第9話 人里離れた小屋
小さな小屋から立ち昇る白い煙。ぎゅるるっとお腹がなってよだれがたれる。傷だらけの手の平。重だるくて動きそうにない足。ぽけっといっぱいに詰め込んだ赤い小さな実は腹を満たしてくれない。草むらから物欲しそうに眺めていたラーナ。
再びぐるるっと鳴ったお腹をさすった。空腹には違いないがそこらの雑草を食べるほどには飢えていなかった。
――ぎゅるる......ぐるるる......
腹の虫が収まりそうにない。
香ばしい香りが再びラーナの鼻孔をくすぐった。
すっかり感情の抜け落ちた目をすると、ぶちっと草を引きちぎり――口に突っ込んだ。
「苦ーいっ」
「はぁ、やめなさいラーナ。そんなもの食べてはいけない」
頬を横にびよーんと伸ばし、口の中の雑草たちを放り投げていくカイン。
「まるでお母さんみたい」
「私は常々、人らしさがないと言われたがね」
カインは四日ですっかり元の調子に戻ったようだった。ぐるるっと再び鳴った私のお腹を見る。呆れた顔に額に手を当ててため息をついた――顔が熱い。
「人里離れているのだ、きっと訳ありに違いない。だが期待するなよ」
カインはどこかの村から盗ってきたというマントで私をグルグル巻きにした。カインが言うにはとっても目立つ容姿で攫われたら大変だから、らしい。母と同じような事を言っていた。最近は、昔の母の姿とカインが重なって見えていた。本当に兄ならば似ていて当然なのだろうが、「兄」と呼びながらもどこかそう思いたくない自分がいた。
――もし違ったら......?
素敵な兄妹がいるというのはどんなに素晴らしいだろう。
私は感傷的な気分で草むらでじっと身を潜める。
遠くでトントンっという扉をノックする音。反応がないのか、何度も音が聞こえた。
「誰もいないのかな、でもとっても美味しそうな匂いするのに......」
私は顔を覗かせた。
とんっと何が肩に触れた。反射的に草むらに突っ込む。抜け出せなくてばたついていると誰かが引き抜いてくれた。カインが戻ってきたのだろう、お礼を言おうと――振り返って悲鳴を上げた。
「だ、だれ!?」
目の前には知らない、初老の女性が正座で首を傾げていた。しいっと親指を立てると、カインを指さした。
声をひそめる。
「あの、誰ですか?」
女の人は悲しそうに微笑んだ。そして口を指すと首を左右に振った。
「声が出ないんですか?」
こくんと頷いた女性。立ち上がると私に向かって手を伸ばした。私は悪い人じゃない気がして手をとった。すると女の人は嬉しそうに微笑んだ。髪の毛を愛おしそうに触れる。
「......」
玄関にたどり着くと、カインは警戒したが私の顔を見て緊張を緩めた。女の人は扉を開けると家の中を指さした。カインは迷いながらも部屋へと入っていく。女の人はぎゅうっと固く私の手を握っていた。彼女に手を引かれるまま、こじんまりとしたリビングに案内された。どこかに消えるとそれぞれ別の器に盛られたスープがあった。コップや、丸い皿に平たいお皿。きっとこれしかなかったのだろう。
女の人は戻ってくると手に紙を持っていて『召し上がれ』と書いてあった。
私たちは顔を合わせると頷いた。海岸沿いにも関わらず魚の使っていないスープ。空腹だった私たちはかきこむように食べた。女の人のメモには『おかわりは』と書かれていた。
私は迷いなく叫んだ。
「おかわりお願いしますっ――あ、ええとメモ、メモ」
「ラーナ、この方は声が出ないだけで耳は聞こえるんだよ」
「あ、そっか。ええっと、気を悪くしたらごめんなさい。ごはん、すっごくおいしいです」
女の人はこくんと頷くとお皿を持って奥に消えていった。そして戻ってくると近くの椅子に座って私たちが食べるのをずっと見つめていた。
「ごちそうさまでしたっ」
「ごちそうさまでした。私たちは手持ちがなくて申し訳ありませんが......」
カインがブローチを外そうとしていた時、女の人は新たにメモをひっくり返してみせた。
『お礼はいりません。人と出会えただけでも私は嬉しいです。よければ今夜泊っていかれるといいでしょう』
「えぇ、本当にっ」
『はい』
「お兄様、そうしましょうっ。外はべたべたで虫がいます」
『ぜひ、お風呂も使ってください』
カインは聞き分けのない子供をなだめるように私を見たが、結局折れて泊ることになった。
夕食は畑で作ったというじゃがいもと人参と野菜がゴロゴロと入ったスープ。お風呂で綺麗になってふわふわのベットに久しぶりに飛び込んだ。先に横になっていたカインがぼよんっと跳ねて、呻き声を上げた。その声すら美しいなんて――とちょっと嫉妬した。
「む、人魚はみんな声が綺麗なのね。私は綺麗でも何でもないのに~」
カインの傍にいると小さな女の子に戻ったような気分になる。バタバタと足を動かしていると、カインに頬を突かれた。
「今日はもう眠りなさい。せっかくゆっくり休めるのだから」
「――はーい、でも眠れないの。なにか話してお兄様っ」
「何にも思い浮かばないな――そうだ、彼女が人魚だって気付いたか」
「ええっ」
私は起き上がって、大の字で寝ているカインを見た。
「彼女の字は人魚の字だろう」
「あ、そっか。私、あれが普通だから気付かなかった......」
カインは両手で顔を覆うともごもごと呟いた。
「でも、おかしいんだ。薬を作っている国はここから遠いし、周辺の村や町は海の女神を讃える連中。薬師が危険を冒してここへやってくるとも思えない。舌を代償にした人魚は泡となって消えたと言われているんだ」
指の隙間から目を覗かせて続ける。
「金があるならまだしも――見た限りだとありえない。ラーナは泡沫の人魚達の話を知っているかな」
「うん......」
「演じているわけではないはずだよ。唯一見た目でわからない内蔵を代償にしたのがうちの母だから」
私は――母の青白い顔を思い出しながら寝っ転がった。
「全然、気付かなかったぁ......ぶべっ」
べちんと顔に手の甲が直撃した。文句を言おうと上半身を起こすも、
見てみればすうすうと寝息を立てて眠っていた。
「あ、そっか。黒い水がないから眠っちゃったんだ......どうしよう、ここでも見張りをした方がいいのかな」
物語で舌の人魚だけは王子様が見つからずに泡になった。そっくりな人がいる。とってもいい人そうだけど――カインは警戒を怠るなと言った。
私は毛布をかけると、目を指でぱっと見開かせた。
「絶対、眠らないんだからっ」
――すぅ、すぅ、すぅ......
規則正しい寝息。
隣で気持ちよさそうな寝息が聞こえるせいか、とろんと瞼が重たくなってくる。その度に私は頬を叩いた。
「お兄、様を......守るのは、わたし、だけ......」
――ぎいぃぃ......
ひゅっと息を飲んだ。誰かが入ってきたのだ。私は目を微かに開けた。ゆっくりとベットに近づいてくる女の人。手を伸ばしてきて......
――ガガガガッ,,,,,,
近くの引き出しの音だった。何かを取り出すと、ぽんっと手が頭に乗った。優しく撫でる手に急に抗いがたい眠気に襲われる。
――でもどうして外套を羽織っているのだろう......?
ふっとぬくもりが消えたと同時に、意識は眠りの世界へと落ちていった。
まるで魔法のように、深い深い海の底のような夢の世界に......
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