第8話

☆ 岩見タカシ


 七月。日に日に暑さが厳しくなってきた今日この頃、俺はまた放課後に蓮さんのバイト先へ足を運んでいた。

「来るなって言ってるのにホンット懲りないわねアンタ。すっかり常連じゃない」

「だってシンジが夏仕様のメイド服が見たいって言うんですもん」

 七月になったこともあってウチの高校も夏服に衣替えした。まぁ、それは蓮さんのメイド喫茶も同じでメイドさんたちは半袖だったり短めの靴下になったりと涼しげな恰好になってる。


「で、そのシンジくんとやらは? 見当たらないけど」

「アイツ、今日はバイトらしいっす」

「はぁ? だったらなんでアンタ一人で来てんのよ。意味ないじゃない」

「フッフッフッ。こういうこともあろうかと今日はこんなアイテムを持ってきてるんですよ。ジャジャーン」

 俺が取り出したのはシンジから借りた、もとい託された一眼レフカメラだ。コツコツと貯めたバイト代で買ったらしい。


「……言っとくけどメイドと写真撮るのは有料よ。チェキくらい知ってるでしょ

「そこは知り合いなんだから融通してくださいよ。それにツーショットじゃなくて蓮さん単体の写真が欲しいんです。俺が一緒に写ってたらシンジからすれば邪魔者でしかないですし」

「ダメ。そういうのはサービス外」

「そこをなんとか」

「イ・ヤ」

「ケチ」

「なんとでも言いなさい」

「マジでお願いしますよ。せっかくのマブダチの頼みなんですから」

「やけに必死ね。さてはアンタ、シンジくんからお金貰ってるね?」

「……バレました?」

「当たり前じゃ」

 俺は軽くゲンコツを食らってしまった。多分シンジからすればこれも羨ましがられることなんだろうなぁ。アイツ、イイ奴ではあるんだけどマゾヒストの変態だし。


「ったくもぅ……。二、三枚枚だけよ」

「え、いいんすか!?」

「ただし、休憩時間中に外でね。それからポーズとかの指定はナシ。自然体のアタシを撮るだけなら許可するわ」

「おぉ! 充分っす。あざっす!」

 それから蓮さんは「アタシが言えた義理じゃないけど京子さんってばどうしてこんなに変な人ばかり連れて来るのかしら」と溜め息を吐いた。


「で、注文は?」

「蓮さん蓮さん。そこはメイド喫茶の店員さんらしく『ご注文はお決まりでしょうかご主人様』でお願いするっす」

「調子に乗らない」

 今度はメニュー表で頭をコツンと。しかも角で。地味にいてぇ。なんとなく周囲の客から殺意を込めた視線を感じるんだが気のせいか? シンジみたいなMがほかにもいんのかな。

 その後、俺はクリームソーダを頼んで蓮さんが休憩に入るタイミングであとをついて行った。



「そういや蓮さん。さっき京子さんが変な人ばかり連れてくるって言ってたじゃないですか」

「言ったけど、なに?」

 ギリギリ日陰になっている外の喫煙所で蓮さんは足を組み、でっかい蓋付きのゴミ箱へ腰掛けている。俺はファインダー越しに蓮さんの姿を覗きながらちょっとした疑問をぶつけた。


「そもそもウチの下宿って入居条件どうなってんです? 食費や光熱費とか全部込みで月三万ってどう考えても安すぎなのに俺たち三人しかいないし。普通なら希望者が殺到しそうなもんですけど……」

「あー、それね。アタシも疑問ではあったわ。アンタって下宿に入る時に面接した?」

「面接とかあったんですか?」

「え、してないの? じゃあアンタどうやって入ったのよ。ウチの下宿って入居希望者は京子さんが直々に面接して決めてるのよ」

「マジっすか。俺、親父が手続きとか全部してくれたんでそのへんは全然分かんないっす」

「ふぅん。そういうパターンもあるんだ。未成年だからかなぁ」

 お、この物思いに耽ったような表情いいな。ちょっと撮っとこ。


「アタシ前にね、京子さんに聞いたことがあんのよ。面接の合格条件はなんだったんですかーって」

「京子さんはなんて?」

「それがさぁ、ニコニコしてはぐらかすばかりなの。教えてもらえなかった」

「なんでなんすかね」

「さぁね、アタシが聞きたいわ。でもま、京子さんのおかげでめちゃくちゃ助かってるんだから感謝は忘れないようにね。万が一追い出されたらアタシはともかくアンタなんて野垂れ死に確定よ」

「怖いこと言わないでくださいよ……」

 すると蓮さんはフフンと不敵な笑みを浮かべた。腹立つからこの顔も撮ってやろ。


「じゃあアタシ仕事に戻るからアンタもぼちぼち帰りなさいよ。写真、充分撮れたでしょ?」

「バッチリっす。シンジも草葉の陰から喜んでます」

「アンタ草葉の陰って意味分かって言ってんの……?」

 それからほどなくして蓮さんはゴミ箱から軽やかに降り、仕事に戻っていった。俺も帰ろ。そう思って店の敷地から出て最初の角を曲がったら──

「モゴッ!?」

──急に息ができなくなった。背後から口が塞がれたのだとすぐに分かったけどそんなことをされる覚えがなかったので当然パニックになった。強盗? もしかして一眼レフが目当てか? ヤバい、ちょっと不用心すぎたか。カバンみたいにストラップで肩にかけてるだけだったもんな。


 とにかく逃げなくちゃと抵抗したんだがなんか変だ。強盗にしちゃ力が弱いし、俺の口を覆っている手が華奢なんだ。ってかコレどう考えても女の子の手だよな。でもって「あ、暴れないでください」とどこかで聞いたような声が。

 冷静になったら手を剥がすのなんて簡単で、俺は新鮮な空気を吸いながら「妹ちゃん、なにしてんの……」と聞いた。背後から襲撃してきたのは何を隠そう蓮さんの妹さんだったんだ。


「俺、強盗か暴漢かと思って焦ったんだけど」

「心外です」

「いきなり襲われることのほうが心外ですが?」

「それはアナタが姉を舐め回すように撮影してたのが悪いんです」

「え、なに。もしかして見てたの? こわ……」

 気配なんて全然感じなかったぞ。忍者かこの子。

「私のことはともかく、なんですかその高そうなカメラは。まさか姉様のあられもない姿を収めるためだけに──」

「違う違う。んなマネするかよ。これにはマリアナ海溝よりふか〜い事情があってだな」

 かくかくしかじかで、と説明すると一応は納得してくれたらしい。その割にはジトッとした目を向けられたのはなんでだ。


「なかなか愉快なお友だちをお持ちのようで」

「あ、さてはバカにしたな?」

「いーえ別に」

 ツンと澄ましてお高くとまりやがって。しかしまぁ、腹違いとはいえやっぱり姉妹だよなぁ。こうしてマジマジと眺めるとよく似た顔立ちだ。この子の髪を短くして蓮さんみたいにピンク色に染めたらそっくりになるんじゃないか。


「あまり不躾に眺めないでください。不潔な……」

「ちょいちょい失礼だな妹ちゃんは」

「その妹ちゃんって呼び方もやめてください。私には若松深雪という大切な名前があるんです」

「じゃあ……若菜ちゃん」

「い、いきなり下の名前で呼ぶなんて不敬ですっ!」

 ホントになんなんだこの子。ちょっとおもしろいんだけど。


「して、その写真とやらはそのカメラに収まってるんですか?」

「あるけど」

「見せてください」

 カメラごと寄越せと言わんばかりに手を差し出す深雪ちゃん。俺は当然断った。これは借り物なのだ。持ち主はロクデナシの変態だけど託された物だから大事に扱いたい。もし落とされでもしたら合わせる顔がないからな。そんな感じで俺には正当な理由があるはずだったんだ。なのに──

「やっぱりいかがわしい写真を撮ってるんですね」

──どうしてそうなる。


「最低です……。見損ないました岩見さん」

「いやいや、健全な写真しか撮ってねーって! っていうか深雪ちゃんだってこっそり覗いてたんなら知ってるでしょ」

「さぁ。私は遠くから見てましたから下から煽るアングルでこっそり下着を写してても分かりませんしー?」

 コ、コイツ……。


「そんなに言うなら見てみろよ、ほら」

 言われっぱなしは趣味じゃないので俺は深雪ちゃんにカメラを差し出した。念のためストラップは俺の手から離れないように。そしたら小声で「チョロッ」と聞こえたんだけど。

「今チョロいって言った?」

「いいえ。空耳では?」

 絶対言ったよな。でもまぁ自分の潔白を証明するためにはこれくらい我慢だ。それから深雪ちゃんは慣れた手つきでフォルダの写真を確認した。詳しくは知らないんだけどカメラのWi-Fi機能を使って自分のスマホに撮った写真を送ることも出来るのだとか。機械の進歩ってすげーな。


「どう? 変な写真なんてなかったろ」

「……」

「な、なんか言ってよ」

 深雪ちゃんは少し寂しげな様子だった。外はまだ昼間かと勘違いしそうなくらい明るいのにここだけ夕陽が差し込んでるような感傷的な顔つきで。

「姉様。私には見せたことのない表情ばかりです」

「そうなの? 俺はいつも見てる顔だけど」

「ということは今の生活がよほど楽しいんでしょうね」

「一緒に暮らしてた頃は楽しくなかったってこと?」

「少なくとも私は家で姉様の笑顔を見たことはありません。思い出せるのは、いつもつまらなそうに溜め息を吐いていた姿ばかり……」

 つまらなそうに、かぁ。俺にはちょっと想像がつかないや。蓮さんて良くも悪くも退屈とは無縁そうな生活を送ってるから。


「深雪ちゃんって蓮さんと何歳まで一緒に住んでたん?」

「十一歳まででしょうか。姉様はその時、高校二年生でした。ある晩に制服姿で私の部屋にやってきたかと思うと『達者でやんのよ』と言って窓から出て行ったんです。それきり家には帰ってません」

「窓から……。蓮さんらしいな」

 下宿を初めて六年って言ってた蓮さんは今年で二十三だから計算も合う。事情は違えど俺と同じ十七で一人暮らしを始めたのか。


「ん? そん時十一歳ってことは深雪ちゃんって俺と同い年?」

「言ってませんでしたっけ」

「言ってない言ってない。なんだー同い年だったのかよ。じゃあ敬語なんて使わなくていいのに」

 ぶっちゃけ年下だと思ってた。

「敬語で話すのは父からの教えですので」

「親父からってどんな?」

「今日知り合った方が巡り巡って将来の顧客になるかもしれないからです。お客様の前で砕けた話し方をする者などいないでしょう? どんな時でも失礼のないようしなさいと常々言われているのです」

「その割には俺には失礼なことチョイチョイ言うよね」

「アナタが将来父の会社と関係を持つとは考えづらいので」

「……」

 なかなか強かな子だなぁ……。いい性格してるよホント。


「でもさでもさ、敬語って地味に壁感じない? 同級生とか後輩の子がとっつきづらいんじゃ?」

「私が通う学校は私と似たような境遇、家庭の生徒が多いので問題ありません。みな慣れていますから」

 どんだけお嬢様学校なんだよクソが。貧富の差を感じるなぁ。

「それに岩見さんは普通に接してるじゃないですか」

「それはまぁ、蓮さんの妹だから?」

 俺としては別に変なことを言ったつもりはなかったんだけど深雪ちゃんは少し伏し目がちになって頰を染めた。

「……写真、ありがとうございます」

「え、うん。それくらいで良ければお安いご用だけど」

「それでは」


 頭を下げて身を翻すとスカートが満開の花みたいに咲く。どんな表情、どんな仕草でもいちいち画になるその姿を俺は呆けたようにしばらく眺めていた。


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