第12話
☆ 岩見タカシ
「はぁ……」
待ちに待った夏休み。クソ暑い灼熱地獄でもそのワードだけで俺たち学生はハッピーになる……はずだったんだけど俺の気分は浮かない。もう一ヶ月近く前になるってのにあの夜の光景が忘れられないんだ。次の日すぐに蓮さんの悪ふざけだって治さんから説明されたから事情は分かったけど普通、悪ふざけであんな密着するかぁ? ひょっとしてひょっとすると二人はそういう仲なのかも。いっつもいがみ合ってるけど喧嘩するほど仲がいいと言うし……。
「あー! 大人って分かんねぇー!」
頭をグシャグシャかきながら街を行くと何人かに奇異の目で見られた。残念ながら俺はそれで興奮する変態さんじゃないので大人しくしとこ。と、そこで見知った顔を見つけた。正確には顔じゃなくて背中なんだけど。
「深雪ちゃーん」
名前を呼ばれてビクンと肩を跳ねさせた深雪ちゃんは警戒心の高い猫みたいな目で振り向き、俺だと確認すると「なんだ、岩見さんですか」と息を吐いた。声で気づいて欲しいんだけどなぁ。
「奇遇ですね。お出かけですか? まさか姉様のところへ……?」
「じゃなくて、好きな漫画の新刊が出たからそれを買いに行こうとしてただけ。深雪ちゃんこそどったの? 制服着てるけどもう夏休みだよね?」
「あぁ、これですか。これからピアノの稽古があるんです。制服のほうが何かと都合がいいので。私服だと学生らしいコーデにするべきか家柄を考えて仕立ての良い物を着るべきか悩まなくてはなりませんから」
ピアノの稽古。家柄。出会って数秒でお嬢様ポイントを積み上げていくスタイルは変わらないな。しかしお出かけの理由がちゃんとしてて偉いよ。俺は深雪ちゃんと比べるとガキっぽい動機だわマジで。
「ところでさ、俺、お嬢様のことってよく知らないんだけどこういうのって送迎してもらえるんじゃないの? ほら、お抱え運転手の黒塗りの高級車とかで。ただでさえ真夏で暑いのに」
「こうでもしないと汗を掻く機会が学校の体育の授業くらいしかないので歩いているんです」
「ってことはわざわざ汗を掻くためだけにしんどい思いをしてるってこと? っかぁ〜、意識高いねホント」
「別に大したことではありません」
澄ました表情を浮かべる深雪ちゃんの額にはうっすら汗が浮かんでいて髪が張り付いていた。なんでだろ。俺の汗と成分は同じはずなのに綺麗に見えるぞ。このままスポーツドリンクを持たせてグビグビ飲んでもらっただけでCMとして完成しそうそうな雰囲気さえある。
「すみません岩見さん。そろそろ行かないと」
「あ、うん。引き止めてごめん」
「いえ、それでは」
深雪ちゃんはご丁寧に深々とお辞儀をした。礼儀正しくてスゲーなぁとは思うけど距離を感じちゃうのも事実だ。それに今日はちょっと様子が変だ。急いでるってのもあるんだろうけど、いつもならしつこいくらい蓮さんのことを聞いてくるのに。
「あのさ」
「まだ何か?」
「俺の勘違いだったらそれでいいんだけど、なんかさ……今日元気なくない?」
彼氏どころか厳密には友だちですらない男にしては踏み込み過ぎかもしれないからちょっぴり勇気が必要だった。どうせ『気のせいですよ』と一蹴されるだろうし。
けど今日の深雪ちゃんは「……あなたに見破られるようでは私もまだまだですね」と力なく笑ったんだ。
「稽古が終わったあと少し時間をいただけますか?」
「え? そりゃ全然構わないけど……ってか俺なんかでいいの?」
「えぇ。終わったら連絡しますので電話番号を教えていただいてよろしいでしょうか」
「お、おぉ。うん、教える教える」
なんだこの急展開。なんで俺、筋金入りのお嬢様と連絡先なんか交換しちゃってんの?
「二時間ほどで終わりますから近くの喫茶店で待っていてください。コーヒーの味は確かですよ。ではのちほど」
またペコリと頭を下げ、背筋を伸ばして歩いていく深雪ちゃんを見送った俺は本来の目的である漫画を買いに行くことも忘れて指定された喫茶店でソワソワしながら時間を潰し続けた。
周りからはデートの待ち合わせ中の彼氏みたいに見えるのかなぁ、なんて思いながら。っていうかコーヒー一杯八百円って高すぎんだろ。行きつけみたいな雰囲気出してたけどお嬢様の金銭感覚ってさぁ……。
深雪ちゃんが姿を現したのはきっかり二時間後で、急いで来たのかさっき会った時よりも暑そうに額の汗を拭っていた。
「お待たせして申し訳ございません」
「いーよいーよ。俺もさっき来たとこだし」
はい、カッコつけて嘘つきました。コーヒー一杯で粘るには店員さんの視線が痛くなるくらい居ます。ホットコーヒーだったけど今は完全にアイスコーヒーです。ところで深雪ちゃんの話ってなんだろう。こういうのってこっちから聞かずに向こうから口を開くのを待つべきなのかな。
ややあって深雪ちゃんは注文したコーヒーを一口飲んでから「私、あの家を出たくなってきました」と切り出した。
「家って……まさか自分家のこと?」
伏し目がちにおずおずと頷く深雪ちゃん。複雑な感情が渦巻いてそうだ。
「どっから聞いたらいいのか分かんないけど、なんで家を出たいワケ? こう言っちゃなんだけどさ、お金持ちだしお嬢様だし、なんの不満もないように思えるんだけど」
そう言うと深雪ちゃんは「まさにそこなんです」と身を乗り出した。かなり勢いがあったからテーブルの上でソーサーとスプーンがガチャンと不快なを立て、ハッとした深雪ちゃんは「す、すみません。はしたない真似を……」と身を小さくさせた。
「あの家は窮屈なんです。みんな、私のことを貿易会社社長の娘としか見ていません。私自身もそれを意識した立ち振る舞いを周囲から強要されているようで、自分の家にいるのにちっとも心が休まらないんです。もう疲れちゃって、一人でどこかに消えてしまいたいと思うようになりました。お父様は私のことを自分の価値を高める装飾品だとでも思ってるのか、企業の重役や会合なんかにやたらと顔見せさせたがるんです。そこで私が習っているピアノやヴァイオリンの腕前を披露させて……。その時の緊張感はコンクールとは比べ物になりません。失敗でもしようものなら私だけでなくお父様にまで恥をかかせてしまいますから」
ス、スケールがデカくてついていけねぇ。子どもの悩みじゃねえだろそれ……。
「演奏が上手くいけば多少なりとも喜ばしいです。私にだって承認欲求くらいはありますから。ただ……」
「ただ?」
「最近、息子を紹介したいという方がいらして……端的に言えばお見合いを申し込まれそうなんです」
「お、お見合い!?」
その瞬間、俺はものすごい勢いで深雪ちゃんに口を塞がれた。
「こ、声が大きいです岩見さんっ!」
辺りを見回すと何人かのお客さんがこっちの様子をチラチラと窺っていた。そりゃこんだけ大きな声を出したからだろうけど深雪ちゃんのオーバーリアクションも原因じゃないかなぁ……。
「念のため確認するけど深雪ちゃんって俺と同い年だよね。まだ結婚できなくない?」
「えぇ。ですからお見合いといっても将来的な話です。よくある政略結婚ですよ」
「その相手もやっぱり凄い家柄な感じ?」
「詳しくは存じ上げませんが海運会社の代表取締役の息子さんだそうです。売上高は年間一兆円を下らないのだとか」
いっちょう! 桁がちげー……。普通に生きてたら兆なんて縁がねーよ。
「なんかホンット〜に漫画みたいな話だね。念のため聞くけど深雪ちゃんはそのお見合いに乗り気だったりする?」
「お父様方が決めた話なのでそこに若松深雪の意思が介入する余地はありません。いずれ私は好きでもないどこぞの御曹司と結婚させられ、その人の子を……」
そこで深雪ちゃんは口を閉ざした。そりゃ乗り気になんてなれないよなぁ。ひょっとしたらその御曹司と気が合ってラブラブ(死語)になるかもしれないけど可能性は低そうだし。
しっかし生活レベルが違いすぎて現実感が湧かないな。大昔はいくらでもそんな話があったんだろうけど今は令和だぞ。時代錯誤にもほどがあるって。
「ちなみに深雪ちゃんの母ちゃんはなんて言ってるの?」
「お母様はおそらく何も言ってないと思います。私にあまり興味を持っていないので」
「え、そんなことある? 自分の子どもだろ?」
「私は幼い頃から教育のために乳母やメイドに育てられましたからお母様との思い出なんて無いに等しいのです。お母様も生粋のお嬢様ですし、幼少期からそのように育てば価値観も一般の方のそれとは大きく異なるはずです」
「ってことはだよ? 深雪ちゃんも同じように自分の子どもと引き剥がされるってワケ?」
「おそらく……」
いやいや、それはないだろぉ……。ドン引きだよ。なに? お金持ちの家系ってみんなそうなの?
「私もお母様と同様、お家存続の道具に過ぎないのです」
「そんなさぁ、自分を道具って呼ぶのやめようよ」
「事実ですから」
俺は少し寂しい気持ちになった。今の深雪ちゃんは産まれた時から檻の中で育てられた鳥みたいに飛ぶことをハナから諦めてる。やろうと思えばその檻から出られるかもしれないのに。
「ただ、最近になって考えることがあるんです。姉様みたいに強引に屋敷を飛び出していれば今ごろどうなっていたのだろう、と」
「や、蓮さんにはむしろ深雪ちゃんのことを見習ってほしいと思うけどね俺は……」
深雪ちゃんのお淑やかさの一パーセントでも蓮さんに備わっていれば俺の気苦労も少しは減るだろうし。
「ふふっ」
「え、なに。なんで俺いま笑われたの」
「私はそういう風に遠慮なくモノを言ってくれる知り合いが居てくれることも羨ましいのです。周りの大人は笑顔の仮面を貼り付けてばかりでちっとも本音で話してくれませんから」
「一人も?」
「一人も、です。万が一お父様の耳に入ればメイドなら即刻クビが飛びますし、部下であれば僻地か海外拠点への左遷、取引先や同業者であれば今後の取引の消滅と、いいことがありませんので」
「こっわ……。独裁者じゃんそれ……」
「だからそんな環境から抜け出せた、いえ、自ら抜け出した姉様が羨ましいのです」
隣の芝生は青く見える。そう言いたかった。蓮さんは蓮さんで深雪ちゃんのことを羨ましがってる節があるから。でもそれは今の深雪ちゃんにはなんの慰めにもならないだろうから俺は口を慎んだ。
それ以降も深雪ちゃんの愚痴を聞き続け、気付けば俺が喫茶店に入ってから四時間もの時が流れていた。お互いにいい加減帰らなければ。
「今日はありがとうございました。たくさん吐き出せたので少しだけ楽になった気がします」
「そりゃ良かった。俺で良けりゃまた相談に乗るよ。乗るっていうか聞くことくらいしか出来ないけど」
「そう言ってもらえると心強いです。ですがこんな弱音を吐くのはこれっきりにします。でないと癖になってしまいそうですから」
ちょっぴり残念に思ってる自分がいた。愚痴を吐かなくても耐えられるならその方が深雪ちゃんにとっても断然きいことなのに、最低な男だ。
それに加えてなんとなく、このまま別れることを惜しむ自分もいる。傷心の女の子につけ込む悪い男みたいで気が引けるけどこれは善意、善意だから。下心なんてこれっぽっちもないから!
「あのさ」
「はい?」
「良かったら今度ウチにおいでよ」
「えっ」
深雪ちゃんは長いまつ毛に覆われた大きな目をパチクリとさせて驚いた。あんまり表情を変えない子だからなんだか新鮮だ。
「たまにはリフレッシュできる場所があったらいいんじゃないかと思って。それにウチに来れば蓮さんと会えるじゃん?」
「ですが、迷惑にならないでしょうか……」
「ならないならない。むしろ京子さんは喜ぶと思うよ? お喋りが好きな人だから」
そう言ったら深雪ちゃんはしばし考え込んで「検討します」と言った。少しだけ嬉しそうに見えたのは普段あまりにも無表情だったからかな。
こんないたいけな妹を一人残して自由を掴んだのか、蓮さんめ。
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