見慣れているはずの自分の部屋で、

 皆が寝静まったこんな夜更けに、

 全身を煌々と発光させた女神が、

 満面の笑みを浮かべて手鏡はいりませんか?と熱心にプレゼンしている。


 そんな異様な光景を、俺はうさん臭い表情を隠そうともせずに眺めていた。


「この縁飾りのところ、ずいぶん装飾も頑張ったんですよ? なかなか繊細でいい出来だと思いませんか? ねね? 思うでしょ? ほら、それに柄の部分だって持ちやすいように丸みをつけてあるんですよ。いい感じですよね?」

「あー……、うん。悪くない、かもねー……」


 女神が得意気に胸を張った。


 この手鏡は、女神が手間暇かけて作ったお手製らしい。相当こだわりの逸品らしく、これでもかというくらい熱烈に売り込んでくる。


 でも正直男としては手鏡にそれほど興味もないんだけど。化粧直し、しないしね。


 そんなことを思いながら遠い目をしていると。


「実はこれ、次代の神器候補なんですよ。やっぱり神器ですからね、見た目の豪華さとか雰囲気とか、大事だと思うんですよね。こういうちょっとシックで不思議な紋様とか、好きでしょう? 人間って」

「は……?神……器?」


 確かに見た目は悪くないし、何か特別な力を秘めているような厳かな雰囲気はある。


 けど、神器候補って?

 神器って、あれだよな。神殿に滅茶苦茶うやうやしく飾られてる、滅多なことじゃ拝めない神聖なものだよな。


 まさかそんな軽いノリで作られてたのか?

 しかも、それを作ってるのが女神とか。


 一体この国の宗教観とか信仰はどうなっているんだと心配にもなるし、そんな女神を信仰しているこの国そのもの未来が心配だ。


「神官たちの注文って、結構難しいんですよ? こっちだって散々知恵を絞って作ってるのに、もっと豪華さがほしいとか色味が明るすぎるとか……。もちろん実際に私とおしゃべりするわけじゃないですよ。一応人間の前に姿を見せるのは、ここぞっていう時だけですからね」

「じゃあ、どうやって神官たちが文句つけるんだ?」


 つい好奇心にかられて、そう問いかけてみると。


「神官たちが神殿に集まっては、好き勝手言うんですよ。で、それを聞いた私が新しい神器を作って祭壇に置いておくと、神官たちが聞き届けられたー、とかこれぞ女神の奇跡だーとか喜ぶんです。なのでまぁ無視してもいいっちゃいいんですけど、やっぱりそうもいかないですもんねぇ……。貢物の有無にも関わりますし……」

「えええー……。そんなゆるい感じ……?」


 やっぱりおかしい。この国、大丈夫かな。

 本気でこの国の行く末が心配になって、女神をより一層残念そうな顔で見つめる。


「人間って、飽きるの早いですからねぇ。なので、そろそろ新しい神器に刷新したほうがいいと思って作ってみたんです。でもどうせなら、なにかあっと言わせるような機能がついていた方が楽しいかなって」


 もはや何も言い返す気にもなれず、呆れた表情を浮かべるしかない。


「あー……うん、話は大体分かった。その手鏡は確かにきれいだし、女性なら喜んで使いたがるんじゃないかと思うよ。……でもさ、俺は男だし手鏡は必要ないかな。それに過去に戻れるとかさ、そんなの信じられるわけないし……」


 そりゃ女神の言う通り、過去に戻って別の未来を見ることができるアイテムがあったら、すごいと思う。見てみたいと思うよ、誰だって。


 それが本当なら、ね。

 でもそんなもの、あるわけないじゃないか。

 この自称女神だって、俺のただの白昼夢かもしれないんだし。


 それに――、過去に戻りたいとは言った。戻れるものなら戻って、婚約が解消になった原因であるあの会話をやり直したい。

 リフィを取り戻せるかもしれないんだし。


 でもそんな都合のいい夢を信じるほど俺は子どもじゃないし、夢想家じゃない。


「えー……本当なのに。……そんなに若いのに、あんまり疑い深いと人生損しますよ?」


 女神が頬をふくらませ、眉根をひそめた。


「そんなこと言ったって、そう簡単に信じないだろ。普通。過去に戻れるとか、別の未来が見れるとかさ。そんなことできたら、そりゃ……」


 もしかしてこれは、新手の宗教勧誘なのかもしれない。

 あなたは女神を信じますか、信じてくれるなら今ならこの手鏡をプレゼント、的な。

 信仰があれば、きっと未来が見えるはずです。さあ、あなたもこの一緒にこの女神様を信仰しましょう、みたいなさ。

  

「でも、これを使えばあなたののぞいてみたい未来を見られるんですよ? もちろんお代は一切いただきませんし、身に危険が及ぶようなことも一切ありません。ただ過去に戻って、自分が選ばなかった別の未来をのぞけるだけ。ね、試してみたいでしょう?」


 女神にそう説得されて、ふと想像してみる。


 あの日リフィが聞いた自分と友人たちとの会話が、もっと別の内容だったら?

 もっと、たとえば自分をすごくほめていたり好意的な内容の発言だったら?


 そうしたらきっとリフィは傷ついて泣くこともないだろうし、リフィの父親だってあんなふうに怒り狂うこともなかったはずだ。むしろ、偶然町で遭遇したのだからとリフィと過ごす時間を持てたのかもしれない。

 もしそうだったらリフィとの仲も少しは深まったかもしれないし、少なくとも婚約解消なんてことには――。


 メリルの心は、ぐらぐらと揺れた。


 でも信じていいのか。こんな怪しげな女神と手鏡を。そんなものに望みをかけて、あとでがっかりするだけじゃないのか。

 でも。


「まぁ、そうだよな……。これがもし嘘でも幻でも、今よりひどい事態にはなりっこないし、これ以上絶望することもないだろうし。なら……」


 気づけばうっかり、そう答えていて。


「わぁ! ありがとうございますっ! じゃあ、さっそく詳細についてご説明しますねっ」


 女神が手を叩いて、嬉しそうに歓声をあげた。


 俺はそれを見ながら、こんなことを考えていた。


 この手鏡を手に入れて、あの日のあの場所に戻ってやり直そう。そして、リフィとの婚約解消した過去なんてなかったことにしようと――。




「じゃあ、これで契約成立ってことで!」

「はい! ……あ、ひとつだけ約束が! 決してこの手鏡を持っていることを、誰にも口外しないでくださいね。途中で他の方に使われてデータが台無しになったら困りますし。では、データを楽しみにしてますわ」


 そう言って、女神は空へと消えていった。


 見た目だけはそれなりの、手鏡だけを残して――。





 ◇◇◇◇



 女神はほくほくとした笑顔を浮かべ、空を浮遊していた。

 これでデータも手に入るし手鏡もいい感じだってほめてもらえたし、とご満悦な様子で夜空を漂う。


 けれどあの人、なんだか勘違いをしている気もするのだけれど、と女神は顎に指を当てた。


 あの手鏡は、決して過去を変えて今ある現実を変えられるようなものではない。ただ自分が選ばなかった未来がどんなものだったのかと、のぞき見ることができるだけで。

 そもそもそんなに簡単に現実が変わってしまったら、その人だけではなく、その人を取り巻くすべての運命が一緒に変わってしまう。


 つまりあれはただ単に、女神信仰を人間たちに広めるためのシュミレーションアイテムに過ぎないのだ。


 けれどあの若者は、変えたい過去があるんだなどとつぶやいていたような気もする。


 女神は、しばし難しい顔で考え込んだ。


「ま、大丈夫よね。一度戻ってみればわかることだし。もし今が変わらないと気づいてがっかりしても、やっぱり今を大事にしなきゃってきっと気づいてくれるわ。うん」


 女神は筋金入りの楽観主義者、いや楽観主義神であった。


「さ、もうひとりくらい被験者が必要よね。あの若者と対照的なデータという意味では、同じくらいの年頃の女の子なんてぴったりなんだけど。どこかに過去に戻りたがっている子は、いないかしら?」


 すっかりと若者のことなど忘れ、女神は次の被験者探しに意識を向ける。


 そして、ふよふよと気持ちよさそうに夜の空を舞い上がり、彼方へと消えていったのだった。

 


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