第5話 船の上の王子様
綺麗な男の人はラーナを一瞥した。氷のように冷たい目。ふいっと海しかない方を見ると胡乱げな視線で顔を見た。そして下に移動させて、目を見開いた。
バッと音が出そうなほどに勢いよく、しゃがむとネックレスを手にとった。
「これを一体どこで......君は、今いくつだ」
とても静かにしゃべる人だった。しかしいきなり名前も聞きもしないでネックレスを尋ねられてむっとした。もしかして持ち主だったのだろうか。
「これはもらったんですっ、ラーナは十三歳ですっ」
「そんな小さな体で? 五歳児じゃないのか」
意地なってつま先立ちになる。
「違いますっ、十三歳ですッ」
綺麗な男は、ネックレスから手を離すと手を差し出してきた。
「よろしくラーナ。私はホウェイル王国の王子、カイルだ。ともかく医者に診てもらおう、腕や足を怪我している――安心したまえ、私の侍医だ」
カイルは声をひそめると呟いた。
「別種族であろうと問題ない」
私がぽかんとしている間、カイルはいなくなっていた。わっと集まり始めた人々。ほとんどがゴツゴツとした怖そうな男の人で、たくさんの質問を投げかけてくる。私はわけがわからなくて混乱した。
カンカンッとどこかで甲高い音が鳴った。
男の人達は首を竦めると一歩、二歩と離れていく。ホッとしていると、目の前に仁王立ちした強そうな女の人がいた。古そうな黄ばんだエプロンに被り物。手にはフライパンとお玉。
私はあのお玉で殴られるのだろうかと考えていると、にかっと笑った。
「さあお嬢ちゃん。体を綺麗にしましょう。いつまでも海水の浸かった髪ですと痛みますよ。男たちはどうでもいいですがね。女はそうはいきません」
「ママは女じゃないよなぁ」
つぶやいた船員が容赦なくママの制裁を受けた。私は他の人たちと同じように首を竦めた。
「あーあ。馬鹿なやつ。ほらお嬢ちゃん来なさい。綺麗にしてあげるわ」
若いお姉さんが私に手を伸ばしていた。
「あのよろしく、お願いしますラーナです」
「ええ、よろしくね。私はキーラよ」
一見きつそうな雰囲気を纏ったキーラもふわりと優しい笑みを浮かべた。私は船室に入る前に海を見つめた。
(王子様は大丈夫かな、でも私だけじゃお城には戻れない)
びゅうっと下から風がふいた。ざぶん、ざぶんと波の音が聞こえる。海の中では聞けなかった音に耳をすませる。
(どうか無事でありますように。私も無事です王子様......)
「ほらラーナ行くわよ。海は何時でだって飽きるほどに見れるわよ」
「うん、キーラさん」
「それにしても、お嬢ちゃんは勇敢だったねぇ」
ママが私の隣にやってきて言った。
「ううん、私は逃げてばかりだったもの」
キーラが首を振った。
「普通はね、諦めて逃げないのよ。だからね、ママは勇敢だって言ったのよ。最後まで諦めないで逃げ切ったのだから、わが軍は諦めない人間を求める。我が海兵隊の入隊条件の一つなのよ」
「お嬢ちゃんも一つはクリアしたってことさね。実力を証明したんだ。この船のみんなはもうすでにお嬢ちゃんの仲間だよ」
ぽんっと背中を優しく叩かれた。じんわりと目元が熱くなって涙が流れた。すんすんとキーラがくれたハンカチで涙をふく。
本当は母親が死んだときからこうしたかったのかもしれない。それからしばらく涙はなかなか引っ込んでくれなかった。
ざざっと完全に日が落ちた甲板。夜の海風がラーナの頬を撫でた。まだ湿っていた髪が祝福するようにサラサラとほぐし、乾いていく。お腹が空くような匂いと男たちの陽気な歌と楽器の音。ラーナは後ろ髪を引かれながらも船室に入った。
軍船に子供用の服なんかあるはずもない。一番小柄なキーラの服を切ってさらに縫い縮めてたもの。すぽっと被せられ、キーラは不満そうに呻いた。さらに大人用の三角巾に頭を乗せ、後ろは可愛らしく大きなリボンに結ぶ。古いタオルで作ったという小さなエプロンを取り出すと、体に当てて紐をチョキンとはさみで切った。小柄なラーナにはウエストも首回りも長すぎたのだ。
酒屋の娘の様な格好。ぼろのスカートではない。私は嬉しくって跳ねた。
「すっごく可愛いっ」
「あらまあ、これぐらいで喜んじゃだめよ。それでもぶかぶかねぇ。今度、綺麗なドレスの生地で貴女ように作り直してあげるわね」
「ううん、キーラいいの。綺麗な服はね恐ろしい人達に襲われるから着てはいけないの。キーラは綺麗だから平気かもしれないけど私は駄目なの」
「誰にそんなことを言われたの?」
キーラは私の身長を図っている時に手を止めて聞いた。
「お母さん。地味な恰好しなさいって」
「ふうん。そういえばお母さんはどうしたの」
「死んじゃった」
「えっ、あら、ごめんなさい。私ったら......」
「ううん、悲しくないからいいの。お母さんはいつも死にたそうにしていたから」
「ラーナ......もう暗い話はやめましょう。また殿下に聞かれるかもしれないけどね」
「殿下......カイン王子様?」
「そうよぅ。カッコいい人でしょう。そういえば、不思議な色合いがカインと似ているわね。青じゃなくてピンクだけど」
キーラは三角巾から飛び出した私の髪をまじまじと見ながら言った。
「キーラはカイン王子様の事が好きなの?」
「ええっ!? どうして」
「うーん、なんだかそんな気がしたの」
「や、やだ。バレバレかしら......」
キーラはママを見つけると何かを尋ねている。ママは呆れた顔をすると頷いていた。ママは私を振り返り「おはよう」と言った。
「おはようございます、ママ」
「あら、お嬢ちゃんに言われるとくすぐったいねぇ。男どもに言われてもイラつくだけっていうのにさ」
「ママとは呼ばない方がいいですか?」
「いんや、ぜひ呼んでほしいね。それより、キーラが殿下の事を好きなのを見破ったんだって?」
私は頷いた。
「目がきらきらしていたよ、ほわほわって幸せそうに頬が緩むの」
「ぎゃぁ、うっそ。私ってそんなにわかりやすいかしら」
「はあ、全く何も隠すこともないでしょうに。あんたらは婚約者なんだから」
「で、でも一応。任務中なのだから、しっかりしないと......」
「わぁぁーっ! キーラって王子様のお姫様なのっ」
「ま、まだ婚約者だけどねっ」
「この子、殿下が心配だからって船に乗り込んだのよ。どんなに説得しても駄目でね。ラーナお嬢ちゃんがキーラの話し相手になってあげて。落ち着かなくってしょうがないのよ。柱なんかに引っ付いて見張っていてね。あれじゃあ、しつこいって殿下に嫌われてもしょうがないわよ」
「キーラお姉ちゃん......しつこい人は駄目なんだってどっかで聞いた」
「ぐぶぅ、分かっているわよ。でもほら、船って事故が多いじゃない。死ぬなら一緒に」
ママはキーラの頭に拳骨を食らわせた。私は驚いて目を開いた。
「重たいのよ、全く。少しは相手を信じるって事を知りなさい」
私はママの言葉が心に沁みた。
「――相手を信じる......」
私は胸元で変わらず美しく輝くネックレスを握った。
「相手の無事を祈って、信じる......っ」
「......」ネックレスを握って熱心に祈っている様子のラーナを見て二人は顔を合わせた。
「ちょっと、お嬢ちゃんに出来るのだからあんたも頑張りなさいな」
「うっ......でもお......」
「キーラお姉ちゃんがカイン王子様に何かあげるといいかも。私、もらってとっても嬉しいよ。思い出すの」
「え、えぇ。私が......」
「いいじゃない。何ならペアで持っていたらいいんじゃない。あんたの王子様はあまり気が利く性分じゃないでしょう」
キーラは迷いながらも頷いた。
「こほんっ、それじゃあ。そうしようかしら。陸に戻ったら早速注文してみるわ」
紙を手に何かを書き込んでいくキーラ。ママは微笑ましそうに見つめた。
「お嬢ちゃんは好きな人にもらったの?」
「うん、大事なの」
「あらっ」楽しそうに声を上げたママ。
その時、野太い男たちの歌が聞こえてきた。
「あれは何を歌っているの?」
「この国の国歌ですよ。次に、王家を称える歌を歌うのですが殿下が好きではないようでとーっても小さな声になるんだ」
ママはしぃーっと指を立てた。ママの言った通り、耳をすませないと聞こえないくらいに小さくなった。ママは必死にペンを走らせているキーラを指さした。
「特別扱いが嫌いなんだよ。だからキーラも貴族の娘なのに私たちに混じって朝食作ったり洗濯したり、良い娘でしょう。ラーナも応援してあげて」
私は二人が並んだ姿を想像した。とってもお似合いだと大きく頷いた。
「ふふふ、それでは新しい船員さん。私たちの朝食作りを手伝ってくれるかな」
「うんっ」
私は時々、食堂に手伝いに行っていた。お金をもらえるほどは仕事が出来ないからと代わりに残ったごはんをたくさんくれた。だから一通りは出来るのだ。
――デデン!
「私、お魚やったことない......」
まな板にくたりと横たわる魚。桶にいっぱいに突き刺さっている魚たち。私は何だが吐き気がして口を押さえた。
「私、お魚さん死んでいるの駄目かも......」
「まあ顔が真っ青じゃない。どうしましょうっ、隅で休んでいてちょうだい」
「ううん、ママ。お魚以外でやる......」
そうして芋の皮むきにしてもらった。
「ラーナ、もしかしてお魚嫌い?」
「ううん、生きているお魚は好きだけど。死んでいるお魚は食べられない......ごめんなさい」
キーラは手を念入りに洗うと私の傍に来てしゃがんだ。
「大丈夫よ。実は殿下も魚が嫌いなの。ラーナとおんなじ事を言っていたわよ。さらに不思議なことも言っていたわね。えっと自ら命を捧げると言うものならよい、とか?」
「カイン王子様も魚駄目なんだね」
「そうみたい、だからラーナはカインと同じものにしてもらいましょうか。どうしても海だから魚料理になっちゃうのよねぇ」
「ごめんね、コックさん......」
私はスープを作っていたコックの元に行くと謝った。
「はは、ラーナちゃん平気だよ。俺なんか、肉料理が作れなくてここにいるんだから」
「そうなの? コックさんなのにお肉が駄目」
「あぁだから何も心配することないよ。ラーナちゃんは芋の皮むきも早いから大助かりだよ」
「それなら、よかった......助けてくれた、恩返ししたかったの」
コックは「ありがとう」というようにお玉を三回鳴らした。
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