第9話

☆ 若松深雪


 色めきだった刑務所みたいな大仰な門を抜け、学校の廊下より長いレンガ造りの道を行きながら植木や花の手入れをするメイドたちに挨拶をする。それが学校から帰った私のルーティン。普段は爺やが運転する車で送り迎えしてもらってるけど今日は学友と用事があるからと嘘を吐いて徒歩で帰った。

 運動不足な私の体はそれだけで悲鳴をあげ、みっともなく汗を掻いてしまう。念のため用意していた日傘は直射日光を遮るだけで大して涼しくなかった。


「ただいま帰りました」

「お帰りなさいませお嬢様」

 まるで私が帰宅するのを事前に察知していたかのような婆やの反応に思わず閉口。婆やは私や姉様が産まれる前から屋敷で働いているベテランのメイド長で背中や下半身に針金でも入っているのかと疑いたくなるくらい姿勢がいい。


「お嬢様。ご学友との遊戯はいかがでしたか」

「うん、まぁ、なかなか楽しめたわ」

 会っていたのは決して“ご学友“なんかじゃないけど婆やは「左様ですか。それは良かったです」と疑うことを知らないみたい。そもそも私が嘘を吐くなどと想像すらしてないのかも。

「あぁそうだお嬢様。旦那様がお呼びですよ」

「……分かりました」

 どうせロクでもない用事だと知ってるから私の声はずっと浮かないまま。この屋敷の中で最後に笑ったのはいつだったっけ。


 無駄な装飾が幾重にも施された階段を上り、足音を全て吸収してしまう絨毯が敷かれた廊下を進んだその先に父の部屋はある。私の身長の二倍くらいはあろうかという本棚が四方に配置されたそこは圧迫感がすごくて社長室みたいな雰囲気だから苦手。ほら、ノックをする手が緊張で震えてるもの。


「お父様、深雪です」

「あぁ、待っていたよ。入りなさい」

 お腹に響きそうな低い声がドアの向こうから聞こえる。私は一度息を吐いてから足を踏み入れた。お父様はパソコンに向かってキーボードを叩き続けていて私の方を見向きもしない。


「キミが寄り道をするなんて珍しいね、深雪」

「……たまには気分転換にでもと」

「そうか。ビジネスでも新しい風を入れるのは大事だからね。たまには羽を伸ばしてもいいだろう」

 いいだろうって、放課後くらい好きにさせてよ。この呼びつけだって手短に済ませたいのに。


「それでお父様。ご用件というのは」

「なに、大したものじゃないよ。私の部下が今、インドに出向に行っていてね。今回の休暇で日本に帰ってきているから明日、土産を持ってくるんだと。それで久しぶりに深雪の顔を見たいそうだ」

「はぁ。ではいつも通りピアノかヴァイオリンの演奏を聴きたい、ということですか」

「いや、そのようなもてなしは必要ない。すぐにお暇すると言っているからね」

 すぐにお暇する。みんな初めはそう言うんだ。でも気付けば三、四時間は平気でいる。酷い時なんかそのまま会食という名の宴会に発展して泊まっていく人まで出るくらいだ。会食の場に彩りが欲しい、と私が駆り出されて弾きたくもないピアノやヴァイオリンを弾くこともしばしばある。幸か不幸か、私は容姿が整っていて幼い頃から習い事で散々練習させられたから技術も伴っているので。


「頼んだよ、深雪」

「……はい」

 まだ日が沈んでもないのに早くも明日が憂鬱になってしまった。今日、隕石が落ちてこないかなぁ。それか大地震とか。

「お父様」

「なんだい?」

「姉様のことはお聞きにならないのですか」

「……何か進展でも?」

 お父様はようやくキーボードを叩く手を止めた。目線だけを私に向けた三白眼は睨まれているようであまりいい気持ちにはなれない。でも怯みたくない。


「これを見てください」

 さっき岩見さんに送ってもらった姉様の写真を見せると、お父様は少しだけ眉根を寄せて「誰に似たんだか」と言っただけですぐに興味を失ったみたいだった。

「深雪は道を間違えないようにな」

「……はい」


 道を間違える、か。何を持って道を間違えるって言うんだろう。自分の部屋に戻ってはしたなく飛び込んだベッドの中で考えても分からない。私には姉様が間違っているとは思えない。だって、こんな鳥かごの中みたいな暮らしのどこが正しいって言うの。

 敷かれたレールの上を服が汚れないようにノロノロ進むより、泥んこになりながら自分で悪路を道を切り拓いた姉様のほうがよっぽど健全だ。



 





 


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