第3話
引っ越して一ヶ月ほどが経ち、そろそろこの生活にも慣れてきた。京子さんは毎朝張り切って弁当を作ってくれるから俺が下宿生活を始めたことを知ってる友人は昼休みになるといつも羨ましそうに眺めてくるんだ。
「今日もタカシの弁当は豪華だなー」
「おかずはやらんぞ」
「まだ何も言ってねーだろ」
購買で買ったパンをモソモソと食べてるコイツはシンジ。小学校からの付き合いで特に約束したわけでもないのに高校まで一緒になった、いわば腐れ縁の仲だ。
「もう下宿には慣れたか?」
「おー。むしろ今のほうが快適まである。寝坊しそうになっても起こしてくれるし、帰ったら晩飯は出来てるし風呂も沸かしてあるし、休みの日に家事を手伝うだけでメチャクチャ喜んでくれるしな」
「へぇ。じゃあ親父さんと暮らしてた時と比べたらどっちがイイ?」
「そんなの比べるまでもねーよ」
「だろうな。にしても羨ましいよ。だってメッチャ可愛いくてメイド喫茶で働いてるネーチャンとひとつ屋根の下だぜ? お前、前世でどんな徳積んだんだよ」
「可愛いとは言ってもなぁ、中身はかなりおっかねぇぞ。一緒に暮らしてるっていっても女の人の部屋は二階で、男は二階立ち入り禁止だから触れ合うのは飯の時間くらいだし」
「充分すぎるだろうが!」
シンジ、魂の叫びである。でもコイツは蓮さんの実情を知らないからそんな平和ボケしたことが言えるのだ。下戸レベルでお酒に弱いくせしてアルコールが好きで、なおかつ酒グセが悪い上にちょっと短気。面倒な客と当たった日はそのせいで機嫌が悪くて俺や治さんをストレス発散の道具にすることだってある。
『はー、キモ。マジでキモ。アタシらが客にガチ恋するわけないっつーのにちょっと優しくしてやったら勘違いしやがって。だから恋人の一人もできないのよ弱者男性が』
などと呟く蓮さんのグラスにビールを注いだことが何度あるやら。本人の預かり知らぬところでボロクソに言われたお客さんにはさすがにちょっとばかし同情したよ。
「なぁタカシ。今度バイト先に行ってみねーか?」
「蓮さんの? やだよ。バレた日にゃ俺、シバかれるどころじゃ済まねーし」
バイト先に来たら殺すって言ってたしな。
「ツレないこと言うなって。俺らマブダチじゃん?」
「お前は自分に被害が及ばねーからそういうことが言えるんだよ」
「じゃあ変わってくれよー。俺も蓮さんとひとつ屋根の下で暮らしたい!」
シンジは声高らかに叫びながら椅子から立ち上がった。右手に握られていた紙パックの牛乳に中身が入ってたら大惨事になるところだったぞ。
「よし、決めたぞタカシ。俺は今日、蓮さんのバイト先に突撃する」
「……一応言っとくけど俺の知り合いだってバレないようにしろよ。まぁ、普通にしときゃ大丈夫だと思うけど」
「なに言ってんだ? お前も来るんだぞ」
「は?」
「だって俺、バイト先知らねーもん。つーわけで案内よろしくぅ」
「はぁ……」
結局俺はシンジを連れて蓮さんのバイト先へ向かうことにした。シンジのことだから断ったら下宿先まで押し寄せて来そうだし。さて、なんとかバレないようにしないと。
「お帰りなさいませご主人様♪」
「美味しくなーれ、萌え萌えキュン♪」
「行ってらっしゃいませご主人様〜♪」
すげー……なんか違う世界に来た気分だ。あっちを見てもこっちを見てもフリフリエプロンを付けたメイドさんがせっせと働いてる。こういう所に来るのは初めてだから見るもの全部が新鮮だ。それはシンジも同じで「おい、あの子メッチャ可愛くね? あ、あっちの子も。ヤベェ、超テンション上がってきた」と席に通されて注文を終えた今でも落ち着きがない。
「なぁなぁ、蓮さんどこ? どこにいんの? 見当たらねーんだけど?」
「俺に聞かれても……。ちょうど休憩中とかじゃねーの? それか案外もう帰ってるかもな」
「なにぃ? お前シフト把握してねーのかよ?」
「してたら怖いわ」
シンジはブーブーと文句を垂れていたが、頼んだオムライスが運ばれてきてメイドさんにおまじないを唱えてもらい、ケチャップで猫のイラストを描いてもらうと男の俺でもガチ目に引きそうなくらい鼻の下を伸ばしていた。なんだ、蓮さんに会えなくても満足そうじゃないか。チェキまで頼んで満喫してやがるし。
「っつうかタカシはフライドポテトだけでいいのか?」
「無駄遣いしたくないしな」
こういうところって強気な値段設定の店が多いから仕送り生活の現実を考えると節約しないと。それか俺もバイトするとか。
「じゃあ心優しいシンジ様がタカシくんめにこのおむりゃいすを一口だけ分けてしんぜよう」
「いいって。食べすぎると晩飯が入らなくなるし。そしたら京子さんがショボンってするから」
「イイ子ちゃんめ。まぁいいや。俺ちょっとトイレ行ってくる。勝手に食うなよ」
「食わねーよ」
シンジは案内板を見てたからトイレの場所なんて把握してるだろうにわざわざメイドさんに場所を聞いていた。そこまでして話したいか、哀れなヤツ……。この分だと長居しそうだな。
そういや京子さんに帰りが遅くなるって言ってなかったからメールしとこ。と、その時だった。「お待たせ致しました」というメイドさんの声と共にテーブルへオムライスが置かれたんだ。
「あの、頼んでませんけど──」
そこまで言った俺は体中の血の気が引いた。だって目の前にいたのは静かに圧を放っている蓮さんだったんだから。しかもうっすらと微笑んでるせいで怖さが倍増してる。
「ヒ、ヒィ……」
蓮さんは何も言わずにオムライスを指差した。そこにはケチャップで「あとでツラかせ」と書かれていて俺は自分の死を悟ったんだ……。
すまんシンジ。骨は拾ってくれ。
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