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メリルは、もう小一時間近くも同じ体勢で思い悩んでいた。
「落ち着いて考えろ。……過去に戻れるチャンスは、三回だけ。あの日は確か学校が休みで、皆で何か食べに行こうって話になって町に出かけたんだった。で、本屋の前の通りを過ぎた辺りで……」
この手鏡を女神から受け取った時にされた説明を、頭の中で思い返す。
『なるほど。じゃあ過去に戻れるのは三回までなんだな。それ以降はただの鏡に戻る、と』
さすがに女神の不思議アイテムと言えども、回数無制限に過去に戻れるわけではないらしい。
戻れるのは三回まで。手鏡を見つめながら心の中で強く念じてもいいし、いつに戻りたいのかを口に出してもいいらしい。
『ええ。それと、データは勝手にこちらに自動送信されますから、被験者様には何もしていただく必要はありません。ただ過去に戻ってくれさえすれば、それだけで。まぁ必ずしも三回とも戻らなくてもかまわないんですけど。戻らないと決めたその行動も、データのひとつですからね』
女神の目的は、手鏡を使って過去に戻った人間の心情や行動についてのデータを取ることらしい。今後の神器作成の参考にするんだそうだ。
『もし回数を残して使わなくなったら?』
『一定期間が過ぎると効力がなくなるので、どの道ただの鏡に戻ります。なので、放っておいていただければ結構ですよ』
『ふぅん……。なるほど』
そんなやりとりを思い出す。
「三回までか……。戻るのはあの日のあの場所でいいけど、どうすれば過去が書き換わるんだろうな……」
あの日は学校が休みで、たまには皆で美味しいものでも食べに町に行こうと友人たちと町へ出かけたんだった。
そして、気のおけない友人たちと連れ立って町を歩きながら話をしていたところに、偶然父親と買い物に訪れていたリフィが通りがかった。
それだけでもすごい偶然だが、まさにその時、婚約者であるリフィをどう思っているのか、というなんともセンシティブな話をしていたのはなんともすごい偶然の重なりではある。最悪な意味でだけど。
『それで? メリル、お前の婚約者はどんな子だ? まだ一度も会わせてもらったことなかったよな』
友人のガーランにそう問われ、俺はうろたえた。
婚約者がいるという話はしていたが、友人同士でリフィについて話したことはそれまで一度もなかったから。
どう答えればいいのだろう。リフィがどんな子かと聞かれても、頭の中があのかわいらしい微笑みでいっぱいになってしまい、もう好きだという感情しか浮かんでこない。
『えっと……どんなって、いい子だよ。大人しくていつもうつむいてるけど、か……か、かわ……、いや。その、あんまりどこかに一緒に行ったこともないし、俺が学校に入ってからは会う機会もないしで手紙のやり取りしかしてないんだ。どんな子かなんて、そんな簡単に説明できないよ』
かわいいと言おうとして、見事に舌を噛んでやめた。
もしかわいいなんて言ってこいつらに興味を持たれたら、横からかっさらわれないとも限らない。
特にこのガーランは会話もうまいし、女性にも人気がある。もしリフィがこいつにころっといきでもしたら、絶望しかない。
絶対にそんなのは嫌だ。誰にもリフィを渡したくない。
リフィと婚約してからもう五年もたつけれど、いまだにリフィの顔をまともに見られない。好きすぎて、表情筋がコントロールできなくなってしまうのだ。
よって、とてもじゃないけど二人きりでどこかに出かけるなんてできない。
せいぜいが互いの屋敷を行き来して、庭を二人で歩いたりするくらいで。
向き合ってカフェでお茶をするとか、着飾って劇を見に行くとかそんなこと考えただけで、鼻血を出して倒れる自信がある。
そんな無様な格好をさらすわけにはいかない。絶対に。
だから、これまでデートらしいデートに誘ったこともなければ、手紙のやり取りだって近況連絡みたいな日記レベルのつたないやりとりが精一杯だ。
もちろんそれを不甲斐ないとは思うけれど、リフィからもどこに行きたいとか言われたこともないし、手紙だってちゃんと返事がくるし。
でもいくらなんで今の言い方じゃ、確かに婚約者に何の興味もないひどい奴みたいにも聞こえかねない。そう思って、弁解しようとした時だった。
リードの奴が余計なことを言ったのはーー。
『へぇ。まぁ所詮は、家同士の政略みたいなもんだもんな。てっきりメリルも、他の奴らみたいにぞっこんなんだと思ってたよ。けど、違ったんだな。意外だったよ』
『え? それ、どういう意味だよ。俺はちゃんとリフィのこと……』
友人たちの中で、未だ婚約者がいないのはリードだけだ。そのせいか、婚約者のいる俺たちに対して少々ひがみっぽくなる時がある。この時もそうだったのかもしれない。
けれど、タイミングが最悪だった。少なくとも、俺とリフィにとっては。
それじゃまるで俺がリフィを大して好きじゃないみたいじゃないかと反論しかけた時。
背後でガシャン、と何かが割れるような音がした。
振り返った先で見たものは、蒼白な顔をしたリフィと、その足元に散らばるおそらくは買ったばかりであろうかわいらしいティーカップの残骸だった。
『リフィ……? どうして君がここに……?』
まさか会話のやりとりをすべて聞かれていたなんて夢にも思わず、俺は間抜けな顔をしてリフィに問いかけた。
『わ……私……』
みるみるリフィの両目に涙が盛り上がり、頬を伝わって地面に落ちる。
『えっ! リ、リフィ?』
リフィは涙に濡れる真っ青な顔を両手で覆い、そして身を翻して逃げ出した。
一体何が起きたのか分からず、それを引き止めることも出来ずにぼうっと突っ立ったままの俺の前に、大きな体が立ちはだかった。
『メリル君……。君という男は……! もういい、お前のようなヘタレには娘はやらんっ! 今この場を持って、娘との婚約は解消してもらう! わかったな』
その大きな体を恐る恐る見上げてみれば、そこにいたのはともに買い物にきていたリフィの父親だった。
そしてメリルは、その父親にものすごい形相でにらみつけられていた。
『いいなっ! 今日この時をもって、お前とリフィの婚約は解消とするっ! 二度と娘に近づくことは許さんっ』
『婚約……解消……? ええええっっ?』
思わず大声で叫んでいた。
なぜ突然に、婚約解消なんて話になったんだ。
これまで五年の間、一度だって婚約に反対したことなんてなかったのに。
そもそも俺の父親とリフィの父親が友人で、互いの娘と息子が結婚したらいいな、なんて思いつきで取りまとめた婚約なのだ。
それを今になって、解消だなんてーー。
『なぜですかっ! 俺は……いや、私はリフィのことを……』
『黙らんかっ! 今の発言でよく分かった。お前にはリフィはもったいない。気持ち一つ婚約者に伝えることもできず、あまつさえあの子の良ささえ語れず、しかもこの五年もの間あの子をつなぎとめる努力さえしておらんとはっ! 許しがたいっ。お前になど、あの宝をやれるかっ! 婚約は解消だっ』
そうして一方的に、弁解の余地さえ与えられないまま俺とリフィの婚約は解消されたのだった。
その日以来、リフィには一度も会っていない。
そしてリフィとの未来を閉ざされた俺は、その日から亡霊のようにひたすらに引きこもり、ただ時が過ぎるのをぼんやりとみているだけの抜け殻になったのだった。
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