第1話 貴族社会って難しい。

◆◆◆

 

 その学園は、すべての貴族にとって約束された繫栄の象徴だった。


 『ノブレスオブリージュ女学園』

 創立180年。

 世界各国の王族が、身分関係なくその尊い血と才能にあふれる未来ある貴族の令嬢を『養成』し、貴族社会に進出させることを目的とした伝統と格式ある学園『国家』だ。


 ここで貴族の令嬢としての教育を学び、卒業した生徒は、みなが幸福な未来を約束され、それは血族によった地位に関係なく、その令嬢の『格式』にふさわしい爵位が与えられるという。


 在学期間は――無制限。


 敷地面積――小国一つ分。

 在籍生徒――3000人。


 そしてこの学園では少し変わった価値基準がある。

 それは『血』でも『地位』でもなく、で――

 

「やめて、お願い。――さま。わたしはなにも、何も知らなかったの! だから――」


 この学園では、ありとあらゆる手段が黙認されている。


◆◆◆


「エマ=ワトソンさん。あなた、いい加減に身の程をわきまえたらいかがかしら?」


 そう上級令嬢に脅されたとき、貴族はなんと返すのが正解なのだろう。

 陽気な日の光が降り注ぐ食堂の昼下がり。

 エマ=ワトソンは、口に頬張ったお手製のサンドイッチを一度吹き出しかけて、生死の境をさまよいかけていた。

 いや、令嬢らしくないのは百も承知だ。

 でもびっくりしちゃったんだからしょうがない。

 ドンドンと自分でも悲しくなるくらい薄い胸を強く叩き、ほっと息をつけば、怪訝そうな目でエマを見下ろす副会長と目が合った。


「あなた、なにやってるの?」

「ええ、ほんと何やってるんでしょうね」

 

 ボクだって、なんでこんなことになっているのかわからない。

 そもそも平民が貴族の令嬢になれるところからおかしいんだ。

 つまり、この世界が間違っていることになる・


「それでベアトリーチェ副会長。生徒会派閥のあなたがこんな下級食堂に何の御用で」

「それはあなたが一番よくわかっているのではなくて? 学園きってのトラブルメイカーさん?」


 ええ、存じ上げておりますとも。

 どうせあのお騒がせな男のことでしょう?

 なにせ今日の午前中だけでも四度目、あなたと同じ派閥から嫌味を言われたし。


「わかっているのならなおさらはっきり言わせてもらいます。エマ=ワトソンさん。ジェイムズ殿下との婚約を今すぐ破棄なさい。あの方は平民のあなたにはふさわしくありません。王族との婚約はエリザベート様こそがふさわしい」


 はぁ。やっぱりそのことか。

 言いたいことはわかる。

 ボクだって王族と『元』平民が婚約なんてどこをどうやったらそうなったか問い詰めたいくらいの大問題だってことはわかっている。

 だけど人がわざわざ気を遣ってわざわざ目立たない食堂の隅っこでボッチ飯を極めらているというのに、なんでわざわざ目立つようなことをするかな。


 ほらみんなザワザワしちゃったじゃん。


(まぁ今のトレンドは間違いなくボク等だから注目するのもわかるけど)


 といっても――


「ボクにその権利がないのは、ベアトリーチェ副会長が一番よく知ってるんじゃないですか?」


「ええ、わたくしだってこの学園の生徒です。婚約者の選定は王族に一任されています。わたくしもあなたにエリザベート様以上の令嬢の素養があればこんなことはおっしゃらなかったでしょう。ですが他人のあら探しを趣味にするような下賤な方に、王族の伴侶は務まるとは思いません」


「え―とそれは言いすぎなんじゃありません?」


「純然たる事実です」


 あーそうですか。

 まぁたしかに、問題を大きくしてしまうのはボク等の悪い癖だ。

 だけど他人の秘密をいちいち大々的にしゃべりたがるのはであって、ボクの趣味でないことだけは声高らかに主張したい。


 ボクは見ての通り身も心も臆病な平民で、権力に逆らって波風を立てるつもりはさらさらない。


「つまり、あなたはこの学園の秩序を乱している自覚が全くないと」

「そもそも隠れた悪事をあばいただけですよね。それのなにがいけないんですか?」


 どっちかっていうと悪いことしたやつが悪いに決まっている。

 なのになんでいいことをしたエマの方が怒られるのだから不思議だ。


 パンケーキ爆散事件も踊る甲冑斬殺事件も、なんだかんだ生徒会の役に立ったと思うんだけど。


 すると騒ぎを聞きつけたのか。遠くの方から「えーまー=わーとーそーん!」とデーモンも逃げ出すような顔つきでクルクル髪を振り乱した三十代前後のご令嬢がやってきた。


「よくもこのあたくしを騙し腐りやがりましたわね」

「ええっと、あなたはシャーリンさん、でしたっけ? いったい何のことですか? 事件は無事に解決したはずですけど」

「あなた方のせいで、先生方にバレてポイントを減らされてしまいましたわ。どうしてくれますのよ」


 そういってドンと先日解決したばかりの真っ赤に濡れたナイフをテーブルにたたきつける。

 あーこれは、お夜食つまみ食い事件で出た証拠品だ。

 犯人が分かってその証拠品として昨日シャーリンさんにわたしたんだけど、


「もしかしてこれずっと持ち歩いてたの?」

「あたくしをハメようとした犯人の持ち物なんですもの。当り前じゃありませんこと」


 あーたしかにこれを持ち歩いてたんなら令嬢らしくないと文字通り減点されるよね。

 

 だけどボク等の仕事は、事件の解決まででそのあとのことなど正直、知ったこっちゃない。

 だから先生たちに見つかったとしたら、単に運が悪かっただけだと思うんだけど。


「しらじらしい。改革派閥と結託してこのわたくしを貶めようとしたんでしょう」

「いやいや、それは妄想が飛躍しすぎなんじゃ――」

「では絶対にないと保証できますの? 聞けば、あなたの主は他人の秘密を暴露するのがたいそうお好きと聞きますわよ」


 うっ、それを言われるとあのお嬢様ならやりかねないけど。


「だったら証拠でもあるんですか?」

「しょ、証拠ですの?」

「ええ、ボクらがシャーリンさんを陥れったって証拠です。なにかあるんですか?」


 そういってわざとらしく首を傾げれば、語気を強めたシャーリンの言葉がわずかに詰まった。

 うんうん。そうだよね。黙るしかないよね?

 だってこの学園の常識では、ハメられた方が負けなのだ。


 こんな人気の多い場所で証拠がないと公言するのは、自分は無能ですと、大勢の前で宣言するようなものなのだから。


「それに文句があるのなら助手のボクじゃなく、うちのシャーロットに言ったほうが確実だと思うんですけど」

「そ、それは――」


 あのお嬢様なら、嬉々としてケンカを買ってくれると思うんだけど。

 まぁその年でいまだ下級令嬢なら、階級的に無茶というものか。


(なにせ、この学園の階級制度は少々特殊だもんね)


 『外』の世界では、地位や身分がそのまま役職や重要な地位に取り立てられることがあるようだが、ノブレスオブリージュ女学園では違う。


 この学園では、驚くことに血や身分ではなく、で階級が決まるのだ。


 階級は下から順に下級令嬢・中級令嬢・上級令嬢といった具合に分けされており、毎月、運営される上納ポイントと成績、そして交友関係を加味してポイントが与えられる。


 評価基準は


 だからたとえ伯爵家の長女であろうと、王族の婚約者であろうと、この学園では貴族らしくないと判断されれば下級令嬢として生きなければならない。


 こうして下級令嬢のシャーリンが、ボクの方にクレームを言いに来たのも、相手の階級が自分より上だとわかっているからだろう。

 ボク? もちろん下級貴族だけどなにか?


「そういうわけで、事件解決のクレームならボクじゃなく、うちのシャーロットの方にお願いします」

「うぐぐぐぐぐ」


 するとボク等の成り行きをじっと見ていたベアトリーチェがシャーリンを庇うように一歩前に出て、ボクの前に立った。


「シャーリンさん。貴女の心中、お察ししますわ。ですがこれ以上は個人の問題じゃなく派閥の問題になります。今回はわたくしの顔を立ててはくれないかしら」

「ですがベアトリーチェ様。あたくし――」

「シャーリンさんの件でしたら、わたくしが先生にとりなしておきます。なに、お友達なんですもの、あなたを奴隷には落とさせませんわ」

「ベアトリーチェ様」


 ウルウルと目を潤ませる太めなシャーリン。

 その彼女の顔を見つめるベアトリーチェの顔は、どこまでも計算尽くされた女神のような慈愛に満ちたものになっていた。


(ああ、なるほど。つまり利用されたと)


 そういえばシャーリンの実家は魔鉱石を大量に扱っている商家の貴族だと聞いたことがある。

 もし、彼女がボクのもとまでクレームを言いに来るように、のだとしたら、上級令嬢である彼女が、こんな下級令嬢が利用する食堂に来るのも納得できる。


 はぁ、ほんと貴族って難しい。


「そういうわけでエマ=ワトソンさん。今日のところは、引き下がりましょう。ですが早めに決断することをお勧めしますわ。ここは誇り高き貴族が通うノブレスオブリージュ女学園。王族の伴侶の座を狙う方は我々以外にもたくさんおりますので」

「……ええ、過分なご配慮、ありがたく頂戴します。ベアトリーチェ様」


 そう言って嫌味たっぷりな皮肉を前に、今にもひび割れしそうなぎこちない笑みを浮かべて、うやうやしく一礼する。

 そうだ。我慢だ、我慢だエマ=ワトソン。

 ここで令嬢らしさを失えば、平民上がりが、とまた陰口をたたかれ、面倒ごとが舞い込む毎日になってしまう。


 すべては平和で平穏な、学園生活のために!!!!


 そうして問題ごとに嬉々として首を突っ込みたがる黒い喪服ドレスの探偵令嬢の姿を頭の隅に追いやり、楽しみにしていた昼食を優雅に再開させると、


『シャーロット探偵クラブ所属のエマ=ワトソンさん。至急、教員室に来てください。婚約者ジェームズ・ディアノルドさまとシャーロット=ディザスターさまがお待ちで――ちょ、誰か二人をお止めて!!』


 もはや優雅を通り越して響き渡る先生の声と『二人』の婚約者の名前に、ボクの貴族の仮面は容赦なく崩れ落ち、哀れな『元』平民の慟哭が昼の食堂に響き渡るのであった。

 

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