第1話 最後の秋晴れ

「ジリリリリリン!」

 小さなアパートの二〇四号室に、騒がしい目覚まし時計の音が鳴り響いた。心地よく眠っていた當銀陽介は、驚いて目を覚ますと同時にベッドから転がり落ちた。ドスンと鈍い音がして、陽介は腰をさすった。

「痛ってぇー。」

 起き上がると同時にまた、ゴツンと音がした。陽介は棚に頭をぶつけてしまったのだ。

「うわ、痛たたた…」

 その拍子に、棚の上に置いてあった目覚まし時計が落ちてきて、陽介の頭に直撃したのだ。

 そう、この當銀陽介という若者、つくづく運が悪いのだ。本人は至って真面目で、責任感も強いのだが、この悪運のせいで色々とトラブルに巻き込まれやすいのだ。だが、妙に健康なため、運悪く怪我をしてしまってもすぐに治ってしまうので、彼と関わりのある人間は皆、口をそろえて

「當銀は最強の男だ。」などと皮肉交じりに言うのだ。

 陽介はおもむろにテレビをつけようとしてリモコンを取った。その拍子に、机の角に足の小指をぶつけてしまった。

「うわああ、痛ってえ!」

 一人暮らしのアパートで、こんなに頻繁に叫ぶのも、彼くらいだろう。


「続いてのニュースです。昨夜、ファースト・アプライアンス本社ビルにて爆発事故が起きました。警察は経緯を調べています。」

「ファースト・アプライアンス?あの家電の大企業か、って、やっべ、もうこんな時間じゃんか!」

 時計の針は八時を指していた。テレビを消した陽介は慌てて着替え、家を飛び出した。


 あと数分で会社に着く頃になった時、陽介は思い出した。

「そうだ、俺、クビになったんだった。」

 昨日のことだった。彼はまた遅刻し、仕事でもその悪運によってことごとく失敗を重ね、おまけに会社のガラスを割り、ドアを外し、挙句の果てには上司のまとめた資料を全部ぶちまけたのだ。もちろんストレスが溜まってこんな行動に出た訳ではない。全て悪運のせいなのだ。しかし、入社以来こんなことを繰り返していたせいで、遂に上司もしびれを切らして昨日、クビになったのだ。逆に、毎日こんな調子でも入社してから二年間はいられたのだから、よほど寛大な上司だったのだろう。仲のいい社員達は励ましてくれたが、これ以降何処にも行く当てはない。とぼとぼと、元来た道を引き返して彼は家に帰った。


 ピンポーン。陽介がいつもより遅い昼ご飯を食べていると、ドアのベルが鳴った。陽介は退屈そうに扉を開けた。そこには、スーツの男性が二人、立っていた。一人は眼鏡をかけており、もう一人は裸眼だ。

「あのー、どちら様ですか?」

「私の名前は二條直樹。こっちが稲垣哲司です。私たちは、ファースト・アプライアンスの者です。今日、あなたにお渡ししたいものがあって参りました。」

 眼鏡をかけた男が名乗った。

「渡したいもの?」

「はい。お客様は、先日本社製のスマートフォンを購入なさった當銀陽介様で、よろしいでしょうか。」

 稲垣と紹介された男が尋ねる。

「そうですけど、何か?」

「その時にお客様に参加して頂いたキャンペーンの抽選に、当選されました。その景品を、渡しに参りました。」

 稲垣は説明を続けた。

「あ、あの時の…」

 思い当たる節があった。陽介は、この前新しいスマートフォンを買ったのだが、その時、新型健康アプリの開発のための身体能力テストのようなものを受けたのだ。正確に平均的な値を出すために、一人でも多くの人のデータを取りたいということらしい。秘密は守られるといっていたが、一応個人情報のため、アンケートに答えると抽選で、ファースト・アプライアンス製の新型の家電がもらえるらしい。

「俺が…当選…?」

 信じられないような顔で、陽介は男たちを見つめた。抽選に当たった?この俺が?信じられない。いままでの悪運祭りから、やっと上り坂になってきたのだろうか。

「で、何が当たったんですか?新型テレビ、冷蔵庫、それともパソコンとかですか?」

 期待に溢れた陽介は次々と、ファースト・アプライアンスの商品を思い浮かべた。悪運のせいで、陽介の家の家電は皆ボロボロになっている。

「いえ、お客様が当選なさいましたのは特別賞でございます。よろしければ後日、本社まで来ていただきたいのですが…」

 二條が言った。

「はい、いいですよ。どうせ暇なんで。」

 陽介は答えた。

「では、二日後の土曜日にお願いしたいのですが、ご都合いかがでしょうか。」

「いいですよ。会社もクビになったし…」

 陽介は呟いた。すると、二條が突然生き生きと語りだした。

「それなら、お客様にいい話がございます。特別賞は、完全新商品のテストとなっているのですが、成果に応じて報酬がございます。是非、二日後、お話させて頂きたい。」

 二條は目を輝かせている。

「なんですって、報酬?それはありがたい!」

 陽介は目を輝かせた。こんな幸運に恵まれたのは人生初めてだ。会社はクビになったけど、ここから俺の人生は上り坂だ。人生は谷だけではないのだ。陽介は、喜びを隠せなかった。


 二日後、陽介はファースト・アプライアンス本社ビルに向かった。中に入ると、二條と稲垣が出迎えた。

「まずは、これをお願いしたいのですが。」

 席に着くなり二條が紙を差し出した。

「今回の件なのですが、秘密厳守でお願いしたいのです。」

「はあ…」

 あまりにも唐突な話に、陽介は気の抜けた返事しか出来なかった。紙は宣誓書のようなものだった。会社に指定された秘密事項は絶対に守ること、命にかかわらない怪我の保証はしないこと、などだ。一通り目を通すと、陽介はサインをした。すると稲垣が言った。

「ありがとうございます。では、これを。」

 稲垣は、三十センチ程の箱を渡した。

「なんだこれ?」

 中に入っていたのは、妙に長いスマホのような電子機器だった。だが、五センチくらいの厚みがあり、縦には十センチ程、横には二十センチ程の大きさだ。真ん中に画面があり、周りには衝撃を防ぐためと思われるプラスチックのようなものが付いている。その他、ボタンがいくつか付いていた。

「これを使えばあなたはヒーローになることができます。」

 稲垣は淡々と言った。

「ヒーロー、ですか?」

「信じられないかもしれませんが、我々は、この世界に〝怪物〟が出現したことを発見したのです。奴らが何処から来たのかは分かりませんが、人類を脅かす存在です。混乱が起きる前に、これを使って変身し、〝怪物〟を全て撲滅してください。」

「は?」


 帰り道、陽介は混乱した頭を整理しようと必死だった。話によれば、どうやらこの世界に怪物が現れ、密かに人類社会を脅かしているらしい。それに気付いたのがファースト・アプライアンスで、極秘開発であの不思議な機械を作っていたらしい。それを使って怪物を撲滅し、人類を危機から救う。それが「特別賞」の内容だった。

 健康アプリの開発は、機械に適合できるタイプの人間を探すものであり、それに適合したため陽介は選ばれたらしい。

 まるで漫画のようで、信じられない話だったが、怪人と思わしき写真も見せてもらったし、危険な仕事ということで、バイトにしては報酬もなかなか高い。これで当分の間は食うのには困らなそうだ。怪物が出現したら連絡が来るらしいから、特にあてずっぽうに捜す必要もない。やっと幸運が巡って来た。そう思うと陽介は嬉しくなった。


 ファースト・アプライアンス社長室に、あの真面目そうな青年秘書が入って来た。

「適合者一号が決まったようです。」菊池義雄は黒沢一郎に報告した。

「これで〝世界の平和〟が保たれる。素晴らしいことだ。」

 黒沢はニヤリと笑った。

「適合者が増えるよう、〝ベルト〟の改良を続けるように、残った開発部のメンバーに言っておけ。」

「分かりました。」

 菊池は答えた。


「社長命令だ、二條、稲垣。適合者が増えるように改良をしろとのことだ。」

 そう言うと菊池義雄は開発部を後にした。

 二條直樹と稲垣哲司は頷くと、再び研究に戻った。冬はますます近づいている。


 當銀陽介がファースト・アプライアンスにスカウトされてから三日が経った日のことだ。冬が迫る中、今シーズン最後の秋晴れと称される程いい天気だ。文字通り雲一つない青空見上げ、陽介はあくびをした。あれ以降、怪物にも出会わないし、二條や稲垣も見かけない。ひとまず生活に困らなくなったことだけが彼の唯一の救いだ。

 都心緑化のため造られた広い公園のベンチに腰掛けると、ひと際高くそびえ立つファースト・アプライアンス本社ビルが見えた。平日の午前中にこの公園にいるのは小さな子連れの母親とハトにパンくずをやるお爺さんくらいで、若者は陽介くらいしかいない。退屈だなあ。また陽介はあくびをした。と、その時だ。突然爆発音が鳴り響き、人々の悲鳴があがった。驚いた陽介が爆発のした方向を見ると、得体の知れない人型の何かがこちらに向かってくるのが見えた。恐ろしいその姿は、この世の物とは思えなかった。

「まさか…これが、怪物?」あっけに取られる陽介に、怪物はどんどん迫ってくる。その時だ。あのスマホのような機械から音が鳴った。

「怪物が出現しました。怪物が出現しました。ただちに現場に向かい、交戦してください。」

 画面に地図が表示された。間違いない。今目の前にいるのが怪物だ。今の状況が信じられなかった。こんなことが現実に起きるのか。今からこいつと戦うのか。そう思うと陽介の身体は震えた。だが、やるしかない。二條に言われた通りに機械を腰に当てると、端からベルトが放出されて陽介の腰に巻き付いた。

「やるしか、ないのか…。ならやってやるさ!」

 自分を励ましながら、力任せにボタンを押した。すると、電子音が鳴り、陽介の身体は光に包まれた。何かが身体中に装着されていく感覚がした。光が薄まっていくに連れて陽介は、自分の身体が〝変身〟したことに気が付いた。全身が青いスーツのような者に覆われ、その上から銀色の走行が胸、腕、足を覆っている。顔もマスクで覆われ、全身から力が漲って来る。

「これが、ヒーロー?すっげえ…。」

 陽介が驚いている間に怪物は手が届く距離まで来ていた。

「う、うわああああ!」

 思わず陽介は手で怪物を押し返した。するとどうだろう。怪物は数メートルの距離を吹き飛び、地面に倒れ込んだ。

「すごい、これなら戦える!」

 陽介は怪物にパンチを食らわせた。キックもした。運動とは無縁だった彼は今、怪物から人類を守るヒーローとなったのだ。そう思うと胸の鼓動が高まり、力がさらに漲った。

 夢中で戦っていると、突如ベルトが光った。

「戦闘中に体を動かすことによって電気を貯めます。電気が一定以上貯まれば必殺技を放つことができます。」

 稲垣が説明してくれていたことを思い出した陽介は、再びボタンを押した。すると、身体が痺れるような感覚がして、全身の筋肉に力が入った。

「よっしゃ行くぞおおおお!」

 腹の底から声をあげ、陽介は怪物の胸に力いっぱい拳を突き付けた。バチバチバチ…ドーン!全身から雷が放たれた。痺れた怪物はそのまま倒れこみ、爆散した。

「これが、ヒーローの力…。」

 掌を眺めながら陽介は呟いた。太陽は何にも邪魔されずにただ眩い光を放っていた。

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