第3話

■3日目 昼


「薫ちゃんのこと?」


 真っ黒な中に丸い緑が浮かんた瞳で、マリアは小首を傾げた。

 時間は昼。アイザックはこの日は見当たらず、朝からマリアへと手紙の主人について尋ねてみた。

 彼女はパッと明るい笑顔を見せて、聞きたい?と尋ね返してくる。


「ええっとね、名前は葛木薫かつらぎかおるちゃんっていうの。あなたみたいに背丈が低くて可愛いのよ!」


「女性ですか?」


「ああ、それも言ってなかったのね、そうよ、可愛い女の子。あなたよりも小さかったかしら、身長の話をするとちょっとむすっとした顔に──」


 マリアは思い出すように、どこか空を見上げてニコニコと笑いながら話す。


「幼い人だったのですか?」


「いいえ?成人はしっかりしていたと思うわ。でもね、顔つきがなんというか。童顔っていうのかしら?守ってあげたくなっちゃうのよ、実年齢よりは幼く見えていたと思うわ。でもお料理がとっても上手なの」


「料理?」


「ええ!お料理!普段は私が作るのだけど...薫ちゃんは調子がいい時は違うものを作ってて──それにずっと私の話に付き合ってくれたのよ」


 彼女の連想ゲームに付き合うとは、よっぽど根性が強い人間なのだろう。


「お話も好きだったのでしょうか?」


「うーん、お話…っていうよりも。私がずっと喋っていたかしら?なんせ私、口が閉じられないのだから昔はアイザックによく叱られた物でね──」


 よく回る口だ。たまらず慱飯は口を挟む。


「叱られたことと、薫さんのことに関係が?」


 マリアは、あ、と声を出して首を横に振った。


「いいえ、無いわね、ごめんなさい。私ったら本当…それでなんだったかしら」


「薫さんがお話を好きかどうかでしょうか」


「そうそう!薫ちゃんはあんまり自分のことを話さない子だったわ。この家に来た時はずっと一緒にいてくれたの、でもアイザックがいつの間にか町に連れていく様になっちゃった」


「町に?」


「ええ!ブレンダン君のところにお世話になってるんだって、私驚いちゃったわ、引っ込み思案のあの子が自ら行きたいって言って──でもあの子、体を壊しやすくてね、体調が悪い日は一歩も動けない、ってこともあったのよ?」


 思い出したのか、マリアの眉が不安そうに下がる。


「体が弱かったのですか?」


「体が弱い、のかしらね?調子が悪い日はご飯なんて一口も食べない日が何日も続くの。口に出来て水だけね。調子がいい時は、全然寝ないしよく食べるから、今考えるとなんだか…不思議な子ね」


 若干歯切れの悪い言い方に、慱飯は少し違和感を覚える。


「体が弱い、と断言できないのですか?」


「ええ、熱が出たとか、そういうのじゃないの。“調子が悪い”その一言に尽きるの。でも、私、よくわからなくて…」


「よくわからない?一緒に暮らしていたのに?」


 マリアが、慱飯から目線を逸らした。表情は既に泣きそうなほどに歪んでいる。


「調子がいい日もあったのよ。そういう時は私も安心しちゃってて、でもそれが悪かったの。わたしがもっと気にかけていたら...」


 コンコン。と音がして、会話がそこで途切れてしまった。音の正体は玄関であった。マリアは立ち上がると、逃げるように玄関へと歩いていく。


「どなた?」


「ブレンダンです」


 マリアはパッと嬉しそうな表情を浮かべると、すぐに扉を開いた。


「久しぶり!よくきたわねブレンダン君」


「お会いできて嬉しいです。マリアさん」


 ブレンダンという青年。慱飯は一度頭の中でマリアの話を思い返す。確か、問題の薫が世話になっていたという青年だ。


 声色は穏やかで、どうやらアイザックのように相手に圧を与えてしまう人物ではなさそうである。


「今日はどうしたの?アイザックの連絡なしで突然くるなんて」


「すみません、実は薫さんのことで」


 慱飯の耳がこれを聞き逃すはずがなかった。幸い玄関から慱飯のいる場所は見えない。彼は耳を壁にぴったりと当てて、2人の会話を盗み聞きする。


「暫くいらしてないので」


「えっと…それはごめんなさいね。連絡不足だわ。」


マリアのバツの悪そうな声が聞こえる。ブレンダンが穏やかに微笑んだ。


「いいえ、構いません。いつも通り体調がすぐれないのでしょう?今日は店も暇ですし、もしよかったら彼女の好物でもと思って、散歩ついでにこれ持ってきたんですけど」


「えっと…」


 がさり、と紙袋の音がする。マリアの狼狽えた声が聞こえた。流石の彼も不思議に思ったのか、声色に疑問の色が混じる。


「もしかして、食事を口にすることもできないぐらい悪いのですか?」


「いいえ、その、せっかく来てもらって申し訳ないのだけど。あの子はね…」


 マリアが重々しく口を開ける。


「亡くなったのよ、1ヶ月前に」


 慱飯は、耳に意識を集中する。ブレンダンの、はっと息を呑む声が聞こえてきた。暫く彼らの間に沈黙が落ちる。


「彼女に神のご加護がありますように。」


 とても小さな声だった。それでも、その気丈な声は静寂の中に響くには充分な声量であった。


「また日を改めます。今日は突然失礼いたしました。」


「あ、待って、ブレンダン君待って頂戴」


 慌ただしい音を響かせて、マリアが慱飯のいる部屋に入ってくる。壁に張り付いていた慱飯を一瞬不振そうな顔で見た後、すぐに彼の手を掴み引き摺り出した。

 彼女は気迫だけでなく、力も強いようだ。


「ねえブレンダン君、彼に薫ちゃんのお話をしてくださらない?私、あなたの所へ行ってる時の薫ちゃんは知らないの」


「えっと…そちらの方は?」


 急に見知らぬ男が、知り合いの女性に半ば強制的に引き摺り出された場面に遭遇したならば、誰だって混乱するだろう。

 先ほどの重々しい声色は一変、呆気に取られた表情のブレンダンは慱飯とマリアを見比べた。


「ど、どうも。慱飯といいます…」


「あ、どうも、ブレンダンです」


 奇妙な状況にお互い苦笑いをこぼす。

 マリアが経緯を話そうとしていたのを、慱飯は補足していく。


 ブレンダンは、慱飯の予想通りに黒い髪をもつ青年だった。


 しかし東人の特徴として混ざり毛のない黒の髪を持つ慱飯とは違い、日に照らされた髪は明るい茶が朧げに目立つ。

 西人の血も混じっていることが見て取れることから恐らく、ハーフだろうと予想がついた。目鼻立ちははっきりしているが、穏やかな印象を受ける人物である。


 顔以外の特徴を上げるならば、その首には海月のネックレスをしている事と、猟銃を肩に掛けていることだろう。


「手紙ですか?」


「ええ。どうしても解読が難しいので、まずは薫さんの人柄でも、とマリアさんにお話を聞いていた所だったのです。」


 慱飯は、ブレンダンに手紙を渡す。

 見るや否や、彼はぎょっと驚いたようだった。


「こんなに、あの人が?」


「あまり書くようには見えませんでしたか?」


「ええ、聞いているとは思うのですが、彼女はここの言葉が苦手なようで。語彙は当然、発音も似た単語がごちゃ混ぜになってることが多かったですね。」


「え?言葉が苦手?」


「そうよ、薫ちゃん、お話が上手じゃないの。言ったでしょう、私がずっと喋ってたって」


 縮こまるマリアは、まだ少し落ち着きを取り戻せていない声色をしていた。


 (言ったでしょうと言われても、それで言葉が不自由だということには繋がらないだろ...)


 初耳です、とブレンダンに伝えれば、マリアと慱飯の様子を見て、ああ、と納得したように苦笑した。


「彼女、読み書きがうまく出来なかったんです。聞き取りはなんとかできていたみたいですけど。向こう側の意思表示は、基本的にyesかnoで成り立ってました。」


 つまり、言葉はほとんど出来なかった彼女がこうも長文を書けるとは、ブレンダンは知らなかったらしい。


「あなたは読み書きはできるのですか?」


「ええ、出来ますよ。アイザックさんに教えていただきましたから。俺は時々薫さんにも教えていました。彼女は勤勉な人で、言葉をずっとメモしてましたね。時々スペルの添削とかを頼まれました」 


 その言葉に驚いた声を出したのはマリアである。


「あ、それ知ってるわ。私も教えたことがあるもの...ところで、アイザックは町で何をやっているの?」


「何、って、教師ですけれど...ご存知ありませんでしたか?」


「全く知らなかったわ!だって、町の話なんて強請ったって殆どしないから」


 マリアには隠されていたことよりも、秘密を知った時の喜びが上回ったらしい。

 上機嫌な彼女を見ているとまた暴走を起こすのではないかと不安になるが、彼女は今夜アイザックにどう尋ねようかと上の空になったしまったようだった。


 うん、と一つうなづいて慱飯はブレンダンに向き直る。その様子に、やはりブレンダンは苦笑を隠せなかった。


「町で言葉を教える教師様なんですよ、だから皆アイザックさんのことを尊敬しています」


「素晴らしいお方ですね。」


 ブレンダンは、自分のことのように嬉しそうに顔を輝かせた。


「ええ、薫さんについてはアイザックさんからお話があったのです。読み書きを教えていただいた恩もありますし、薫さんはとっても元気がいい方でしたから、特に苦でもありませんでした」


「なんですって?元気がいい?」


 ブレンダンと会話をしていると、薫についての輪郭がぼんやりと浮かび上がってくる。しかし、マリアの話では慎ましい女性であったはずだ。元気がいいとは何事だろうか。


「ええ、よく笑う素敵な方でしたよ?確かに体調を崩されて長い間いらっしゃらないことも多かったですが、それ以外は問題が無いように見えましたけど…元気すぎてしまうので、ずっと厨房で皿を洗ってもらっていました。」


「げ、元気すぎるとは、どんな?」


「うーん、彼女気性が激しい人だったんです。時々、必死になって自分の言葉を伝えようとして、でも言葉が不自由ですから俺も理解しきれなくて。怒ってる所をよく見かけましたね。物に当たることはなかったけど、やるせない顔はしてました。情緒が不安定というか」


 あ、でも、と付け加えるブレンダン。


「不思議と器用で家の皿とかは割ったことなかったです。家の花とかも飾るセンスがよかったですし、色んなことに気が行ってしまって雰囲気は危なっかしい人でしたけど、家のことは得意みたいでした」


 思い出したように、俺の店は飯屋なんですよ、とブレンダンは笑う。今まで想像していた薫という女性が、またぼやけてしまっていた。


 慎ましく言葉数も少ない彼女と、気性が激しい彼女が同時に存在してしまっている。どういうことだと、慱飯は必死に頭を捻っていた。

 ふとマリアを見れば、いつのまにか曲げたケソを直したようで慱飯の隣に立っていた。


 何やら注意が散漫になっているらしくリビングに通じる扉を眺めている。

 放っておいても問題はないだろう。


 彼女の集中力が切れたことに気づいたのか、ブレンダンは話を締める。


「長いことお邪魔しました。僕はここで失礼いたします」


「そうですね、引き留めてしまって申し訳ない」


「いいえ。お手紙の翻訳頑張ってください」


 好青年という言葉がよく似合う。彼が出て行った後、久しぶりにまともに話をした気がして慱飯の気が抜けた。内容はアレだったが、話が通じるという感覚はいい。


 ブレンダンは百合のような気味悪さや、アイザックの圧やマリアのようなどこに話が飛ぶかわからない緊張感がないのだから、慱飯は出来ることなら彼ともう少し話をしていたかった。


「メモ」


 ふと、マリアが呟いた。


「どこにあるのかしら」


 ブレンダンが言っていたメモ。単語をメモしたそれがあれば、もしかしたら翻訳の役に立つかもしれない。

 彼から渡された紙袋が、マリアの腕の中でガサリと鳴った。

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