第4話 秘密基地


 パチパチと拍手をもらった王子は完全にのぼせあがっていた。

「ねえ、外に見に行こうよ。すぐ近くだから大丈夫」

「秘密基地へ? でも王様はダメって言っていたわ」

 私は一人では泳げない。本当はものすごく行きたがったが首を振った。王子は「ちえっ」と軽く頬を膨らませて拗ねてしまった。ゴルディーがおちょくるように王子の周りをくるくると優雅に泳いだ。

『俺は、お目付け役でもあるのをお忘れなく』

「へえ、ゴルディーってそうだったのねっ」

『お友達であり、侍従のようなものですラーナ』

 ぴょんと跳ねると私の鼻をかすめていった。ゴルディーは人をくすぐるのが好きらしい。

「わかったよ。お爺様の言うことは守らないと。タコも寝るほど平和なのに」

『まるでふぐのようですね』

 ゴルディーは笑うようにぴょんぴょんと跳ねた。

「ゴルディー、僕の侍従のくせに......」

『王子様のお友達でもあります』

「二人はとても仲良しなのね」

 二人は顔を合わせると王子だけ顔を逸らした。照れくさそうに頭の後ろをかいている。

「王子様、そしたら庭園に行きましょう。お城から出てすぐ近くにあるのでしょう」

「うんっ、そうなんだ。たくさんの珊瑚と、海藻と......とにかく綺麗なんだ行こうっ」

 最初は不機嫌な顔をしていた王子だったが、突然、目をきらめかせた。私の手をとるとびゅーんと飛ぶように泳ぐ。

「すっごく速いけど人魚なら普通なのっ」

「ううんっ、僕は魔法を使っているから速いんだっ」

「あれれ......?」

 私は途中で違和感を覚えた。速すぎて景色がわからないけど、城からそう離れていないはずの庭園にしては長かった。

「ねえ、王子様。庭園はすぐ近くだったよね」私が不安の声上げたその時、王子が楽しそうに声を上げた。

「ラーナっ、衝撃に備えてっ」

「え、えぇっ!?」

 私は王子に抱えられると、急に周囲の渦が消えた。すごい勢いでわかめの達に突っ込んでいく。ぼふり、ぼふり、ぼふりとぼふりと彼らがクッションになりようやく止まった。

「大丈夫? びっくりしたでしょ」

「それは、もう......ここはどこ」

 私は辺りを見渡した。背の高いわかめ達がゆらゆらと静かに揺れ囲まれている。光が少なくて怖くなって王子にくっついた。

「そんな怯えなくても大丈夫だよっ」

 王子はかがむと、地面の岩を持ち上げた。人が一人ギリギリ通れる小さな穴。

「この先に僕の秘密基地があるんだ」

「秘密基地!? だめって言われたのにっ」

 王子はばつが悪そうに顔を逸らし手を後ろに隠した。

「でも、ほら。君と会えるのは今日限りかもしれないだろう。どうしても見せておきたかったんだ」

 しゅんと肩を落とし、目を潤ませる王子。私は深くため息をついた。そうして私たちは穴の中に飛び込んだ。細く狭くて暗い所は恐ろしかった。王子の手をぎゅうっと強く握る。私の手が震えていたのに気付いたのか彼はさらに強く握り返してくれた。

「さあ目を開けてラーナ......」

 ゆっくりと目を開く。そこはこじんまりした洞窟で――薄暗くてよく見えない。王子が真ん中に泳いで行くとカチッとランプをつけた。

「うわぁ、すごい......」

 洞窟中に埋め込まれ輝く宝石たち。金や銀が所狭しとゴロゴロと転がっている。まるで宝箱の中だった。王子は長い尾ひれでそれらを蹴散らしながら戻ってきた。水中に舞ったそれらは光に反射してきらきらときらめく。

「これらってさ。地上では価値があるんだろう?」

「うん、うんっ。きっとずーっと遊んで暮らせるくらい......本当にすごい、綺麗」

「よかった。おいで......じゃなくって、なんだっけ。ほら人間たちが、さ。女の人と踊りたいときにいう言葉っ」

「私と踊ってくれませんか?」

「そう、それっ。お姫様、僕と一緒に踊ってくれませんか」

 王子は左手を後ろにまわし、右手を差し出してきた。一体、どこで覚えてきたんだと思わず笑みがこぼれた。

「構いませんが王子様、音楽がありませんわ」

 私もお姫様になりきって答えた。王子はくるりと身を翻すと、レコードのスイッチを押した。海中にも関わらずなり始める音楽。ゆったりとした音楽。まるで穏やかな海のような。

「どうして海の中なのに動くの?」

「魔法だよ、海は僕らにとってなんでも叶えてくれる場所なんだ」

 私は王子の手をとると、くるりとくるりとまわった。

「そっか、足を動かす必要ないんだね」

「そうだよ、人間たちは踏みつぶさないように気を付けるんだろう」

「王子様はどこで覚えるの」

 基本的には音楽に合わせてただ揺れるだけ、時々くるりとまわってみせる。

「――兄たちだよ。たまに戻ってきては話を聞くんだ」

 それから時間も忘れて踊った。

「ゴルディーはこの場所知らないんだ、僕と君だけだけだよ。だか......」

 ――ごーん、ごーん、ごーん

 その時、低い時計の音が鳴った。時計の針は十八時をさしていた。

「うそ。もう夜になっちゃう」

「まって」

 穴に飛び込もうとしていた私を王子が引き留めた。

「でも早く帰らないと。王様が心配しちゃうよ」

「ラーナ、こっちに来て」

 有無を言わせぬ口調に私は仕方なく王子の元へと足をばたつかせた。近くに降り立つと、王子は手に何かを持っていた。空色の美しい宝石がはめ込んであるネックレス。王子は私の首にそれをかけると満足そうに頷いた。

「やっぱり、似合うよ。君の姿を見た時から、このネックレスを渡したかったんだ。拾ったもので申し訳ないんだけど、もらってくれるかな」

 雫型の石、とても高そうなネックレス。私は断ろうとして――出来なかった。王子の悲しそうな目を見てしまったからだ。それにこんなにもあるならいいかと頷いた。

「ありがとうございます、大切にするね」

「うん」

 私たちは仲良く手を繋ぐと穴に飛び込んだ。外はすっかり暗くなっていた。ほんのわずかの月の光にクラゲたちがちらほらと気まぐれに海中を照らすだけ。私は怖くて身を震わせた。

 王子は優しく私を抱きしめた。

「大丈夫、僕はこの道を慣れているから」

 王子の言う通りで、ビュンビュンとあっという間にお城の見えるところまで来た。段々と明るくなっていって私はほっとした。

「はぁ、よかったぁ」

「うん、これで最後かもしれないからゆっくりでも、いいかな......」

「平気よ、でもね。これが最後じゃないわ。明日だって、何年後でも......」

 王子に微笑みかけた時だった、彼の顔は絶望に染まっていた。

「えっ?」

 私の体は何かに引っ張られ、ぐんぐんと城から離れていく。

 懸命に私に手を伸ばす王子。横から灰色の巨体が王子を吹き飛ばした。サメがにやりと笑みを浮かべた。

『さあさあ、行きましょう。さあさあ行きましょう。領域の外へ』

『ここでは人魚は殺せない。王が守っている』

 城が小さく、小さくなっていく。

 豆粒ほどになって私は叫んだ。抵抗してもびくともしない。

 無力だと泣いた。

『一番早いのは海面で食い殺すこと』

『一部でも海面に出れば加護は失われる』

 二匹のサメは私をあざ笑うように囁き続ける。私は泣くことしか出来なかった。母が亡くなりどうでもよくなった時に知った人魚の世界。まだまだ見て回らないといけない事がたくさんあった。

「――誰か、私を助けてッ」

 必死に伸ばす手。無意味だろうと、もがき、手を伸ばす。

『ふふふ、愚かな娘』

『愚かな娘の娘はまた愚か』

 ザバンッと思いっきり海面へと投げ飛ばされた。サメが大口を開けて待っている。私を一飲み出来るほどの大きな口。ずらりと並んだ鋭い牙。

「いやぁーーッ」


 その時、近くを何かが通った。

 ゆらりと大きな波がたち、サメの口と落下地点がずれる。

 どぶんと海に落ちた私。

 しかしそれで安心ではなかった。

 手を足を懸命にばたつかせる。しかし少しだって進まない。サメは私を追いかけて口を開けた。飲み込もうと近づいてくる。


 もう駄目だ。


 そう覚悟した時、ダダーンと耳が破裂しそうな大きな音が鳴り響いた。


 後ろを振り返ればサメが血を流しひっくり返っていた。

 どぷんっ、もう一匹が私のブーツに噛みついたのだ。

 海面が遠くなる。

 手を伸ばしたその時、左右に揺れた。頭がかき混ぜられるように激しく揺さぶられる。気持ち悪くて意識を失いそうになって足をばたつかせた。

 すぽっと抜けたブーツ。

 そして当たり所がよかったのか怯んだサメ。


 私は急いで海面に顔を出すと、死んだサメにのぼった。船が徐々に近づいてくる。安心した時だった、船の人達が手を振っている。

 それが少し異様な空気で、

 私は後ろを振り返った。

 すぐそこにサメ。口を開けて迫っている。

 もうだめだッ私は咄嗟にかがんた。


 ――ダダーンッ


 再び恐ろしい音とひゅんっという音が耳をかすめた。何も起こらないことに疑問に思い振り返るとサメが血を流してひっくり返っていた。


「あ、ああ......」


 ぶるぶると震えていると、久しぶりの人の声がすぐ近くで聞こえた。

「お嬢ちゃん、大丈夫かいっ」

「どうしてこんな海のど真ん中に女の子が......」

「そんなことどうでもいいんだよっ、ほらゆっくりこっちにおいで、もう大丈夫だ」

 強面の男たちがぎこちなくも優しく語りかけていた。

「お、おい。お前の怖い顔で泣いちゃったじゃないか」

「なんだとっ、貴様も対して変わらないだろうがっ」

「だ、大丈夫だよ。俺たちはあやしいおじさんじゃないから。ほうらこっちにおいで」

「それが一番怖いんだよッ」

 私は目をこすった。ずずっと鼻水をすすると男の手をとった。

「こ、ごわがったぁー!!」

「う、うおぅ」

 そのまま筋骨隆々な男の胸に抱きついた。男は戸惑いながらも背を強めにポンポンと撫でてくれた。

「――ありがとうございます、おじさん......」

「お、おう。泣きたかったらいつでも俺の胸をかすぜ」

「うらや......お嬢ちゃん、俺の胸もいつでも開いているからな」

「くっそう、羨ましいぜちくしょう」

 愉快な男たちに慰めながら小舟は小さな波などものともしないであろう大きな船の元へとたどり着いた。男たちがロープをくくりつけている間、質問した。

「これはなんの船なの?」

「海兵隊の船だよ、ほら。そこのサメを正確に撃ち抜く恐ろしくて素晴らしい方も乗っているんだ」

「怖い人なの??」

「それはそれはとってもな。海に愛された王子様が乗っているんだ。王子様で海兵隊の一番偉い団長でもあるんだよ」

「へ、え......私、王子様にお礼を言わないと」

「あぁ、ふふ。ぜひ言ってください。お嬢ちゃんなら王子様も邪険に扱わないでしょう」

「やっぱり怖い人なの」

「お嬢ちゃん、もし怖い目にあっても俺は味方っすから」

「ありがとう、金髪のおじさん」

 デレデレと鼻の下を伸ばす男が叩かれた時、がこんと船が大きく揺れた。

 私はおじさんに捕まると、船は宙に浮き上がりはじめた。そして幾ばくも進まないうちにギリギリっとロープが嫌な音を立てた。上から人の叫ぶ声。

「てめーら重いんだよッ、いっぺん海に落ちやがれッ」

 びくりと肩が震えた。私を抱きしめていてくれたおじさんが叫んだ。

「うるさいぞッ、お嬢ちゃんが怯えているじゃないか」

 びりびりと響く低音に私は耳を塞いだ。

「てめえの声がうるせーよッ」

 初めて聞く口汚い応酬に私は驚いて目をまん丸に開いた。私の周りで気象荒く叫ぶ人間など今までいなかったのだ。みんな静かに喋って......

 結局、二人が海に飛び込んで、小さな手すりに手をかけてのぼっていた。

「すごい、私たちよりも速いね」

「船は揺れとかもあるから、慎重にやらなくちゃならないんだ。俺だけならともかく、お嬢ちゃんがいるからね。サメがいるような海に投げ込まれて次は無事で済むかわからないからな」

 船の上まで到着すると私たちをたくさんの人が見上げていた。

 私を抱えたままおじさんは飛び上がった。どんっと着地して、ふわりと甲板に降り立った。

 たくさんの人に囲まれ、しどろもどろとする。

「え、えっと。た、助けてくれてありがとう、ご......」

 その時、さっと人波が割れた。カツンカツンとどこか懐かしい靴音に私は顔を上げた。

 銀色に青がかった不思議な髪色。ランプの光が揺れるたびに七色に輝く。真っ白な軍服。目がびっくりするほどに美しい男の人。すらりと高い身長に水色に輝く目。その人だけに涼しげな風が吹いているように髪がサラサラと揺れていた。






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