3章

 


 ガーデンパーティというから、てっきりハンナム家の屋敷の庭園が会場なのかと思ったら――。


 不安と緊張に顔をこわばらせながら、招待状を手に乗り込んだその会場は。

 なんと、まさかの森だった。


「ようこそいらっしゃいました。あら、あなたお若いのに園芸がお好きなの? 嬉しいわ、あなたのようなお若い青年が興味を持ってくれるなんて。そうそう、あなた。今月のハンナム子爵婦人の園芸コラムはもうご覧になって?」

「まぁまぁ、今日はなんていい日なの。あ、良かったらこのパンフレットをどうぞ? ハンナム子爵婦人が主催する緑と野鳥の会の入会案内なの。会員募集中だから、あなたも申し込んでみたらどうかしら?」

「会員になると、毎月こうして森に集って自然と野鳥を愛でるのよ。それはもう心が洗われて、清々しいったらないの。若い男性の会員は少ないから、大歓迎よ!」


 着くなり目をキラキラと輝かせた年配のご婦人方に囲まれ、困惑していた。


 どうやらパートナーも連れず単身若い男がひとりで出席するのは、相当物珍しいらしい。

 ガーデンパーティだからひとりでもそれほど目立たずに済むんじゃないかと思っていたけれど、甘かったらしい。


 それにしても、どうしてリフィはこんなパーティに参加する気になったんだろう。あの青年が園芸好きには思えないし、引きこもっている間に園芸にでも目覚めたんだろうか。


 そんなことを考えながら、ようやくおばさま方の猛攻から逃げ出し、森の中を歩き回る。


 きょろきょろと落ち着きなく辺りを見回してはみるものの、肝心のリフィの姿は見当たらない。男女問わず若者が圧倒的に少ないから、いればすぐ見つかりそうなもんだけど。


 リードは手伝いがあるからととっくに会場入りしていたし、覚悟を決めて単身乗り込んだはもののこれでは探しようがない。


「まさか森の中でリフィを探す羽目になるなんて……。木の陰にでもいたら、とてもじゃないが見つけられないぞ」


 まさかこんな広大な森が会場だなんて、思いもしなかった。


 このガーデンパーティは野鳥観察も兼ねているらしく、ハンナム子爵婦人の集まりはいつもこうして森でまったりと開催されるらしい。その方が、ありのまま生きる自然な植物たちを愛でることができるから、という理由で。


「まいったな……。せっかく皆が段取りを付けてくれたのに、これじゃ日が暮れてしまう……」


 グラスを手に、うろうろと会場内をうろつき回る。


 その時、ちょうどリフィと同じくらいの背格好をした小柄な女性が目についた。もしやと思い、近くの樹木を眺める振りをして、さりげなく近づく。


 何人かの女性たちと固まって会話に花を咲かせているのだが、輪になって話しているために背中しか見えない。けれど、その女性の着ているものはリフィのイメージとはちょっと違っていた。


 シンプルなデザインのドレスは、リフィの好むピンクや淡いパステルカラーといったものとは真逆の落ち着いた色だし、少し大人びていて。

 それに、靴もリフィが苦手な踵の高いものだったし。


 人違いか、とため息をついて離れようとした時。


「リフィ!」


 リフィの名を呼ぶ男の声に、俺は驚いて振り向いた。


 振り向いた視線の先にいたのは、あの青年だった。


「こんなところにいたの。探したよ」


 振り向いたその少女は、確かにリフィだった。

 身につけているものが大人っぽいせいか、俺の知っているリフィとは少し印象が違っていたけれど。


 リフィがすぐ近くにいる。

 手を伸ばせば届くほどの距離に。


 その事実に、心臓が大きく高鳴る。それと同時に、間近で青年とリフィの話す様子を目にしてショックも受けていた。

 親しげに呼びかけた青年にやわらかい笑顔を向け、リフィが何かを答える。声は聞こえないけど、振り向いたその顔には明るい笑みが浮かんでいて。


 胸をぐっと強くつかまれたような痛みが走り抜けた。


 リフィの笑顔が痛い。あんなに見たかったはずの笑顔なのに、自分ではなく他の男に向けられている笑顔がこんなに痛く苦しいものだなんて思いもしなかった。


「……リフィ」


 気がついたら、名前を呼んでいた。


 その声に、リフィがゆっくりと振り向く。俺の姿を認めた瞬間、その顔からすっと笑みが消えた。


「えっ……? あ……どう、して。メリル……なんで、こんなところ……」


 リフィのうろたえたか細い声が、耳に届く。

 その声は動揺のせいか震えていた。


「……リフィ。俺は」


 名前を呟いたきり、何も言えないまま見つめ合う。

 なにか言わなきゃと思うのに、言葉が出てこない。


「その……俺は……。君に会いたくて……話を……」


 あんなに覚悟したはずだったのに、あんなに最後のチャンスなんだからちゃんと気持ちを一つ残らず伝えるんだって決めてここにきたのに。

 なんで言葉が出てこないんだ。


 とぎれとぎれにしか言葉がでてこない自分に苛立ちを感じながら、拳を握りしめた。


 過去に戻れる手鏡を女神にもらっても、だめだった。

 結果は二度とも変わらなかった。

 なら、直に会ってなんとかするしかないじゃないか。


 それしか、ないじゃないか。

 君を、取り戻すには――。

 なのに、ここにきても俺はまだ。


 けれどその時、皆の顔が脳裏に浮かんだ。

 そしてガーランの言ってくれた言葉も。


 ありのまま心の中にある気持ち全部を、カッコ悪いとか好かれたいとか余計なことを考えずに真っ直ぐ伝えろと、ガーランは言ってくれた。

 そうだ。俺にできるのはそんなことくらいだ。上手にカッコつけてなんて、できない。


 なら――。


 俺はぐっと拳を握りしめると、言葉を振り絞った。

 渾身の勇気を込めて。


「リフィ、お願いがあるんだ。君とどうしても話がしたい……。少し時間をくれないか!」


 震える声をごまかそうとしたらつい大きな声が出て、周囲の視線が集まる。しまったと思った時にはもう遅くて。


 そっとリフィの様子をうかがえば、きれいな薄茶色の目をまん丸にしてこちらを見ていた。

 その顔には、驚きと困惑が入り交じった表情が浮かんでいて。手に持ったハンカチを、せわしなく握りしめている。


 どうかうなずいてくれ、と祈る。

 ほんの少しでいいから話す時間をくれ、と。


 もしこれで君と話ができるのが最後だとしても、ちゃんとこの気持ちを君に伝えたいんだ。ずっと大好きだったって、今も大好きだって。


 返事を待つ時間を永遠のように感じながら、そう心の中で祈る。


 永遠に続くと思われた沈黙を打ち破ったのは、リフィでもなく俺でもなかった。


「いい加減、君も白黒はっきりつけたほうがいいんじゃないかな。あきらめるにしてもやり直すにしてもさ。リフィ」


 声の主は、リフィの遠縁だというその青年だった。


「君、メリル君だろ? 俺はリフィの遠縁で、リフィの父親に頼まれてお守り役を任されてるんだけど。そろそろ俺も家に戻らないといけないしさ、いい加減リフィも自分で答えを出すときだと思うんだよね。それは多分、君も同じだろ?」


 青年にそう問いかけられ、俺は拍子抜けしたような気分になっていた。


「俺はしばらく散歩でもしてくるからさ、二人でちゃんと話し合ったほうがいい。あ、それと君がこんなところまでリフィを追いかけきたことは、リフィの親父さんには内緒にしておくよ。あの人頑固だからさ。……その代わり、しっかりリフィのことつかまえろよ。本気で手放したくないならさ」


 これはもしかして、背中を押してくれているのか。

 ってことは、本当にこいつはただの親戚で落ち込んだリフィを励ますために行動をともにしていただけの関係なのか。

 なら、リフィにはまだ次の婚約話なんて――。


 差し込んだ一筋の光に、俺は力づけられた気がした。


「わかった。その……ありがとう」


 青年に礼をいい、そして今にも泣きそうな顔をしたリフィに向き直る。


「リフィ。その……久しぶり。突然会いにきて、驚かせてごめん。でもどうしても君に会って話がしたかったんだ。だから、ほんの少しでいいんだ。時間をくれないか?」

「わ、……私……」


 次の瞬間、リフィが怯えたようにじり、と後ずさった。

 けれど体のバランスを崩し、転びそうになる。



 とっさに俺は腕を伸ばし、倒れそうになるリフィを抱きとめた。


 その瞬間ふわり、とミコノスに良く似た甘い懐かしい香りがして、俺はくらりとするのを感じた。



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