第5話

「ってことがあったんですよ。治さんは知ってました?」

「いや、知らん。蓮が誰に付き纏われてようが俺には関係ないからな」

「連れないなぁ」

 治さんは我関せずといった様子で黙々と京子さんが作ったおかずを口に運んでいる。うかうかしてると俺の分まで食べられそうだ。ちなみに蓮さんはバイトの後に合コンがあるから今夜は遅くなるらしい。京子さんは若い女の子の深夜帰りは感心しないと言っているけど俺は全く心配していない。蓮さんなら不審者の一人や二人、返り討ちにしそうだし。


「ところで治さんは蓮さんのバイト先に行ったことってあります?」

「一度たりとてない。興味もなければ金もないからな」

「さいで……」

 治さんは相変わらずドライだ。他人に興味がないって感じ。でもそれなら嫌でも他者と触れ合うこんな生活を選んだ理由が分からない。

「治さん治さん」

「何度も呼ぶな。一回で聞こえてる」

「治さんはどんな経緯でここで下宿することになったんですか」

「人に話すようなことではない」

「いいじゃないすかかー、ケチ」

「ケチで結構。ごちそうさまでした」

 心の扉を閉ざしたかのように治さんは食器を片付けはじめた。くそぅ、またアプローチに失敗してしまった。結構根気強く話しかけてるんだけど治さんとはイマイチ仲良くなれないなぁ。蓮さん相手にもトゲトゲしてるし。悪い人ではないんだけど。


「時に岩見」

「なんです?」

「さっき言っていた例の女学生とは僕たちを覗いてる彼女のことか?」

「へ?」

 治さんが外の生垣を指差してる。まさか、とデジャヴを感じながらその先を追うと濃い緑の生垣からひょっこりと顔を出している人がいた。その子は確認するまでもなく蓮さんのストーカーさんで、俺と目が合うと慌てて頭を引っ込めていたけど誤魔化せるはずもなく。


「治さん、念のため聞きますけどいつから?」

「ざっと十五分くらい前だな」

「気付いてたんなら言ってくださいよ……」

 イカつい男だろうが可愛い女の子だろうが家の中を覗かれてたら怖いじゃんかよ。とにもかくにも道路に出た俺だったが、あの子の姿はもうどこにも見えなかった。そりゃそうだよな。気付かれたらダッシュで逃げるのが当たり前だもの。


 しかしどうしよう。蓮さんは家までつけられたことはないと言ってたし、俺もそれを信じてたけど早速否定されたぞ。エスカレートしなきゃいいんだけどなぁ、なんて思いながら引き返した俺の目と鼻の先にさっきの子がいた。情けないことだが俺は驚きのあまり尻餅をついてしまったんだ。気配消すの上手すぎだろ。


「大丈夫ですか?」

 ここだけ切り取って見ると滑って転んだ男へ親切に手を差し伸べる聖女のような光景である。だがその実情はメイド喫茶のメイドさんにお熱なストーカーなワケだから人は見かけによらないのだ。

「あ、ありがとう……」

 握り返して驚いた。なんて華奢で柔らかいんだ。ケアなんてしたことがない俺の手とは何もかもが違う。しかも間近で比べると色の差が凄い。甲は緑色の血管がうっすらと透けていて爪は砂浜に転がっている綺麗な貝殻みたいだった。


 と、不躾に眺めすぎて怒りを買ってしまったのか、起き上がりかけた俺はグイッと手を引かれた勢いで無理やり立たされてしまう。それだけじゃない。体勢を直そうかと思う間もなく耳元で「どうして同じ家に住んでるんですか」とドスの効いた声で囁かれたんだ。この間わずか数秒の出来事。一瞬にして肌が粟立ったさ。

「さっきも日比野さんと一緒にいましたよね。あなたは日比野さんとどういう関係なんですか」

「どうもこうも……ただの同居人だけど」

「ひとつ屋根の下で暮らしてることは否定しないんですね」

「ちょ、待ってよ。広い意味で言えば一緒に住んでることは間違いないし、ご飯だってみんなで集まって食べるけどそれだけだって。女子部屋は二階だし、男は立ち入り禁止だから顔を合わせることすらほとんどないんだ」

「それでも会おうと思えばいつでも会えるんですよね」

「そりゃ、まぁ……」

「朝、洗面所でバッタリ会ったりとか、バイト先と学校へ向かう時間が被ったら一緒に家を出たりとかも?」

「……結構、ある」

 嘘を吐いてそれがバレたらさらに恐ろしいことが待ってそうだから素直に認めるとストーカーちゃんは「私はシフトの時間すら教えてもらったことがないのに……」と爪を噛んだ。だいぶ重症だな。


「あ、あのさ。ひとつ確認したいんだけど、いい?」

「なんですか」

「蓮さんはキミのことストーカーって言ってたんだけどホントなの?」

 ヤベ、ちょっとストレートに聞きすぎたかも。神経を逆撫でして怒らせたらマズイな。でも予想とは裏腹にストーカーちゃんは呆れたように「……はぁ」とため息を吐くだけだった。


「あの人、私のことをそんな風に言ってたんですか。この分だと他にもあることないこと吹聴してそうですね。まだ何か言ってませんでしたか?」

 話が見えてこないのだが、言われた通り俺はバレンタインの件などを伝えた。するとまたしてもため息が。

「よくもまぁそんな出任せをペラペラと……。却って尊敬しますよ」

「え、嘘なの?」

「嘘に決まってるでしょう。なんで私があの人を好きにならなきゃいけないんですか。近親相姦はどんな生物でもタブーですよ

「ってことはもしかして……」

「えぇ。あの人は家出した私の姉です。姉といっても腹違いですけどね」

 


 

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