十五話
「君達は、以前に……こんな遅い時間に、何か用か」
キャスバートとハリエットに気付き、ジェロームは聞いた。だが前に出て答えたのはディクソンだった。
「お初にお目にかかります。私はヨーヌ村で司祭をしております、シシリーの父親のディクソンです」
「ああ、そうでしたか……その節は――」
「あなたは疑惑通り、信用に値しない方だった」
「……はい?」
眉をひそめるジェロームを、ディクソンは強気に見つめる。
「亡くなられたお二人の奥方のように、シシリーも同じ目に遭わせるわけにはいかない」
「何のことをおっしゃって……」
「お父さん、やめて。お願いだから」
止めようとするシシリーの声は、父にも、友人達にも聞いてはもらえなかった。
「僕達は、館の中で、鳥の怪物を見たんだ」
「閉じ込められて、殺されそうだった……」
「鳥の、怪物……? まさか……」
ジェロームは目でシシリーに問いかける。聞かれた群青の瞳は、力なく伏せることしかできなかった。その様子で事態を理解したジェロームは、三人の不審の目に射られながら、難しい表情を浮かべる。
「この子は怪物の餌ではない。私の大事な娘だ。あなたの意思で、かけがえのない命を好き勝手にはさせない。連れ帰らせてもらう」
ディクソンはシシリーの腕を引こうとする。
「私は、まだ、帰れないの……」
シシリーは足を踏ん張り、留まろうとする。
「この方はお前の思ってるような方じゃない。何を同情してるか知らないが、それは間違いだ。今すぐ帰らなければひどい目に――」
「間違ってるのはお父さんのほうよ。ジェロームは領主として、孤独に頑張ってるの。だから私はそれを助けないといけない……ここにいないといけないの」
「絶対に駄目! こんなところにいたら殺されちゃうわ」
「僕達と帰ろう。そうじゃないとシシリーの身が危ないんだ」
二人の友人も必死な形相で言ってくる。だがシシリーは頭をぶんぶんと横に振った。
「私は殺されないし、危なくもない。……信じて。ジェロームは皆が思ってるような人じゃないの」
「ではあの怪物は何だと言うんだ。館の中に勝手に住み着いてるとでも言うのか? セーヤーズ様は、あれが危険でないと証明できるんですか?」
ディクソンの視線がジェロームを突く。しかし黙り込んだままジェロームは答えない。その様子にシシリーはすかさず口を開いた。
「あれは怪物なんかじゃないの。そうじゃなくて……」
真実を明かしたところで信じてもらえる可能性は低く、そうなったとしても、死神が側にいるなど、さらなる混乱を招くだけだろう。シシリーは何か返そうとしたものの、適当な言葉が見つからず、口ごもってしまう。
「あれは誰がどう見ても怪物だ。姿を変え、私達を殺そうとしたんだ。シシリー、正気を取り戻しなさい。ここにいたら命がいくつあっても足りない」
「聞いてお父さん、本当にあれは怪物じゃなくて――」
「わかりました」
冷静な声に、皆の目がジェロームへ向く。
「……何がわかったんですか」
ディクソンは不信感もあらわに聞いた。
「シシリーを、どうぞ連れて行ってください」
「ジェローム……!」
驚くシシリーをジェロームはいちべつすると続けた。
「ですが、少し時間をいただきたい。話す時間を」
「……駄目だ」
「お父さん!」
すがる娘を無視し、ディクソンは厳しい目付きでジェロームを見やる。
「私達は一分でも早くここを離れたい。そんな時間待ってられない」
「重要な話なんです。どうか――」
「シシリー、安全な村へ帰ろう。もう危険なことはなくなる」
「ジェロームと話をさせて。それまで待って!」
懸命に頼んでもディクソンは聞こえないふりでシシリーの腕を引いて歩いて行こうとする。それに抵抗しようにも、ハリエットとキャスバートに背中を押され、シシリーはジェロームとの距離を離されようとしていた。
「邪魔をするなというのがわからないのか」
突如聞こえた低い声に、ディクソン達は足を止め、瞬時に表情を強張らせた。
「この、声……」
ハリエットは震え、キャスバートは全身を硬くさせ、周囲に警戒の眼差しを送る。
「ど、どこに……」
ディクソンは鼓動を激しく鳴らしながら、暗い景色に声の主を捜す。
「先ほどは逃がしたが、二度も逃げられると思うな……」
怪しい気配を感じた三人は、恐る恐る背後に顔を向けた。するとそこには、館にいたはずの巨大な黒い体がそびえていた。鋭いくちばしを三人に向け、星明かりが反射する赤い目を輝かせながら見下ろしている。
「……これで、終わりだ」
バサッと風と音を立て、怪物は夜空を覆うほど大きな翼を広げると、三人の頭上から襲いかかろうとする。
「きゃああああああ!」
ハリエットの悲鳴が合図のように、三人は足をもつれさせながら黒い怪物の下から走って逃げた。恐怖に駆られた頭は自分のことで精一杯なのか、もはやシシリーを気にかける余裕もなく、離れて行く。
「やめろ!」
その時、ジェロームが叫んだ。それに反応した怪物は動きを止め、自分の足下に立つ彼に振り向いた。
「……なぜそんな怖い顔をしている」
「余計なことをするな。貴様のせいで、状況が悪化している」
「悪化? 私は邪魔になる人間を制しただけだ」
「人間には人間の私が対応する。勝手に出しゃばるな」
「……ほら、領主様は、怪物と話してる」
腰を抜かしたハリエットを支えながら、キャスバートは黒い巨体を指差し、言った。
「飼ってるんだ……それで、僕達を襲わせたんだよ!」
「それは違うわ!」
怪物の前に取り残されたシシリーはすぐに否定の声を上げた。
「シシリー、今のうちに早く、こっちへ来るんだ!」
怪物の側にいる娘に近付けないディクソンは、手を振って大声で呼ぶ。
「だから、まだ行けない……村へは帰れないの」
「死なせられないよ。シシリーだけは――」
キャスバートは意を決して近付こうと動いたが、直後、赤い目に見下ろされ、それに射すくめられると、後ずさりして戻ることしかできなかった。
「お願い……今日は、帰って。私は大丈夫だから」
そびえる巨大な鳥の怪物にたち打ちできるはずもなく、シシリーが館を離れるのを頑なに拒否する以上、今の三人には成す術がなかった。
「……セーヤーズ様、このことは、ただちに王宮へ直接伝えさせてもらいます。……シシリー、それまでどうか無事でいてくれ。必ず迎えに来る」
「絶対に助けるから、絶対に……」
ディクソンとキャスバートは悔しげにそう言うと、今にも気を失いそうなハリエットを抱え、領主の庭から去って行った。
「まったく、やかましい人間どもだ」
死神が背後で呟いたのをシシリーは見上げた。
「……どうして、お父さん達を殺そうとなんて……」
不審な声で聞かれ、死神は赤い目で見下ろす。
「殺す気など、はなからない。私は存分に恐怖を与え、二度と邪魔をしないようしつけたのだ」
「だとしてもやり過ぎだ。貴様のせいで、私は王宮からの疑惑追及を再び受けることになりそうだ」
不満を見せながら、ジェロームも死神を見上げた。
「お前がどう見られようと知ったことではない。私が邪魔な人間どもを追い返したおかげで、ようやく話ができるのだぞ。少しは感謝してもいいのではないか?」
「貴様が黙っていれば、ここまでこじれることはなかった」
「だが仕事の話は無事にできる。……私が優先すべきことはただ一つ、禁忌に関する物をすべて消すことだ。そのことに関して問題がないのなら、私にとっては何ら問題はない」
「自己中心的なやつめ……」
「どうとでも言えばいい。私は自分の役目を果たすだけだ。お前もやるべきことを果たせ……残りの資料は見つけたのか?」
そう聞かれ、ジェロームはシシリーに歩み寄る。
「こっちは二枚とも見つけた。シシリーはどうだ」
「私も……」
言いながらシシリーは手に握り込んだ資料を広げて見せた。
「見つけました。大分しわくちゃになっちゃいましたけど……」
「破れて欠けていなければ平気だ。……これでやっと、すべての資料が揃ったはずだ」
「時間はかかったが、ご苦労だった」
二人を見下ろす赤い目がわずかに細められた。
「では、最後の仕事に取り掛かってもらおう。私は先に館で待つ」
鳥の巨体は湧き出した黒い霧に覆われると、次にはその姿を消し去っていた。霧も闇に紛れ、静寂が戻ると、二人は館へと向かう。
「……シシリー、すまない。せっかく君の父上と顔を合わせたというのに」
うつむいたジェロームはおもむろに謝った。
「謝るのはこっちです。皆、ジェロームのことを誤解してる」
「私の問題が解決したら、シシリーは好きにしてくれ。私のせいで家族や友人とぎくしゃくすることはない」
「ジェローム……」
うつむくジェロームをシシリーは見つめる。言葉を続け、正直な気持ちを伝えようとしたが、館に着くまでの時間ではとても言い終えそうになかった。まずは問題の解決が先だと、ひとまずその言葉を胸に留めた。
「この先のことは、すべて終わった後で、また話しましょう」
これにジェロームは顔を上げると、自分の気持ちを隠すように表情に力を入れ、軽く頷いた。だがその灰色の瞳には、隠しきれない孤独が滲む。それを見つけたシシリーは、そっと微笑みかけた。あなたには、私が付いている――そんな想いが伝わるように。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます