女神が過去をやり直せる手鏡をくれたので、婚約解消された元婚約者に今度こそ愛を乞うことにした

あゆみノワ(旧nowa) 書籍化進行中

1章



 リフィとの婚約が解消になって、五ヶ月が過ぎた。

 

 その間に変わったことと言えば、最低限の用事以外誰とも会わず屋敷に引きこもるようになったこと。

 あとは、目の下の隈とお友だちになったくらいか。


 あの日以來、屋敷中から憐れむような視線を背中にひしひしと感じながら、亡霊のように引きこもる毎日を送っている。




「あー……、眠りたくない。夢なんて見たくない。いっそ気絶するみたいに、何の夢もみずに目が覚めてくれたら……」


 自室の窓を開け、冷たい夜風を部屋に招き入れる。


 冷たい夜風でも全身に浴びれば眠気が覚めてくれるかと思ったのだが、どうやらそう簡単に消し飛んではくれないらしい。


 引きこもっているとはいっても、別にぐうたら遊んでいるわけではない。むしろ、あえて忙しくしているといってもいい。それこそ眠る時間を犠牲にするくらいには。


 今はたまたま学校が長期休みで領地に戻っているだけで、きちんと勉強にも励んでいるし、父の領地経営の手伝いもしている。

 よって、頭も体もくたくただ。


 けれど、眠りたくない。

 なのに。


 なんとかして眠らずにいる方法はないかと屋敷にある本を片っ端から読みふけってみたり、夜更けにも関わらずただいたずらに庭を歩き回ってはみても、結局睡魔との戦いには勝てない。


「眠い……が、眠りたくない。最悪だ……。一体いつまで俺はこんな毎日を続ければ……」


 学校があるうちはまだ良かった。寝食を忘れてひたすらに勉強に励めばいいのだし、その分成績も教師からの評価も上がって一挙両得なのだから。


 でも屋敷で生活しているとなると、そうはいかない。


 心身ともに弱っていく自分を心配して三食きっちりと健康的な食事が提供される上、少しでも残そうものなら母親の心配そうな顔が追いかけてくるのだ。

 そんな顔をされてしまっては、自分を痛めつけるような真似をするわけにはいかない。


 よって満たされたお腹のおかげで眠りたくないのに眠ってしまい、見たくもない夢を見ては落ち込むという無限ループに陥っていた。




 なんで眠りたくないのかなんて、そんなの決まってる。夢を見たくないからだ。

 あの花がほころぶような柔らかい笑顔を浮かべた、婚約者――いや、元婚約者の夢を。


 メリルは、弱々しいため息をたっぷりと吐き出した。


「リフィと会えなくなって、もう五ヶ月。会いにいってもリフィの父親に門前払いされるに決まってるし、謝罪の手紙を書こうにも、何を書けばいいのかわからないし……」


 リフィには、婚約解消以来一度も会っていない。

 その上、リフィの父親からは絶対に屋敷にもリフィの身辺にも近づくなと固く言い渡されている。

 

「そもそも手紙を書くにしたって、なんて書けばいい? 友人に君のことをうまく説明できなくて、ごめん? いや、でも別に好きじゃないとか余計なことを言ったのはリードで、俺はそんなこと一言も……! 俺がリフィのことを嫌いなわけないじゃないか……!」


 何度繰り返したかわからない自問自答を、今日も飽きもせず繰り返す。


「このまま一生、リフィにもう会えないのか。五年も婚約していたのに? ああ、もう一体どうしたら……。いっそ過去に戻って、あの日をやり直せたらいいのに……!」


 そう苛立ちを込めて吐き出した、その時だった。




「こんばんは~! 夜分に失礼しまぁす」


 自分しかいないはずの部屋に鈴を転がしたような澄んだ声がして、その声のした方を勢いよく振り向いた。


「……はっ?」


 メリルは目をごしごしとこすり、目の前に不自然に浮かぶそれを二度見、三度見した。


 今はとっぷりと夜も更けた真夜中で、ここはメリルに与えられた自室である。よって、ここにいるのは自分だけのはず。


 窓は開け放してあるとはいえ部屋の扉は鍵がかけてあるし、ここは大きな屋敷の二階に位置している。何者かが音もなく侵入するなど、ありえない。

 なのになぜ、目の前に全身をまばゆく発光させた女性が出現しているのか。


「こんばんは。突然お邪魔してすみません。私、この国の女神です。……突然ですが、過去に戻れる不思議な手鏡にご興味はありませんか?」


 たっぷりとした間の後、メリルはゆっくりと瞬きを繰り返した。


「は……? 女神……?」

「はい! 女神ですっ」


 あんぐりと口を開いたままそう問いかけると、すこぶる元気な返事が返ってきた。


 メリルはもう一度目をこすり、目の前のそれをまじまじと見つめた。


「え、だ、誰……? 女神って……あの神殿とかに祀られてる?」

「はい! その、女神ですっ。こんばんは」


 呆気にとられながらも、その姿をまじまじ見てみれば。


 なんと、その体は宙に浮いていた。

 その上、黄金色に輝くながい髪と裾のやたら長いひらひらとした衣服までもが、無風であるはずの部屋の中で不自然にたなびいている。

 

 しかもさっき、何かおかしいことを言ってたな。

 何だっけ? 過去がどうとか……。


「ええっと……。過去に戻れる……何だっけ?」

「手鏡ですっ! 過去に戻って今とは別の未来をのぞける不思議な手鏡です! 今ならもれなく、付属の巾着袋もセットでお付けしますよ」


 突如何の前触れもなく姿を現したその浮遊体は、自らを女神だと名乗った。

 そしてあまつさえ、過去に戻れる手鏡はいりませんか、などと話し出した。


 どうやらずいぶん疲れがたまっているらしい。

 いや、睡眠不足がたたっていよいよ頭が壊れ始めているのかもしれない。

 何しろもう何ヶ月も安眠などできていないのだから、無理もないが。


 自分の頭がついに壊れてしまったかと頭を抱え込み、再度目をこすり目の前の浮遊体を見つめ直す。


 が、やはりそれは消えることなく目の前にふよふよと浮かんでいて――。


 女神はにこにこと人懐っこい笑みを顔中にたたえて、背と同じくらい長く伸びた金色の髪をふわりふわりとたなびかせている。

 ありえないほどのまばゆさを放ち、部屋のど真ん中で気持ちよさそうにふよふよと浮かびながら。


 ちなみにまばゆい、というのはまさに文字通りの意味だ。なにしろずっと全身から強い光を放っているせいで、いささか目がチカチカして痛い。


「えーと……、なんか良くわかんないけど。不法侵入と押し売りはお断りなんだ……。帰ってくれるかな?」


 だってどう考えても怪しい。

 女神かどうかは別として、いや別にしていいのかもよくわかんないけど。とりあえず押し売りは断るが吉だ。面倒なことになる未来しか見えないし。


 メリルはどこか冷静に、自称女神を追い出しにかかる。


 けれどその態度に嫌な顔ひとつすることなく、女神は笑みを浮かべたまま顎に人差し指を当て、不思議そうに首をちょこんと傾げた。


「えー? だってさっきあなた、過去をやり直したいって言ってましたよね? 過去に戻って、あの日をやり直したいって。その声が聞こえたから、私ここに来たんですよ?」


 おい、ちょっと待て。なぜそれを知っている。


 誰もいない部屋で呟いただけのひとり言を、なぜ一言一句違わずに口にできるのか。

 いや、女神だったらひとり言どころかなんでもお見通しなのか? 何しろ、鍵のかかったドアも窓もお構いなしに入り込めるみたいだし。


 のぞき見か? のぞき見されていたのか? プライバシーはどうした、プライバシーは。


「……」


 思わず黙り込んで女神を鋭い目で見つめ返す。


「空を飛んでいたら、あなたの声が聞こえたんですよね。過去に戻ってやり直したいって声が。なので、ぜひこの手鏡の被験者になっていただけないかと思いまして」

 

 そう言うと女神はどこか自慢げな笑みを受かべ、ひょいと懐から手鏡を差し出したのだった。



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