親指の日課

そうざ

Make it a Routine to Use My Thumb

 こんにちは。お見掛けしないお顔ですが……あぁ、やっぱり新入りの方ですか。昼休み中ですか? じゃあ、もう直ぐ正午か。道理で腹が減る訳だ。

 えぇ、私は朝からここで日向ぼっこです。毎日、暇ですよ、皆さんと違って労務とは無縁の身分ですから。雨露をしのげて飯の心配もない。悠々自適の生活って奴ですかね、ははは。

 ですか? 何だと思います?

 はい、どう見てもスイッチです、何の変哲もない。コードなんてありません、遠隔操作用ですから。

 日に一度このスイッチを押すのが、私の労務と言えば労務ですかね。親指一本の労働です。えぇ、三百六十五日、毎日、押さなければなりません。盆暮れも正月もありませんよ、ははは。

 ほら、あそこに見えるでしょ、このスイッチはあの煙突が立ってる建物に繋がってるんです。私の部屋からじゃ電波が届かないんで、いつもこの中庭まで出て来るんですよ。暑い日も寒い日も雨の日も風の日も雪の日も、例え体調が悪くてもです。

 もう何年になりますかねぇ……その事は余り考えないようにしてます、考えても仕方がないですしね。幸いと言うか、今日の今日まで大病もせずに務めてますよ。

 単調極まりない業務ですが、いざ任されると責任感が湧いて、生き甲斐みたいなものまで……大袈裟ですかね。でも、願わくば死ぬまで続けたいと思ってますよ。

 労務さえ許されず唯々ただただ独房で大人しくしていなければならない日々は辛いもんです。だから、前任者が辞めてお鉢が回って来た時は、そりゃもう嬉しくてね。前任者が辞めた理由? さぁ、根気がなかったのか、性に合わなかったのか……。

 これが何のスイッチか、やっぱり気になりますか? これまでに幾度となく同じ質問をされました。でも……言えません。そういう決まりなんです。

 しかし、まぁ、凄いですよね……スイッチですよ、スイッチ。指で押すだけで、何かが起きるんですから。改めて考えたら、日常の至る所にありますよね。誰でも毎日、何かしら押してる。家電とか、自動販売機とか、エレベーターとか、携帯電話だってスイッチみたいなもんでしょ?

 スイッチっていつ発明されたのかなぁ。人類初のスイッチって何だろう。中には取り返しの付かない一押しもあったんでしょうね。核爆弾だってスイッチを押して発射するんでしょ? よく知らないけど。

 人は何故スイッチを押すんだ、そこにスイッチがあるからだっ、なんてね、ははは。

 おっ、正午のサイレンだ。

 じゃあ、スイッチを押します。押す瞬間を人に見られる事なんて滅多にないから、変に緊張するなぁ。

 ポチッ……と。

 塔を見てて下さい……ほら、天辺から煙が出て来た。これだけです。これで今日のお勤めは完了。楽なもんです、ははは。

 さぁ……そりゃあ、煙が出るんだから何かを燃してるんでしょね。施設ここには大勢の人間が居ますから、生活ごみとか燃やす物なんて幾らでもあるでしょ。はぁ、独特の臭いがしますか? そうですかねぇ……。

 そう言えば、この国も死刑が廃止になりましたね。いやぁ、残酷とかそういう事よりも、執行を担う職員の精神的負担が一番の理由でしょう。殺す相手が大罪人でも寝覚めが悪いんでしょうね。

 噂に拠ると、何人かが横並びになって同時に執行スイッチを押すんだけど、一つだけが本物で残りは偽物。実際に手を下したのが誰なのか、判らないようにしてたんだとか。それくらい嫌だったんですね、単なるスイッチ係と思えば良いものを。深く考えたってしょうがないのに。

 さて、昼休みも終わりですな。私は部屋に戻ります。えぇ、明日もここでスイッチを押しますよ。良かったら明日は貴方の話を聞かせて下さい。収監されて彼是かれこれ三十年ですから、人恋しくってね。

 えぇ……お察しの通り、私は死刑囚です。何人もこの手に掛けました、残酷な方法でね。そんなに顔を引き攣らせなくても、何もしませんよ。もう覚悟を決めた身ですから、ははは。

 でも、今後の事がちょっと気掛かりでね。もうこの国に新たな死刑囚は誕生しません。そうなると、誰がスイッチ係を引き継ぐのか……毎日、三百六十五分の一の確率で私を焼却する役は、何処の誰が引き受けるんでしょうかね。

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