忘れて脱出できる。あの王の事だ、真っ先に安全な場所に逃げるかもしれないから追いかけるのもありかもしれない」

なぜ平然と言ってのけるのか、私は分からなかった。もしかしたら人が死ぬかもしれないのに息が苦しくなった。

「もう一つは、知らせる。元々見張り塔だから信号弾はある。やつらが使う色の意味も知っているし――彼らに心があるなら私たちを国に返してくれるかもしれない」

「――お兄様はどちらがいいと思っているのですか」

カインは迷いなく「前者だ」と答えた。一番確かなのはその通りなのだ。ヴォレフ王は会うなり「どんなことがあろうとも返す気はない」と言い切った。私は手汗でびっしょりになったスカートを見た。このままでは目の前で、自分たちのせいで人が死んでしまう。少なくとも質素ながらも彼らはまともな食事を運んできてくれたのだ。

「お兄様、ごはんです......」

「う、ん?」

カインの腕を鷲掴みにして引っ張った。

「ごはんをくれました、閉じ込められはしたけどまだ生きています。彼らに人の心というものはあるのです。だから......」

「ラーナ、私は君に唾を吐いた騎士も汚らわしいそうに睨むメイドも盗賊団をあそこまで巨大にさせる国もなくなってしまえと思っているんだ」

なんて淡々と語るのだろうか。冷たいまなざしに気圧されそうになって首を振った。

「やっぱり駄目ですっ、お兄様、どうかお願いします......」

「......」

長い沈黙だった。

カインは重たそうに起き上がると、深くため息をついた。前髪をくしゃっとすると言った。

「おいで、結構距離あるから平気だろうが矢だの大砲が飛んできては大変だ」

私たちは部屋に戻った。カインはどこからか何かを持ち出すと、窓から放り投げた。

――パーンッ......

乾いた音が空から聞こえてきた。

――バタ、ドヤ、ドタ、バタ。

騒がしい人の声がここにまで聞こえてきた。カインは再び窓に放り投げて、パーンッ、パーンッと乾いた音がした。

「敵襲と、位置を知らせるものだ」

――ダーンッとけたたましく扉を開けてやって来た騎士。

「貴様らッい......」

カインは椅子に優雅に座ると、窓を指さし望遠鏡を放り投げた。

「愚かな狼。外を見てみるがよい」

カインの覇気に負け毒気を抜かれた様子の騎士。カインを警戒しながら窓に近づいた。

「くっ、別に何もしないぞ」

がしゃっと兜を開けると、ちょび髭の厳めしい顔の男が顔を顰めた。

「何をしている、この間も刻一刻と国は危機に瀕しているぞ」

騎士は今にも嚙みついてきそうな犬のように犬歯を覗かせる。

――ようやく望遠鏡を覗き込んだ。

そして間もなくして望遠鏡を放り投げて「なんてことだ!!」と悲鳴を上げた。

一瞬、カインが足をかけてぐしゃっと鈍い音に、私は思わず首をすくめた。すぐに立ち上がると、つんのめりながらも部屋を慌ただしく出ていった。

「はぁ――ラーナ、私の妹はなんて寛大なのか」

混乱の最中、騎士から奪った剣を手の中で弄びながら呟いたカイン。

「お兄様が完全に壊れてしまった」どこかいつの日か読んだ本に登場した「暴君」という王様を思い出した。

「ふふ、でもちょっとすっきりしたかな」

そういう割には顔は怖いままだった。

――カーン、カーン、カーン......ようやく城の鐘が鳴り響く。

そのころには敵が城壁を上って来ているところだった。私が椅子にのって窓から覗いていると、急に宙に浮いた。

「あれっ!?」

「物騒なものを見てはいけないよ、さあ。そのうち来るはずさ」

カインの言葉通り再び慌ただしい足音が聞こえ、誰かが飛び込んできた。

――燃えるような赤い髪。

「どうされましたかなラドリー殿下」

ラドリーはすっかり気が動転しているようだった。息荒く、恐怖と困惑が混じった目で私たちを見ていた。

「どうしてだ、お前ら......」

「っふ、なんのことでしょうか。もしホウェイルのくせに知らせたんだということでしたら、貴国と違って寛容で寛大な人間性なのでとしか言いようがないですね」

私はやけに饒舌なカインに戸惑ってぺちぺちと頭を叩いた。

「私は至って冷静だよラーナ。ただちょっと愉快な気分でね」

「もうっ、お兄様が壊れてしまったのはラドリー王子のせいですからねっ。どうしてくれるんですか」

「な、なぜ俺が関係あるのだ」

高笑いするカインなんて完全におかしくなっている。ラドリーは「狂ったのか」と呟いた。

私は降ろしてもらうとラドリーに詰め寄った。

「今すぐ、私たちを返してくださいっさもないと......」

「さも、ないと......?」

じりじりと後退するラドリー。初めてあったときの威勢はどうしたのか。完全に弱腰であった。

「成敗しますっ」

「せ、せいばい?」

「ぷふっ」カインが後ろで失笑する。きっと今頃、肩を震わせて笑いをこらえているに違いない。

私たちを戸惑いながら視線を交互に何度もうつすと、頷いた。

「わ、わかった。プリンセス......城から出る道を教える、ただこっそりと出ていってほしい。父は君たちを絶対に出す気はない。戦争の大事な駒らしいから」

くるりと背を向けると、階段を降りていった。殊勝な態度にぞわぞわっと鳥肌が立った。

「ラドリー王子様も壊れた?」

「良心の呵責に悩まされているんだよ。ホウェイルを『悪』とどっぷりと教えられたラドリーは困惑しているんだ」

「ホウェイルと仲が悪いのは人魚のせいなの?」

「うーん、いいや。始まりはほんの些細なことさ。元々二国は大の仲良しだった。ホウェイルが人魚と関わってからかな。王の話は美しい人魚達の歌ばかりになってヴォレフは友を惑わした人魚たちに嫉妬したんだ。怒りや嫉妬の感情を敏感に読み取る人魚たちに報復されて、関係は泥沼化。そのうち人魚を擁護するホウェイルを敵だと言い出してね――ックス。馬鹿らしいだろう」

「――三人、仲良くできればよかったのにね」

「そうだね、その通りだ。ラドリーは意外と悪しき因縁を断ち切るきっかけになるかもしれないね」

カインは久しぶりに優しく語りかけ、頭を撫でてくれた。手を繋ぐと、雲にも手が届きそうなほどに高い尖塔の階段を降りていった。下まで降りると、憂いを帯びた顔で待っていたラドリー。「こっちだ」そう言うと、近くの部屋に入った。大きなタンスを横にずらした。ぽかりと開かれた口。ランプを持ったラドリー。

「山の下まで降りて外に出られる」

私はもう一つあったランプをとった。

まるで冒険のようでほんのちょっぴりワクワクした。

「何だか、探検隊のようですね」

「ラーナ、もしかしたら罠があるかもしれないから奴の後ろについていきなさい」

「へッ!? そんな物騒なもんねえよっ」

「っふ。ヴォレフの城は貧弱だな」

「――やっぱりホウェイルはヤバいところなんだな、違いない」


暗い廊下を進み、下り、下り、現れた木の扉。光が漏れて、涼しい風が吹き込む。


「なんだろう、すごく懐かしい風......」


「風の精が戻って来たんだ。もう、きっと危険はない」


扉の先の日々は様変わりした。今までの自給自足の生活ではない。しっかりと宿で休み、ごはんを食べ、出発する。現地に詳しい人間がいる快適な旅。「無礼な扱いだった」ともらった謝礼金で観光客の様な旅を「二人」は楽しんだのだった。







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王様と人魚のお姫様ラーナ 紬木海花 @tsumugi_uka

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