第10話

☆ 岩見タカシ


 下宿たるとでの生活にもすっかり慣れ、夏休みが近づいてきた。来年は受験生になるから夏休みは補習やら夏期講習やらでほとんど潰れちゃうから真っ当に楽しめる最後の夏休みだ。こんなの浮かれるなという方が無理な話。だけど俺はちょっぴりローテンション。理由はスマホから聞こえる父さんの声だ。


「だーかーらー。さっきからなんべんも言ってるじゃん。飯はちゃんと食ってるし学校もサボらず通ってるって」

〈そうか? ならいいんだが……。あ、下宿先のみなさんに迷惑とかかけてないだろうな? 女の子も一緒に住んでるんだろ〉

「だーいじょーぶだって〉

 むしろその女の子から迷惑かけられてるんだけどな。


「っていうか父さん、そっち今何時なの? こっちは夕方の六時だけどロサンゼルスだと真夜中なんじゃ?」

〈あぁ、二時だな〉

「いや寝ろよ」

〈あぁ、大丈夫だ。電話が終わったらもう寝るから〉

「あーそうかよ。んじゃおやすみー」

〈なんだよタカシつれないなぁ。まだ話が――」


 問答無用で切ってやった。ったく、外で話したから汗かいちゃったじゃんか。せっかく早風呂して気持ち良くなってたのに。いいや、もっかい入りなおそ。そう思って溜め息混じりに振り向いたら縁側の柱の陰からコチラをジーッと窺っている治さんと目が合ってメチャクチャビビった。危うく尻もちを突きそうになったくらいだ。

「……悪い。驚かせたか」

「い、いや、平気っす」

 内心ドキドキしてることは秘密な。髪の長さと猫背なせいでちょっと幽霊っぽく見えるのは言わないでおこう。


「岩見は……親と仲、悪いのか」

「いや、そういうわけじゃないっすけど、ちょっと過干渉なんで鬱陶しいっていうかなんというか」

「親というのは得てしてそういうものだ。幾つになっても子どもが心配なんだよ」

「ふぅん。そういう治さんは親と仲いいんすか?」

「いや、もう何年も話しすらしてない」

「説得力ぅ……」

 てっきり今でも良好な関係を築いてると思ったのに。


「じゃあなんで親の気持ちが分かるんすか」

 そしたら治さんは遠い目をして「さぁ……なんでだろうな」と呟いた。マジ意味分かんねぇ。ホントに変わった人だなぁ。浮世離れしてるというか人里離れた所で仙人みたいな暮らしをしてそうだし、社会でやっていけてんのか疑問だ。いまだになんの仕事をしてるのか知らないし。少なくともネクタイ締めてスーツを着て通勤ラッシュに揉まれるような生活をしてないことだけは確かなんだけど。


「そういや治さん、俺に何か用でした?」

「あぁ。晩ご飯が出来たから呼んできてって京子さんに頼まれてな。電話中だったから声をかけるタイミングがなかったんだ」

「なんだ。そういうことだったら遠慮なく話しかけてくれて良かったのに」

「だが電話中だったから……」

「いーのいーの。それだったら俺も『呼ばれてるからもう切るよ』って理由付けが出来るし」

「……そういうものなのか?」

「そういうもんです。治さんは気を使いすぎなんですよ。俺とか蓮さんはひとつ屋根の下で暮らしてるんだからもっとグイグイ来てもらって大丈夫っす」

「……善処する」

「その堅っ苦しい言い方も俺たちにはナシっす。んまぁ、急に変えろって言われてすんなり変えられるモンじゃないと思いますけどね」

「僕の言葉使い……そんなに堅苦しいか?」

「俺はそう思いますよ? なんかちょっと昔の小説に出てきそうな? よく知らないっすけど」

 すると治さんは目を伏せて考え込んだ。ほっといたらそのまま何時間でも同じ姿勢で過ごしてそうだから俺は背中をグイグイと押すことにした。


「む。なんだ岩見。押すんじゃない」

「いいからいいから。今は固いこと抜きにして晩メシ食べましょ」

「……おかしな奴だ」

「治さんには言われたくないっす」

 なんて軽口を交わしながら食卓に向かうのが恒例行事。ぶっちゃけると兄ちゃんや姉ちゃんが出来たみたいでスゲー楽しい。そこに京子さんまで加わればもはや新しい家族だ。ここで下宿を始めて良かったと今なら心から言える。それについては紹介してくれた親父に感謝しなきゃいけないんだけど素直に言えないトシゴロなのさ、俺は。


「あり? その姉ちゃんは今日いない系っすか」

 いつもいるはずの賑やかなピンク髪が見えない。京子さんに訊ねると「また合コンで遅くなるんですって。私もう知らない。プンプン」と頬を膨らませて拗ねてしまった。リアクションが幼女のそれなんだが京子さん、歳を考えてくれ。


「タカシよ。姉ちゃんとはなんだ。お前まさかあの女と姉弟プレイでもしてるのか。それはさしもの僕でも引くぞ」

「いやいや、変な誤解しないでくださいよ兄ちゃん」

「……待て。まさかその変な家族ごっこに僕も巻き込まれているのか」

「あ、ねぇねぇタカシくん。その理論でいくと私は親戚のお姉さん──」

「いや普通に母ちゃんっすね」

「……フーンだ。どうせ私は五十過ぎのおばさんですよーだ」

 むしろなぜ親戚のお姉さん枠を勝ち取れると思ったんだ京子さんは。


「蓮ちゃんってば『今日は東証一部上場企業の商社マンが来るの。絶対モノにしてみせるわ!』って息巻いて出て行ったのよ」

 それにしても京子さんってモノマネが上手いのな。結構似てる。

「商社マン、ねぇ。蓮さんと釣り合うのかなぁ」

「岩見は蓮にはだいぶ遠慮がなくなってきたな」

「だってあの人相手に遠慮してたら精神が持たないっすもん」

「……同感だ。蓮のヤツ、モノにしてみせると言ったからには朝帰りする気マンマンだろう。おかずは残さず食い尽くしてやる。どうだ岩見、ヤツが朝帰りするかどうか賭けないか」

「お、いいっすねぇ。見返りは?」

「京子さんお手製のデザート一週間分を勝った方に差し出す、でどうだ」

「よし、乗った! じゃあ俺は日付を跨ぐ前に帰ってくるほうに賭けます」

「……待て。それだと賭けにならんぞ。僕もすぐに帰ってくる派だ」

「んー……だったら夜の十時、いや九時を過ぎるかどうかあたりにします? 俺は九時前に帰るほうで」

「いいだろう。僕は九時を過ぎるほうだ。ヤツにもプライドがあるからな。ダメだったとしてもすぐには帰ってこんだろう」

 二人して悪い顔で笑っていると何やら殺気が。その正体は京子さんに他ならない。にこやかな笑みを浮かべてこそいるけど背後に"ゴゴゴゴゴ"という擬音が見えるような? やべー、さすがに悪ふざけが過ぎたか……?


「二人とも。そこへ直りなさい」

 無言で見つめ合う俺と治さん。決してツーカーの仲じゃないけど俺たちが正座したのはほぼ同時だった。

「蓮ちゃんだって女の子なんです。それをなんですか。人の恋路をギャンブルの対象にするだなんて。私はそんな子に育てた覚えはありませんよ」

 育てた覚えも何も俺はまだここで三ヶ月くらいしか暮らしてないんですが、なんて言える空気じゃない、よなぁ……。


「蓮ちゃんは行動力があるだけマシです。治くんもタカシくんも女の子の影すらないじゃないの。年頃の男の子がそんなんでどうするんですか。いま流行りの草食系ってやつですかそうですか」

 女の子の影か。まぁ彼女が欲しくないと言ったら嘘だけどなかなかこう、出会いがね。しかしなんだ。京子さん、様子がおかしくないか。普段はもっとこう、お淑やかで上品なのに。そう思ったのは治さんも同じで「なぁ岩見。もしかしなくても京子さん、酔ってないか?」と耳打ちしてきたんだ。

「酔ってる?」

「台所をよーく見てみろ」

 言われた通り目を凝らすと確かにそれっぽいビール缶がみっつもある。ここからじゃ開封済みなのかどうか分からないけど京子さんの様子からして飲み干してるっぽいな。


「治さん。俺の推理なんで当てにならないっすけど、蓮さんが合コンばかりで一緒に晩飯を食べないことが多いから拗ねちゃってるんじゃないっすかね」

「奇遇だな岩見。僕も同じ考えだ」

「もう二人とも。さっきから何をコソコソ話してるんですか」

 この様子だと俺たちにも飛び火しかねない。ってか既にしてる。

「とにかく嫁入り前の女の子が朝帰りだなんて認めませんからね私は。今度やったら破門です破門」

「京子さん、ウチは道場じゃないっす……」

 この日はプンプンとご立腹な京子さんを宥めながらの晩飯となった。まぁ、普段から世話になってるからこんなのはお安いご用だ。


 京子さんは放っておいたらまだお酒を飲みそうな気配がしたから俺たちはあの手この手で晩酌を阻止してとっととお風呂に入ってもらい、いつもより早めに床に就いてもらうことにした。そうでないと蓮さんが帰ってくるまで玄関で仁王立ちする勢いだったからだ。それで翌朝に影響が出たら朝飯や弁当がなくなっちゃうから食べ盛りの俺には死活問題なのだ。

 にしても蓮さんには困ったもんだ。自由奔放なのは窮屈な暮らしを強いられてた子ども時代の反動なのかな。だとしたらちょっとだけ同情するけど。


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