#97 日進月歩のクロスロード。

 ――業務連絡ッ!


 とうとう奈落を、抜けました!


 空からの景色を堪能した私たちは、奈落穴のすぐ横へ下ろしてもらいました。

 ここまで連れてきてくれた邪竜さん、フレースヴェルグさん。

 いつもの白いローブ姿に戻ったフギンさんとムニンさん。

 そして、ヘル様。

 

 みなさんとはここでお別れです。


「空気がうまいと思うたのは、いつぶりかのう」


 ヘル様が体を伸ばしながら深呼吸。

 湿気の纏わりつく様な奈落とは違う優しい風が、長い青髪をふんわりとなびかせる。


「じゃあこのまま住んじゃえば? ずっと吸えるよ?」

「よい。ここの色彩は、色が多くて目に毒じゃ」


 魔王さんの誘惑に、首を横に振って流すヘル様。


 またまた。ヘル様は緑が好きって知っていますよ。

 ここは不可侵の世界だし、きっとヘル様がこのままここに居ることは可能なんだろうな。

 ……でも、奈落の管理人が突然いなくなったら他の誰かに迷惑がかかるのかもしれない。

 それに、ヘル様を本当に奈落から連れ出すなら任命した人と話を付ける。

 それがフェンリルとの約束。


「で? お主はいったい何をやっておるのじゃ?」


 正座をする私へ、ヘル様は少し呆れた感じで視線を下ろした。


 私はいま反省中です。

 大反省会開催中です。

 後先をなにも考えず、ヘル様を誘拐してしまいました。


「安心しろナラクノラクナ」


 あう。フギンさん。


「奈落の管理人がいなくなったら、不審に思った我らの元主様が奈落へ調査をしに来るだけだ」


 その話のどこに安心する要素があるんですか?


「キャハ♪ そしたらフレースヴェルグみたいな化け物を送り込んでくるのかな? キャハハハハ♪」


 ええええええっ!?

 それは本当にやばくないですか!?

 ああああ私はなんてことをしてしまったんだろう!

 どどどどうしよう!

 どうすればいい!?

 えーと、えーと。

 故郷の名産の泥団子を菓子折りに詰めて、えーとそれで。


「もーう! ふたりともいじわるしないの! 奈落ちゃんがいつもの奈落ちゃんに戻っちゃったじゃない」


 いつもの奈落ちゃん!?


「案ずるなラクナ。今の神々は、不可侵に対する妨害にもこの程度の戦力しか割けん状態じゃ。神の国は本当に混乱しているのじゃろう。わらわが少し持ち場を離れたとて、気にする余裕もないよ」

 

 ヘル様。

 そっか。今は予言で混乱してるとか言ってたもんね。

 よ、よかった。


「とは言え、あまり長居も出来まい。そろそろ帰るとしようか。雲も出てきたようだしの」

 

 ヘル様はそう言ってフレースヴェルグの上に飛び乗ると、私たちを笑顔で見下ろした。


「では達者での、ラクナ、ステラ、アリス。この景色を一緒に見れて、嬉しかったぞ」

「……ヘル様」

「ヘルちゃん」

「ちびっこ」


 そして祈るように両手を合わせると、

 

「お主らにユミルの加護があらんことを」


 その言葉を最後に、邪竜とフレースヴェルグさんは飛び上がり、フギンさんとムニンさんもカラスへと姿を変え、みんな奈落の大穴へと戻っていった。

 

 魔王さんは穴へ身を乗り出し、いつまでも手を振っている。

 感謝の言葉を添えて。


「さてと、ふたりとも。地上の話をしようじゃないか」


 少しだけしんみりした私と魔王さんへ向けて、アリスがぽんと手を叩き空気を変える。


 うん。

 みんなとはもう二度と逢えないってわけじゃない。

 それよりも、これから地上でやらなきゃいけないこと、やらなくちゃ。


 魔王さんも私と目を合わせると、大きく頷いた。

 きっと同じ気持ちのはず。


「で二人とも、まずこれからどうするつもりなんだ?」


 その問いに魔王さんが人差し指を立ててふふん、と鼻を鳴らした。


「わたしたちはここで別れます!」

「え、そうなの!?」

「ええええ、そ、そうなんですか!?」

「いやお姉ちゃんも知らないのはおかしいでしょ!」


 ううう。

 具体的な話は全くしていなかったから。


 それにしても、魔王さんにはなにかプランがあったんだ。

 全然そんな話してなかったのに。


 魔王さんは尚も立てた指はそのまま、目を瞑りながら話を進める。


「わたしは魔王軍、奈落ちゃんは王国に行って、みんなとお話しするの。そのあと、みんなで合流するんだよ。ね? 完璧でしょ?」


 満面の笑みで語られた作戦。

 なるほど、それぞれを説得した上で最後に合流。

 戦争も止められるし、すごく合理的な気がする。

 

 うーん、でも……。


「ここで別れて大丈夫でしょうか……」


 私の口にした不安を一蹴するように、魔王さんはポンと両手を叩いて笑って見せる。

 

「大丈夫だよ! だってわたしたちは友達でしょ?」

「はい、それはもちろん。むしろそこに不安なんて一切ないです。そうじゃなくて……」

「奈落ちゃん! 心配することなんて何もないよ。きっとうまくいく。大丈夫だよ!」


 魔王さんは本当にいつも真っすぐだ。

 私は真逆で、いつも色んなことに怯えて不安になって。


『ここで別れてしまったら、一旦は敵同士になってしまう』


 最初に頭をよぎったのは、そんな不安。

 でも魔王さんの言う通り、きっと私たちなら大丈夫、だと思う。


 でも。


 でもこれは、そういう不安じゃない。

 これは……。



 ◆ ◆ ◆



 ――ヘル様の講義後。謁見の間、扉前。


「ふぎゅう。これでわかってもらえましたかあ、私がロキじゃないって」


 名探偵であるラクナが、みごとロキを暴く!

 って思ったんだけど、全然うまくいかず。

 それどころか、レトさんの言い分はとても正しくて。

 あやうく冤罪えんざいをふっかけてしまうところだった。

 あぶない、あぶない。


 でも本物なら、もう一つのお話も出来るぞ!


「改めましてレトさん。それではもう一つのお話を聞いてもよろしいでしょうか!」

「ふぎゅ。そういえばお話がふたつあるって言ってましたねえ。なんですかドトゥーさん?」

「ずばり! ロリ魔王さんについて教えてください!」


 まえにレトさんは魔王さんがロリ魔王様だった時のことも知っていると教えてくれた。

 そしてその時のことを、魔王さんは『大変だったかも』って言った。

 あの弱音を吐かない魔王さんが。


 たぶん当時のことを聞いても魔王さんは教えてはくれない。

 それなら、すこしルール違反かもだけど。

 レトさんから教えて欲しい。

 奈落を抜けた後の――人間と魔物が仲良く暮らす世界を作るために、知っておかなきゃいけない気がするから。



 ◇ ◇ ◇



 私は聞きましたよ。

 魔王さんが、『大変だったかも』しれなかった時の話を。

 

 だから、いまこの胸に抱いている不安は――。


「そうじゃないです。私が心配なのは魔王さんのこと」

「え? わたし? どうして? わたしならぜったい大丈夫だよ! 信じて!」

「魔王さんのことは信じていますよ。そうじゃなくて、魔物たちが、その」

「魔族を説得するなんて簡単だよ。だってわたしは魔王なんだよ? まかせてまかせて!」


 ダメだ、魔王さんの意思が固い。

 辛い思いをしたはずなのに。

 そんなものは微塵も感じさせずに、いまも笑って胸を叩いてる。

 

 でも私だって譲れない。

 魔王さんをこのままひとりで行かせるわけにはいかない。

 魔王さんにこれ以上辛い思いをさせるわけにはいかない。

 

 ……でもどうすればいいんだろう。

 魔王さんに、昔の話を聞いたって言えば、もしかしたら……。

 いや、でも。

 それは魔王さんが打ち明けてくれた訳じゃない。

 レトさんから聞いたって言ったら、魔王さんは傷ついちゃうかもしれない。

 

 いやいやでも、このあと魔王さんがもっと傷つくくらいなら、いっそ――!


「お姉ちゃん?」


 私の顔を覗き込むアリスは、とても怪訝けげんな表情をしていた。


「な、なにアリス。そんな難しい顔して」

「難しい顔してるのは、お姉ちゃんの方でしょ」


 え。私が……難しい顔……?


「あのさお姉ちゃん。魔王が心配だからとか、ずっとごにょごにょ言ってるけど、違うよね?」

「ち、違うよねって、なにが?」

「魔王の為に~っとか、怖い顔して色々考えてるみたいだけど。お姉ちゃんにとって、魔王は友達なんでしょ?」

「そ。そうだよ」

「友達なら、わがまま言えばいいじゃん」

「わ。わがまま?」

「そうだよ。相手の為に、なんて綺麗な言葉じゃなくていい。お姉ちゃんがどうしたいのか、そのまま伝えればいいんだよ」


 私が、どうしたいのか……?


 いや。でも。

 私はそれで失敗したんだよ。

 わがままに、自分勝手に振舞って、それで奈落に落ちたんだよ。

 だから。

 だから私は――。

 

 

「奈落ちゃん、大丈夫?」

 


 いつもの優しい声が、風に乗って鼓膜をなでる。

 一緒に運ばれてきたバラの香りが、こころを落ち着かせてくれる。



 魔王さんは友達。

 私の初めての友達。


 もういい加減、友達がいなかった頃の記憶に悩むのはやめよう。

 それに、奈落に落ちるからってなんだっていうんだ。

 もうあそこには、素敵な記憶しか残っていないでしょ。

 

 とびこめ、ラクナ。


「魔王さん、私。別々で、とか。嫌です」

「奈落ちゃん……」

「……一緒に、行きたいです。……色んなところへ旅をしたいです。いろんな人や魔物と出会って、たくさんふれあって。そしたら仲良しな私たちを見て、みんな思うんです。『人間と魔物って、こんなに仲良くなれるのか』って。『ああ、争い合うなんてばかばかしい』って。……魔王さんの言う、王国と魔王軍をそれぞれ説得するのも良いと思います。ううん、私の話よりよっぽど効率良いです……」


 私がどうしたいのか。

 そんなことを一方的に話すことが怖い。


 でも。


「でも、私は嫌です。友達と別れて、そんな楽しくない事したくないです」

「奈落ちゃん」

「だから。だから、。私は、ステラさんと一緒に、生きたいです」

 

 顔を上げよう。

 相手の顔を見よう。

 話しているのは、聞いてくれているのは。

 他でもない、私の友達なんだから。


「私も、お姉ちゃんに賛成かな」

「アリスちゃん」


 アリスは私の背中をポンと叩くと、鼻下を指でこすりながら話を続ける。

 

「ふたりはそれでいいんだよ。頭の固い連中に、なにを語ろうが時間の無駄だ。そんなことよりも、ふたりはそれでいい。もちろん私は、王国騎士団の団長として二人の夢を支える。頭の固い連中共の相手は、私に任せておけ」


 そう言って顎をしゃくるアリスは、鎧に刻まれた騎士団長の刻印を見せびらかせるように胸を張った。


「私が土を耕す。だからふたりは色んな土地を旅して、たくさん種をまいて欲しい。そしたら私が水をあげる。王国の騎士団長、出来ることは沢山ある。そのあとは――」

「そ、そのあとは?」

「そのあとは?」


「――仕上げはふたり。蒔いた種が綺麗な花を咲かせるためにふたりは――みんなの、太陽になってね」


「……アリスちゃん」


 ステラさんが泣いている。

 でも、笑ってる。


「だからもう、、淋しいこと言うんじゃないぞ。


「うん。ごめんね二人とも。ありがとう……!」


 私たちの思い描いていた夢を、やっと同じように空へ描けたような気がした。


 ふと見上げると、さっきまで出ていた雲はどこかへいってしまってる。

 

「それじゃ、私が道案内しよう。ステラにとっては初めての道程だし、お姉ちゃんにとっても暫くぶりの帰省だし、な」

「ふたりの故郷かあ。楽しみ。ふひひ」

 

 うん。

 再び顔を出した太陽が沈む前に、お家へ帰ろう。

 三人で、一緒に。





  

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