第10話 通報


 私はカインにゆすり動かされて目が覚めた。切羽詰まったような顔をしていて、見間違いかと思って目をこすった。カインは必死に何かを叫んでいる。

「ラーナっ、ラーナ目を覚ますんだッ」

「ふぁあ......どうしたんですか、お兄様......」

 朝の心地よい日差しとは似合わないカインの様子に首を傾げた。カインはベットから飛び出すとマントを羽織って派手なジャケットをバックに詰め込んだ。それでも汚れに汚れても質の分かるズボンに丈夫そうなブーツ、高貴な顔立ちがカインの非凡なる姿を隠しきれていない。

 私にもグルグルとマントで巻きつけると横に抱え込むようにして持ち上げた。

「うぅ!?」

「すまない、少し耐えてくれ」

「突然どうしたのですか!?」

「あの人がいないんだ。周囲を見渡してもどこにもいない。どうやら昨夜から姿がないようなんだ。外に馬が繋がれていたのを覚えているか。糞も冷え固まって新しいものはない。昨日私たちが来た頃から変わっていないんだっ」

 ――ダン、ダン、ダンッ!!

 カインは何段も飛ばすように階段を降り、扉を蹴り破って外に出た。何もそこまでしなくてもと言おうとしてもお腹にぎゅうっと力がこもっていて何も言えない。

 ――すんすん、この匂いは......

 外を出る瞬間に鼻をかすめたシチューの香り。

 昨日の味を思い出していると、突然カインは足を止めた。

「むぐぅっ」

 地面に降ろされる。足から伝わる振動。

 ――ガチャ、ガチャン、ガチャ、ガチャン......

「あ、あの音......」

 私はその音に覚えがあった。怖くて恐ろしい足音。それが一つ二つではない。金属か擦れて出る音が重なり合って、喧しくけたたましく響く不協和音。恐ろしい死の気配を感じさせる臭い。じゃりっという地面をえぐる大きな足跡。重たそうに、どこか機械仕掛けの人形のようにぎこちない制限されたような動きでやってくる者たち。

 全身を黒い鎧で身を包んだ――騎士たちだ。

 ぞわぞわっ――全身に鳥肌が駆け巡った。

 私の村では彼らが来るときは一つしかない。罪人を処刑しに来るときだけだ。一定量の作物やお金を支払われなかったもの、逃げ込んだ盗人。領主の物を持っていた者。領主の手先である彼らは人ではないみたいに簡単に人を殺す。

 それがぐるりと隙がないぐらいに小屋を囲んでいた。カインはグッと歯を食いしばっていた。繋いだ手から震えが伝わった。私がぎゅっと握ると、カインは急に緊張を解いた。

 騎士は武器も構えないでただ囲っているだけ。

 カインはしゃがみ、私の目を見ると言った。

「ラーナ、ここはあまり仲良くない国なんだ。そしてこの騎士たちは......」

「やぁぁっ久しぶりじゃーねーか。お隣さーん」

 若い男の鼻にかかったような声が辺りに響いた。

 さっと割れた道からやって来る青年。真っ赤な赤髪に僅かに開いた口から覗く鋭い犬歯。傲慢で意地悪そうな顔に藍色の目が面白おかしそうにらんらんと光っていた。煌びやかな服を纏って、不自然なほどに胸を張って大仰な手振りでやってくるのだ。まるで舞台の役者のように大きな仕草。カインを超える派手な格好にも関わらず、どうして優雅さがないのか。ガスっと杖を地面にさすと体重を片足に傾けた。金色のネックレスをグルグルと指に巻きつけながら上から目線で言った。

「おーや、おや。今日は随分と変わった格好をしていらっしゃる、カイン殿。それにそこの小汚い小娘は何なのだ。お前にべったりという男勝りな婚約者はどうした」

 きょろきょろとわざとらしく大げさに辺りを見渡す青年。

「おーいない、いない、いない。ついに捨てたのかな」

「相変わらずだな、まともな挨拶も出来ない」

 とげとげしく返したカインはすっと立ち上がると、冷笑した。彼は怯むと、気を取り直すように私を卑しいものを見るような目を向けた。

「なるほど、そういう趣味をお......」

「私の妹です。これ以上の侮辱はやめてもらろうか」

 毅然とした態度で言い放ったカインに青年は面白くなさそうに眉をひそめた。

「威勢がいいな。他国でこんなに囲まれているっていうのに」

「ふんす」とため息をつくと、騎士たちが一斉に威嚇するように足を踏み鳴らした。

 ――ドン、ドン、ドン.....ッ!!

「まあ、まあ、まあ、まあ」

 青年がわざとやらせたのは一目瞭然だった。なだめるように手を動かすと言った。

「諸君やめたまえ、相手は『親愛なる』隣国の王子とプリンセスじゃないか」

 けたけたと小馬鹿にするように笑い始めた。私は一目見た時から嫌いだったがさらに嫌いになった。カインの後ろから睨みつけた。その瞬間、にぱっと顔が半分に割れそうなほど口を横に開いて笑った。目はギラギラと不気味に輝いている。さっと視線を遮ったカインの手をぎゅっと握った。

「ところで何のようでしょうか、我々はあと五日もすれば『無事に』国に帰れるところだったんですかね」

「ええっ!? まだそんなにあるの~っ」

 草をかき分け人のいない道を進むこと五日。飲み水や食べ物は自然任せ。カインに野営の知識があり、無理のない速度で進むったって、いくら貧乏暮らしであった私でも限界を感じていた。

「ふん、たわけ。徒歩ならさらに五日。いや、十日といったところか。馬車じゃあるまいし、小さなプリンセスの足じゃあもっとかかるだろう」

「う、うそぉ......」

 私は絶句した。青年は前髪をかきあげながら言った。

「安心させるために嘘をついたのか、君はとってもお優しい兄だったようだね。お、に、い、さま?」

 カインのこめかみがぴくぴくと痙攣している。

 ――いたっ......。

 涙が出そうなほど強く握られて反対の手で袖口を引っ張った。

「ねえっこの人は誰なの。どうして王子様のお兄様に対してあんな態度なの」

 私の質問は聞こえていたのか、青年が私に近づき――睥睨した。さらに上半身を後ろに逸らして威圧感たっぷりと口を開いた。

「あぁ初めましてだ。行方不明のプリンセス。俺はヴォレフ王国の次期国王っ、ラドリー・ブラントン・ヴォレフであるッ」

 偉ぶった態度もここまでくるとあほらしく、どうしても小物感の否めない口上。カインが私の背をとんっと押した。

『あ・い・さ・つ』確かにそう口が動いた。

 私はキーラに教わった貴族の挨拶というものを思い出した。初めから上手くて出来ている褒められた挨拶。すうっと片足を内後ろに下げた。そして体は真っ直ぐ。膝を曲げた。そして相手を真っ直ぐに見つめてはきはきと名乗る。

「私はラーナです、ラドリー王子様」

 むっと口を閉じたラドリー。私が挨拶も出来ない小娘とでも思っていたのだろう。僅かに驚いた様子だった。カインが私の頭に手を乗せると言った。

「我が妹のラーナ・ホウェイルだ」

「むぅ、ちびっこいな。十三歳じゃなかったか。こいつ――失礼、ラーナ殿は確かに姫らしいそれである。今までどこにいらっしゃったのか」

 品定めするようにジロジロと見つめてくるラドリー。

「ふむ、身綺麗にすればそれなり......?」

 羽虫のように目障りなその視線に、睨みつけながら言った。

「女の人を不躾に見るのは良くないって私は聞きましたっ」

「おやっ」大げさに驚いて見せると、私を指さして「子ネズミ」と呟いた。

「まさしく、色もそんな感じじゃないか。くく」

 腹が立ってしょうがなくて、拳を握りしめた。騎士たちがいるのも忘れて振り上げたところでぽすっと大きな手に包まれた。

「ラーナ、彼と会話するのは時間の無駄だ。要件を言え」

 静かで落ち着いたカイン声にすーっとゆっくりであったが気持ちが落ち着く。

「ふんっ相変わらず、せっかちで気に食わないホウェイルらしい男だな」

 ラドリーがくいっと中指を動かすと、泊めてくれた女の人が奥から引きずられどさりと地面に倒れた。あまりなぞんざいな扱いに「あっ」と悲鳴を上げた。ラドリーはたっぷりと皮肉の含んだ調子でこう言った。

「実はあのご婦人から知らせを受けたんだ。まるで、人魚のような男と女がいるってね。ほうら知っているだろう。我が国は奴らに散々――煮え湯を飲まされている。黄金と引き換えにと人の女や男なんか要求したり、船を守れと言ったのに逆に転覆させるのだから。それと海の女神様を困らせているんだってな」

 それにとげのある言い方で返したカイン。

「ふん、一部の人魚達が起こしたことだろう。全てを悪い風に言うのは感心しない。そもそも貴国らは初めから人魚なんぞ信用していなかったように思うがな――よく言うよ」

「くっく、確かに相応しくない表現だったな。我々は初めから人魚を『人』としては扱っていないのだから」

 杖を持ち上げてせせら笑うラドリー。カインは薄笑いを浮かべると、ただ無言でラドリーを見ていた。私はカインが船で剣をぶら下げていた場所に手を置いたのを見てぎょっとした。剣がなくてよかったと――心臓がドキドキとした。

「まあまあまあ、そんなことはどうでも良いんだ。さて良い仕事をした女は晴れて人魚疑惑がなくなり村で住むことが許される。そして、本当の人魚ではないのは残念だが――他国の貴人を迎えられて俺は嬉しいよ、それも二人ね」

 ラドリーは握手を求めるように手を伸ばした。カインはただ静かに冷然とした笑みを浮かべるだけで手を出す気がないようだ。一触即発といった空気に冷や汗が流れる。このまま無視したらどうなるのか――私は考えるの恐ろしくて、手を伸ばした。

「よろしくお願いします、ラドリー王子様」

「――ああ、プリンセス。歓迎しますよ......」

 ラドリーは私たちに背を向けた。手袋を摘まむように取ると、近くにいた騎士にぽいっと放り投げた。そのあまりにも辛辣すぎる態度にずきりと胸が痛んだ。私たちは歓迎されていない。あそこまで開けっ広げに拒絶されたのだ。容赦なく、完全に一線を引かれた。彼らとの前には絶対に埋まることのない深い深い谷がある。一人の騎士が代表して進み出てきた。


「ヴォレフ王城へとご案内します......両殿下」


 こんなにも嫌そうな案内の言葉、私は生まれて初めて聞いた。嫌々仕事をしているパン屋のお兄さんの方がまだマシ、そんな声をしていた。






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