2
「大丈夫? ……足、くじいてない?」
リフィの小さな手が、俺の手の中にある。
あの時と一緒だ、と思った。はじめて別荘の庭で会ったあの時と。
一瞬顔を上げたリフィと視線がからみ合い、言葉もなく見つめ合った。
ああ、リフィがいる。本物のリフィだ。過去じゃなく、今この瞬間のリフィが――。
それは泣き出したいくらいの喜びで、全身が震えそうなくらいだった。
「あっ……、ごめんなさい。私、よろけて……」
リフィが慌てて抱きとめられたままの体勢を立て直し、体が離れた。
「けががないなら、良かった……」
ふらついている様子もないし、足をくじいたりはしていなそうだ。そのことに安堵して、そっとリフィの様子をうかがう。
果たして俺とほんの少しでも話をしてくれる気はあるだろうか。それとも――。
「……」
「……」
二人の間に、きまずい沈黙が落ちる。
もしかしたら、リフィは俺と話なんてしたくないのかもしれない。でも。
「あ……あの、リフィ。ちゃんと話もしないでこんなことになっちゃったからさ。少し話がしたいんだ……。どうかな?」
祈るような気持ちで、リフィの返事を待った。
少しの間を置いて、リフィはこくり、と小さくうなずいてくれた。
「ありがとう……! 嬉しいよ、すごく。で、あのちょっとここは人が多すぎるから、向こうの東屋で話そう」
「……うん」
小さな肯定の声に、思わず口元が緩んだ。
たったこれだけのことが、たまらなく嬉しかった。
婚約している時は、リフィの声を聞けることも、こうして同じ空間に一緒にいられることも日常だと思っていた気がする。
でも、そんなはずない。永遠に続く日常なんて、ありはしないんだ。
東屋に向かう間、俺もリフィも一言も発しなかった。
後ろを静かについてくるリフィは、ずっと足元を見つめていた。
もしかしたら踵が高い靴のせいで、歩きにくいのかもしれない。なんていったってここは森で、足元は舗装もされていないんだし。
また転んでしまわないように、ゆっくりと後ろの気配に意識を集中されて東屋まで歩く。
本当は手を差し伸べて手をつないだほうがいいんだろうけど、今の俺とリフィは婚約者同士じゃないから、これが精一杯だ。
東屋のある辺りは招待客もまばらで、話をするにはぴったりな場所だった。
「座ろうか……」
こくりとうなずいて向かいの椅子に座ったリフィが、ふとテーブルの上に落ちた一枚の葉っぱをつまみ上げた。
「ミコノスの葉っぱ……」
リフィが小さくつぶやいた。
ふと見上げれば、もう花の盛りが終わったミコノスが、青々とした葉を茂らせていた。
葉擦れの音が心地いい。
今ミコノスの花がもし満開だったら、あの時と同じだったのに。
あの日と同じようにミコノスの花の中で穏やかに微笑むリフィの姿を、もう一度見たい。
そんなことを思った。
「リフィ……。君にどうしても伝えたいことがあるんだ。聞いてもらっていいかな?」
意を決して口を開いた。
もうこの手の中には、過去をやり直せる魔法の手鏡もないけれど。
きっとこれが、リフィとちゃんと向き合える最後のチャンスだと思うけど。
今この瞬間を無駄にするわけにはいかないんだ。どうしても今伝えないと、きっと死んでも死にきれない。
だから。
「まずはあやまらせて欲しい。今まですぐにこうして会って話をしにこなくてごめん。ちゃんと君と話をするべきだったのに、本当にごめん」
テーブルに頭をすりつけるように、頭を下げる。
リフィは無言のまま、首を振った。
「それから……、婚約中もちゃんとしたデートにも誘わなくて、まともに会話も上手にできなくてごめん。君といると俺余裕がなくていっぱいいっぱいで、自分のことしか見えてなくて。だめな婚約者で、本当にごめん」
そっとリフィの様子をうかがうと、リフィは困ったように眉尻を下げて目に涙をいっぱいためていた。
その涙に、リフィの今まで抱え込んでいた不安が表れているような気がして胸が痛い。
俺はすうっと大きく息をのみこみ、一番伝えなきゃいけないことを口にした。
「それと、これは君に一番言わなくちゃいけないことなんだけど……。俺は……」
緊張と不安でごくり、と喉が鳴る。
でもそれを跳ねのけて、口を開いた。
「俺は、リフィのことが好きだ。初めて会った時から、ずっと好きだし今も大好きなんだ。好きすぎて、五年たっても顔もまともに見られないし、話もうまくできなくて。でも――」
心臓が壊れそうなくらい、ドキドキと跳ね上がった。
本音を言えば、今にも吐きそうだ。手も震えているし、顔だって真っ赤に違いない。
でもここまで来てカッコ悪いとか情けないなんて言っていられない。
「でも、好きなんだ。君のことが好きで、どうしてもあきらめられない。どうしても……俺は君にそばにいてほしいんだ!」
東屋の中に、自分の声が響いた。
思いの外大きな声で愛を告白してしまっていたことに気がついて、恥ずかしさに全身が赤く染まるのが分かった。
今さら気がついてもあとの祭りだけど。
リフィの反応を見るのが怖い。
でも、気になって恐る恐る視線を向けてみると。
リフィは、口をぽかんと開いたままこちらを見ていた。
息をしているのかどうか心配になるくらい、ぽかんと。
「え、っと……。リフィ……?」
ためらいながらもそう呼びかけると。
「っ……! あっ……えと、私……。その、私は……」
みるみるリフィの顔が真っ赤に染まっていく。
「好きって……本当? 私のこと、本当に……?」
大きく見開かれたリフィの目から、大粒の涙がぽろりとこぼれ落ちた。
「私……ずっとメリルに好かれてないって思ってた……。だって一緒にいてもいつも無口だし、視線だって合わせてくれないし。嫌われてはいないかもしれないけど、妹みたいにしか思ってくれてないんじゃないかって……」
リフィとようやく視線が合った。
どこか信じられないといった困惑と疑いが混ざりあったその表情に、俺はさらに自分のこれまでの行動を後悔した。
やっぱり何も伝わっていなかった。
好きだって気持ちも、花束の意味も。
「いや……そんなはず。でも、そうだよね。一度もどう思ってるか伝えたことなかったし……。本当にごめん」
「あ! 違うの。大事にしてくれているのは、分かってたの。でも……私が子どもっぽいから、女性としては特別に思ってくれてないんだって……。メリルがくれる贈り物も、いつも子どもっぽいピンクやかわいいものばかりだったし」
リフィが悲しげに顔を伏せる。
「そんな……俺はそんなこと!」
ふと、二回目に過去に戻った時にリフィが叫んだ言葉を思い出した。
そういえばあの時四歳の妹と同じだと言ったリードを、ガーランがそれじゃ子どもっぽいって言ってるみたいじゃないかってたしなめた。
それに、リフィはひどく怒った。私は四歳の子どもじゃないし、ピンクなんて好きじゃないって。
「じゃあ、あの時怒ったのは俺に子ども扱いされてると思ったから……?」
なんとなく、腑に落ちた気がした。
もし、リフィが子ども扱いや妹として見られてることにもやもやしていたのなら、怒ったのも分かる。
「え? あの時って……?」
訝しげな顔で首を傾げるリフィに、思わず口に出してつぶやいていたことに気づく。
「あ、いや。なんでもない」
俺は、慌てて首を振った。
そうだった。あれは俺が女神の手鏡で過去に戻った時に交わした会話なんだから、リフィが知るわけない。現実が書き換わってない以上、きっとあの過去はリフィの記憶にはないはずなんだ。多分。
リフィは不思議そうな顔をしながらも、話を続ける。
「だから私、必死に大人っぽい格好をして、踵の高い靴を履いてみたりしていたの。……でも、全然ダメだった。さっきみたいに転んじゃうし、似合わないし……」
それを聞いた瞬間、俺はふと固まった。
え? じゃあ今日の大人っぽいドレスと苦手なはずの踵の高い靴も、俺に子どもっぽいと思われたくないから?
それって、つまり――。
「似合わなくなんてないよ。すごくきれいだよ。……俺がついピンクを選んでしまうのは」
リフィが震える目で不安そうに、こちらを見つめている。
「俺がピンクを選んでしまうのは……初めて出会った時のリフィがかわいくて忘れられないからだよ」
「……え?」
リフィが、驚きの声を上げる。
「あの時リフィが着てたふわふわのピンクのドレスがあんまりリフィにぴったりで、甘い砂糖菓子みたいだし、花束みたいで……。その時の印象が強すぎて、つい――。かわいいものばかり贈ってしまうのだって、それはリフィがかわいすぎるからだし……」
こんなことを言ったら、気持ち悪いとか思われないだろうか。
あんなずっと昔のことをこんなにしつこく覚えていて、今も忘れられずにいるなんて。
思わずそっとリフィをうかがえば――。
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