第13話

☆ 日比野 蓮


「ぶえっくしょい!」

「なぁに蓮ちゃん。風邪?」

「いやぁ、これは古風に誰かが噂でもしてるんじゃないですかねぇ。タカシとか」

 今日はバイトが休みだから夕飯の支度をする京子さんを手伝ってるんだけど、こりゃタカシのおかずはちょっと減らさなきゃね。


「それはそうと蓮ちゃん。女の子なんだからもう少しお淑やかにくしゃみしたほうがいいんじゃない?」

 お淑やかなくしゃみってなによ……。まぁ、ぶえっくしょいはさすがにナイかなぁ。おっさんみたいだし。語尾に『ええい、ちくしょう』とか付け加えたらなおさらそれっぽい。深雪なら可愛らしく両手で口を覆って『くちゅん!』とか言うんでしょうね。

「ってかタカシは漫画一冊買うのにどこまで行ってんのよ」



☆ 岩見タカシ


「ねぇ京子さん。ちょーっと聞きたいことがあるんですけどいいですか?」

「内容によりまーす」

 深雪ちゃんのお悩み相談から数日。俺は意を決してプロ野球のナイターを見ながらくつろいでいる京子さんに話しかけた。


「ここの下宿の入居条件ってなんなんですか」

「どしたの急に?」

「や、ここってあまりにも好条件すぎるって言うか、普通に考えてこんなに美味しい物件なんてなかなか無いよなぁって思いまして。食費から光熱費まで全部込みで月三万だと入居希望の人があふれるくらいいても不思議じゃないよねって蓮さんと話したことがあるんです」

 京子さんはなんだか楽しそうに『ふんふん』と頷いている。原作者相手に読者の下手な推理を聞いてもらってるような気分でちょっぴりやりづらい。


「そ、それでですね。ひょっとしたら入居条件があって、数多の入居希望者はそこではじかれてるんじゃないかという答えに辿り着いたわけでして……」

「大当たりー」

「ですよね、やっぱり違いま……え?」

 大当たり? 


「マ、マジで入居条件があったんですか?」

「えぇ。人によっては面談もしてるのよ。それで条件に合致しなかったり、この子はウチに住まなくても大丈夫だなぁって思った希望者には申し訳ないけどお断りの連絡を入れてるの。じゃないとすぐに部屋がパンクしちゃうもの。私の体力が持たないだろうし」

「面談って、俺はやった覚えがないんですけど……?」

「タカシくんのことは親御さんから色々聞いてたからそこで決めたの」

「なる、ほど?」

 親父め。京子さんに何を吹き込んだんだ。入居OKになったから良かったものの、下手したら俺のプライベートが失われた上で入居お断りなんていう事態になってたんだぞ。


「じゃあ蓮さんや治さんとも面談を?」

「えぇ、したわよ。二人とも素直でいい子だったし、身の上話を聞いたら居ても立ってもいられなくなってね。蓮ちゃんに至っては家出して住むところがないっていうからその日から住んでもらったわ」

「ってことは蓮さんの家のことも知ってるってことで?」

 それまでニコニコと楽しそうに話していた京子さんは少しだけ笑顔の質を変えて「……えぇ」と頷いた。上手く言えないけど、優しい嘘を信じきっている子どもの話を聞いた時みたいなちょっぴり寂し気な笑みだ。


「蓮ちゃんは『産まれる家を間違えた。京子さんの子だったら良かったのに』って常々言ってたわねぇ。私は嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちになったことを覚えてるわ。まぁ、ウチに辿り着いたのはみんな似たような思いを抱えた子ばかりだけど」

「似たようなって……俺も?」

「もちろん」

「え、でも俺、蓮さんみたいにフクザツな家庭じゃないっすよ? ましてや富豪でもないし」

「ううん。タカシくんはひとつだけ蓮ちゃんと共通点があるわ。治くんともね」

 あの二人との共通点? なんだろ。全然思い浮かばねぇ。まさか人間であること、なんて子ども騙しじゃないだろうし。


「もしかしてその共通点ってのが入居条件?」

「ピンポーン」

「共通点……。その入居条件ってなんなんです?」

「それは秘密」

 くっ、もったいぶるなぁ。俺が必死に考える姿を見て楽しんでるんだとしたらなかなかのサディストだ。


「どうやったら教えてもらえるんですか」

「んー、教えるとしたらタカシくんがここを巣立つ時かなぁ」

「えー……。京子さんのケチ」

「だって欲しい物がすぐに手に入るとそれはそれでつまらないでしょう? 楽しみは取っておかなくちゃ」

「まぁ、一理あると言えばありますけど……」


 結局、のらりくらりとかわされ続けてしまった。けど時間はまだ沢山ある。俺は多分大学を卒業するまではここで暮らすだろうし、それまでには正解に辿り着けるはずだ。それより目下の課題は深雪ちゃんのことだよなぁ。


 *


「で、アタシを頼ったってワケね」

「おっす」

 俺は今、本来なら男子立ち入り禁止のはずの女子部屋で正座している。目の前には椅子に深く腰掛けて脚を組んだ蓮さんがいて、暇そうにプラプラと揺れるそれを俺は見るともなく眺めていた。毒々しいほどの真っ赤なペディキュアが目を引くけどあんまりジロジロ見てると怒られそうなのでやめとこ。


「しっかしアンタと深雪がデート紛いのことをしてたとはねぇ」

「いや、だからデートじゃないって言ってますよねさっきから……」

「喫茶店で二時間もくっちゃべってたら充分デートでしょうが。それともなに? アタシの妹とデートなんか出来ませんってかぁ?」

 蓮さんはつま先で俺の顎をペチペチと攻撃してくる。この足癖の悪さたるや。腹違いとはいえ妹の深雪ちゃんと比べると、なんだかなぁ……。


「深雪も深雪で男を見る目がないわね。こんな童貞に弱ったところを見せたらたちまちエロエロな妄想の餌食になるわよ」

「風評被害が過ぎる……」

 童貞を否定できないのが悔しい。さっさと卒業しないとずっと言われそうだ。

「でもまぁ、深雪のことを知らせてくれたのは感謝するわ。あの子が人に弱音を吐くなんてアンタも隅に置けないのね」

「いや、俺は別に何も。たまたま会ったってだけだし」

 そしたら蓮さんってば何故だかワケ知り顔になって「なるほどね。そういうところか」と呟いた。どういうところだ。


「とりあえず深雪のことはアタシもちょっと気に掛けておくわ」

「うっす。お願いするっす」

「あと気になるのはアンタが京子さんから聞いたアタシ達の共通点ね。ちょっと考えてみたけどちっとも分かんないわ」

「俺も全然浮かばないんです。そもそも俺たちってお互いのことあまりよく知らないでしょ。蓮さんと治さんはもう付き合いが長いから別として」

「そうねぇ。んじゃアイツも呼ぶか」

 言うが早いか、蓮さんはスマホで電話を掛け始めた。


「直接呼びに行けばいいのに」

「メンドイ。ついでに何か飲み物でも持ってきてもらうわ」

 イイように使われちゃってるなぁ……南無。ややあって見るからに不機嫌そうな治さんがお盆にアイスコーヒーを三つ乗せてやって来た。嫌なら断ればいいのにこの人もお人よしだよなぁ。

「なんなんだ蓮貴様。僕は忙しいんだが?」

「固いことはいーじゃない。タカシがちょっと有力な情報をゲットしたんだから」

「有力な情報?」

「えぇ。ここの入居条件アンタも気になってたでしょ。タカシが言うにはアタシ達に共通する点があって、それをクリアしてれば住めるんだってさ」

「ほぅ……」

 そんなに興味を掻き立てる話なのかなぁ。治さんてば忙しいって言ってた割に腰を下ろしちゃったし。


「あのー、俺から話を振っといてなんなんですけど、コレってそこまで大事な話ですか? 住まわせてもらってるならそれでイイじゃないですか」

 俺としてはもっともなことを言ったつもりなんだけど二人は呆れた様子でやれやれと首を振った。

「アンタは何も分かっちゃいないわ。考えてもごらんなさい。東京で一人暮らしをしようと思ったら月にいくら掛かると思ってんの。住む所にもよるけどざっと十四、五万よ。アタシたちみたいな定職に就いてないチャランポランじゃその日暮らしのボンビーメン&ガール待ったなしなの」

「いや、堂々としないでください……」

「やかましいッ。そういうことは自分でお金を稼いでから言いなさい」

 まぁ、ここの費用は親父に全部出してもらってるから正論ではある。バイトでもしよっかな。


「で、アタシたちが住み続けられてるのはその共通点のおかげ。ならもしもその共通点が変化するものだったらどうする。変化して入居条件から外れちゃったら?」

「……もしかして」

「そ。最悪ここから出なきゃいけなくなるかもしれないってことよ。最近のアイドル風に言うなら"卒業"ね」

 最近のアイドル風っていうよく分からない例えはどうでもいいとして、ここから出ていかなければならないのは困る。多いに困る。なにせ俺は親が海外にいるし、他に親戚の伝手もないのだ。未成年一人だとアパートすら借りられない上にそもそもお金がない。バイト代でなんとか……なるわけないか。


「いやでも、でもですよ? 京子さんが俺たちを追い出すようなことしますかね。ちょいちょい怒らせてる蓮さんなら可能性ありますけどウボァッ!」

 アゴ蹴られた……。この人マジで暴力的だな。ガチで深雪ちゃんのお淑やかさの一割でもいいから持ち合わせてほしい。

「岩見よ」

「なんです?」

「お前はこの春から住み始めたから知らないのも無理はないが、実際に今までの入居者に追い出されたも同然の出て行き方をしたヤツがいるんだ」

「え、ガチ?」

「あぁ。そいつらは決まって『本当はまだ住んでいたかった』と言っていたからな」

「そっかぁ……。なんか悪いことでもしたんですかね。京子さんを怒らせるような」

「いや、それがだな……」

 そこまで言ったところで治さんは腕を組んで考え込んだ。


「治さん?」

「あぁいや、相応しい言葉が見つからなくてヤキモキしてるんだが、出て行ったと言っても円満退去だったんだ。みな清々しい顔をしていたし、京子さん自身も気持ち良く送り出していた。そして退去者が出ると決まって一ヶ月は寂しそうにもしていた」

「ん? えーっと、なんか整合性が取れてないような? 出て行った人は京子さんに強制的に退去させられたも同然なんですよね? なのに京子さんは寂しがる。変じゃないですか?」

「あぁ。だからそれを今から考えるんだ。蓮、僕を呼んだのもそういった理由があったからだろう?」

「え、あーそれそれ。三人寄ればもんじゃの知恵って言うし?」

「……それを言うなら文珠の知恵だ。もんじゃは食べ物だろうが」


 ……こんなので大丈夫なのかな。けどちょっとは進展があったからヨシとするか。俺はもうすっかり下宿たるとを気に入っちゃってるし、蓮さんや治さんが出て行ったら寂しいもんな。なんだったらもう一人くらい愉快な仲間が追加されてもいいくらいだ。

 まずは俺たちの共通点を探そう。探すって言ったってどこから手を付ければいいのか分からんけども。

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