第七話「中原の姫君」

 晴明と美夕は五兵に連れられ、樫の木の大穴に入った。

 中には、どうやって建てたのか。小さな小屋が建っていた。

 五兵は建て付けの悪い。ボロボロの木戸をやっと、開けると

「おい、今、帰ったぞ。安倍晴明様をお連れした」と中に向かって声を掛けた。


 すると、中からコホンコホンと苦しそうに咳き込む声が聴こえた。

「ボロ屋ですがどうぞ」

 五兵は晴明と、美夕を招き入れたが。

 何かを感じた晴明は、美夕に念のため入らず、戸の外で待つように伝えた。


 小屋は所々に蜘蛛の巣がはっており、あちらこちらの壁に穴が開いていて。

 すきま風が入ってくる。畳もボロボロで所々、ささくれだっていた。

 ボロのふすま(平安時代の寝具)を掛け、やせ細った女人が寝ていた。

「お客様かい?」

 女人は、弱弱しく起きあがった。熱で顔が真っ赤になっている。

「お夏! 寝てなきゃ駄目だ!」五兵は妻を気遣ってまた、寝かせた。


「どれ、私が診よう……お夏殿。失礼するぞ」

 晴明はお夏に近づき、着物をめくり術を使い、胸を診た。

 お夏は、もうろうとして羞恥しゅうちしんが鈍くなっているらしく。

 晴明に胸を見られても、ぽけっとした顔をしている。晴明の顔がみるみる、険しくなった。

「ふむ、これはどうやら胸の病のようだ」

 この頃の医療には、肺の病は治せない難病だった。


 五兵は顔を真っ青にし、晴明にすがった。

「お夏は! 女房は治りますだか!?」

 晴明はあごを撫でた。

「そうさな……普通なら治らない病だが。私なら、治せん事もない。安心するが良い」

 晴明の祈祷きとうが始まった。美夕も五兵も固唾を飲んで見守っている。

 晴明は夏の胸に手を当てると、呪を唱えだした。

「センダリ、マトオウギソワカ……」

 晴明の当てている右手が、青色に輝き始めた。


 美夕は、晴明の霊力を肌で感じていた。

「あれは、薬師やくし如来にょらい真言……凄い霊力、普通の呪と違う!

 やっぱり、晴明様は凄いです!」

 美夕が、戸の外から覗き込みながらつぶやき、

「良かったですね!

 これで、あなたの奥様のご病気は、治りますよ」と、五兵に微笑みかけると。

 五兵は涙を流して、うなずいた。晴明の祈祷は続く。


「センダリ、マトオウギソワカ……

 オンコロコロ、センダリマトオウギ……ソワカ!」

 青い光は弾け、夏の身体をおおった。夏の顔色は良くなり、肌に艶が出て、

 紫色だった唇は桜色になった。身体が楽になった、夏はそのまま眠りに落ちた。

「治療は終わった……これでもう、苦しむ事もない」


 晴明が言うと、五兵は涙を流し喜んだ。

「晴明様! ありがとうごぜえやした。何とお礼を言って、良いか!」

 と頭を下げると、晴明はにこりと微笑み。

「どうやらお夏殿は、身ごもっているようだ。後で、私の知り合いの産婆をよこそう。

 これは、産後の肥立ちに良いだ……妻の腹に巻いておくが、よいぞ。

 それと、これで何か精のつくものでも食うが良い」

 と、符と金の入った袋を手渡した。


 五兵はあわてて、断ろうとした。

「そんな、晴明様! そいつは、いけねえ。

 病気を治して、頂いた上に霊験あらたかな札と、金まで、

 もらったらオラ、お天道様に顔向け出来ねえだよ!

 それに産婆なんて、そんな金ありませんだ!」


「金はいらぬ。困っている者から、金を取ろうとは、思わないからな」と軽く微笑むと、

 美夕も「そう言う事です」と、嬉しそうに微笑んだ。

「それじゃ、申し訳がたたねえだ」

 と五兵は言うと、引き出しから小さなはまぐりを取り出した。

 その中には、何やら軟膏のような物が、入っている。

「これは、どんな傷にも効く、オイラの一族の“霊薬”ですだ!

 どうか、これをお持ちくだせえ」と、五兵は霊薬を差し出した。

 晴明はフッと微笑むと「もらっておけ、美夕」と、手渡した。


「五兵さん、ありがとうございます」

 美夕は晴明から薬を受け取り、ふところにしまった。

 晴明は五兵に働き口まで、紹介した。

「晴明様! このご恩は一生忘れません!

 作物が採れたら必ず、お届けいたしますんで」

 五兵は手を合わせ何度も、何度も頭を下げた。

 晴明と美夕は、清々しい心持ちで五兵の家を後にした。




「少し、遅くなってしまいましたね。

 ところで今日は、どこにお仕事に行かれるのですか?」

 晴明はう~んと、一声唸り。

「中納言、中原清道なかはらのきよみち公のお屋敷にゆくのだ…これがまた、厄介事でな」と

 眉根を寄せ、はあっと溜め息を吐いた。


「厄介事とは?」

 美夕が首をかしげた。晴明は「清道公には、十になる蘭子様という

 姫君がいてな。その姫君が、私に求婚をしてくるのだ。もう、熱烈に!」

 とげっそりとして言うと、「可愛いものじゃないですか」

 と美夕が笑いながら言った。晴明は美夕の肩を軽く叩き、


「それだけならまだ、可愛くて許せるのだ。だが、その話に清道公も乗り気でな。

 言っておくが美夕、私は幼女には興味はないぞ!」と、興奮気味に言うと、

 美夕は溜め息をもらし「嫌ならどうして、断らないのですか。」と聞いた。

 すると、晴明は切なげな表情になり首に掛けている数珠を触りながら。

「姫君には、霊が取り憑いているのだ。それで私が、姫の世話係りに選ばれてな……

 聞けば、早くに母君を亡くしたというではないか。

 人事とは思えず、放っておけなくてな……」と言った。


 美夕は切なげにうつむき。

「そうですか……姫様、お可哀相に。やっぱりお優しいですね。晴明様は」

 そう、晴明は五つの時、母葛ノ葉の正体が白狐と知り、

 正体が子供にも、夫にも明かされてしまった、葛ノ葉は。

 幼い童子丸(晴明)を残し、故郷の和泉いずみ信太しのだの森へ帰ってしまったのである。


「御主人様、中原清道公の、お屋敷に着きました」

 従者の声が外から聴こえ、牛車の後方が開けられた。

 晴明と美夕は牛車を降り、中原の屋敷の門を潜った。

 大きな紅葉の木がある、広い庭。その下に少女と女房達がいる。

 少し吊り上った黒色の大きな瞳、腰まで掛かる黒髪、可愛らしい10歳位の少女。


 少女は晴明の姿を見つけると、「晴明~!」と、

 無邪気に駆け寄ってきて、いきなり抱きついた。

 蘭子は晴明の胸に頬をすり寄せながら「晴明! 遅かったではないかー!

 蘭子は、待ちくたびれたぞ? さあ、再会の熱い接吻せっぷんを!!」

 と、晴明に熱烈に口付けを迫ってきた。どうやら、この少女が噂の中原蘭子なかはらのらんこ姫らしい。


 それを、見ていた美夕は「姫様! 接吻は駄目です!」と、少し怒って割って入った。

「誰じゃ、そなたは? 」冷ややかな目で美夕を睨む蘭子。

「その金色の目、そなた化生じゃな?

 化生ごときがわらわと、わらわの愛しい晴明との恋仲を邪魔立てするか!?」


 美夕は、少女らしくない蘭子の物言いにムッとして。

「姫様、お言葉ですが。化生だって、女です! 晴明様が嫌がっておられますよ!?」

 と言うと、蘭子は晴明を見上げ。

「無礼な女じゃ、この化生女は一体、誰じゃ? そなたの何なのじゃ」

 とジロリと晴明を睨むと晴明は、はははと乾いた笑いをもらした。

「姫君……これは、美夕と言って私の妹のようなものですよ」と誤魔化した。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 ◇今回の登場人物◇

 五兵ごへい

 狐のあやかし、妻思いで病気のお夏のために勇気を振り絞り

 晴明の牛車の前に飛び出した。


 お夏

 狐のあやかし、五兵の妻。不治の病で苦しんでいた。            


 中原蘭子なかはらのらんこ

 中原の姫君。晴明が好きで熱烈に迫っている少女。

 母親亡き後、甘やかされて

 育てられたせいか、かなりのわがままである。


 ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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