§Cento1§ 一ノ瀬 萌希《いちのせ もえぎ》【Section 1】

 白い天井。腕に繋がれた管をたどると、ゆっくりと液が滴るビニールの袋。

 無機質な銀色の什器にぶら下がっているそれを見て、私はため息をつく。

 何だか凄く不思議な夢を見ていた気がしたけど…。

 ふと、そよ風が前髪を撫でていく。

 窓のレースのカーテンがすこしたなびいていて、隣の病棟との間から切り取られたような青い空が見えた。

 今日は天気がいいんだなぁ…。

 クラスの皆は、今頃何をしているだろう。

 今春、私は高校一年になったばかりだ。

 中学校からの知り合いも多い、家から近い高校にしたんだけれど5月のゴールデンウィーク後に倒れて、それからずっとこの状態だ。

 小さい頃からこうだから、もう慣れた。

 この病院も、通いなれた病院。

 この部屋は、私の専用病室みたいなものだ。

 家族は、一週間に一度くればいい方。

 私はもう、諦められているのだ。

 見舞いにくれば、弟の話ばかり。

 弟は、小学校にあがったばかりだ。

 男の子をずっと欲しがってた両親が可愛がるのはわかるけど…。

「私…生まれてこなければよかったのかな…。」

 ボソっと小声でつぶやく、いつもの一言。

 原因不明の、この病気。

 いつになったら寛解するのか完治するものなのかいまだにわからないらしい。

 ただ、一つ言えるのは。

 私は、20才までは生きられないそうだ。

 担当の先生はそうおっしゃっていた。

『そりゃあ、弟に愛情は向かうよね…。』

 そう思いつつ、また空に目をやると、雲が流れてくる。

 外に出たいなぁ、今日は。

 ベッドをゆっくりと、リモコンで起こしてみる。

 まだ点滴は半分以上残っているので、きっとあと2時間はこのまま動けないのもわかっている。

 大体いつも昼食の時間に合わせて終わるように設定されているみたいだ。

 その時、珍しくノックの音がした。

「はい…。」

 返事をすると、いつもの看護師さんが満面の笑みを浮かべて入ってきた。

「もえちゃん、おはよう!今日は顔色いいわね。良く寝れた?はい、検温ね。」

「あ、はい。おはようございます。なんかいいことでもあったんですか?」

「あら、わかるぅ?今日からね、新しい先生が来ることになってね。

 その人がエリートで滅茶苦茶イケメンなの。仕事来るのがそれだけで楽しみ♪」

 私の担当、原田はらださんははしゃぎながら言う。

「へぇー、原田さんの好みなんだ?」

「あの顔面がんめんはずるいわよぉ、偏差値へんさち高すぎ!

 きっともえちゃんもポーっとしちゃうから!」

「えー?私も?でも恋なんてしたって実らないもの私。」

「なーに言ってるの!そんなこといいながら、本当は学校に好きピいるんじゃないのぉー?」

 好きピて。

「いないよぉ、友達ならいるけど幼馴染みたいなものだし。」

「ふぅん…そっかー…。恋くらいしたいよねぇ…。」

「いいの、私の彼氏は点滴だからっ。」

「そんなこと言わないのー、学校行けなくなるわけじゃないんだから。

 今のとこ、容体は落ち着いてるようだしあと3日くらい何もなかったら退院してもいいって先生言ってるし。」

「ほんとっ!?」

 その私の言葉と同時に、体温計がピピッと音を立てる。

「はい、見せてー。うん、平熱平熱。今日は天気もいいし、後で日が高くなったら

 お散歩行こうか?」

{はい、外に出たいなって思ってたんで嬉しいです!」

「あんまり興奮しないの。」

 原田さんは苦笑して、体温計をしまいバインダーに閉じてある紙に何かを書き込んだ。

 原田さんが、ドアを開けて病室を出ようとしたとき見たことのない白衣を着た男性が入ってこようとしてたらしく、出会いがしらお互い顔を見合わせていた。

「びっくりしたぁー!阿久津あくつ先生…どうなさったんですか?」

 この人か、イケメン医師って…。

 確かに、すごく整った顔立ちをしている。

「ごめんごめん、大丈夫?僕の担当する患者さんの様子を見ておきたくてね。

 失礼するよ。検温は終わった?」

「はい、これです。」

「うん…経過順調だね。顔色もよさそうだし…。」

「あの…担当の先生変わるんですか?」

 おそるおそる、質問する。

 そんな話聞いていない。

「うん、そうなんだ。今の石井先生が、栄転なさるんでね。

 今日から僕が担当医。よろしく、一ノ瀬萌希いちのせもえぎさん。

 僕は阿久津あくつ阿久津亮治あくつりょうじ。」

 そういって、阿久津先生は点滴のついてないほうの手の方に手を差し出してきた。

「よ…よろしくお願いします…。」

「少し、時間構わないかな?お話したいんだけど。」

「じゃあ先生、私他の方の検温もありますのでこれで。もえちゃん、また後でね!」

「あ、はい。原田さん、いつもありがとうございます。」

 原田さんは、阿久津先生におじぎをして私に手を振ると部屋を出て行った。

「さて、一ノ瀬さん。学校は行きたい人?行きたくない人?」

「えっと…行きたい人です。」

 私がそういうと、阿久津先生はにっこり笑った。

 なるほど、この笑顔に看護師の方々はやられるんだな。

「そうかぁ、ならよかった。好きな人でもいるのかな?」

「いえいえ、そんなんじゃなくて単純に皆と話したり登下校したりしたいんです。」

「…20才まで生きられないとしても、かい?」

 いきなり核心をついてきたな、この先生…。

「はい…辛いけど、それはもう覚悟してます。学校で倒れるなら本望です。」

「そっかぁ…ふぅん…。」

 阿久津先生はそういいつつ、窓をしめカーテンをしめた。

「そろそろ冷えるからね。今日は天気がこれから荒れるそうだし。」

 そして、病室のカギをかけた。

「先生…?」

「ねぇ、一ノ瀬さん、僕とお付き合い、しない?」

「え…?」

 先生は点滴を付けたほうの腕を優しく撫でてきた。

 「せ…んせ…?」

「やっと…やっとたどり着けたのに…不幸なまま死んじゃうなんて、悲しすぎる。僕が君をもらう…そう決めたんだ…あの時から、ずっとずっと…。」

 耳元に囁いて、私の長い髪の毛を優しく撫でると唇を指で触りはじめる。

「可愛い唇…変わってない…。」

「あの…先生…いったい何を…おっしゃってるんですか…?私…先生に会うの…初めて…ですけど…。」

 阿久津先生は真顔になり、溜息をついた。

「あいつら…どこからどこまで記憶を消したんだ…というかどれほどあの薬をこの子に……。」

 呟いて、少し辛そうに唇を噛む。

 このお医者さんは、何を言ってるのだろう。

 あいつら?薬?何の事…?

「いいかい、よく聴きなさい。君は今、君のいるべき場所にいないというか…。

 君の家族は、偽物なんだ。君はあいつらに殺されようとしている。」

「…え…?」

 「僕の事だけ信じて。いきなり現れてこんなこと言う奴頭いかれてるって思うかもしれないけど…でも…君を探すために医者になったのは本当なんだ。

 ある情報がやっと手に入って…でももう…こんなに症状が進んでるなんて…。」

「あの…貴方は…家族が偽物って…?」

「君は、あいつらに子供の頃の記憶も身分も薬でわからないようにされて

 あまつさえその薬で命を削られているんだ。君が本来いるべき場所はあの家族の場所じゃない。今は混乱するだろうけど、きっと大丈夫にするから。君は家族が見舞いに来てもいつも通りにしていて。」

「え…っと…はい…。わかりました…。」

 理解が追い付かない、でも…納得がいくのはなんでだろう…。

「うん、いい子だ。もえ。素直なのは、変わってないね。」

 満面の笑みに、ちょっとドキッとしてしまう。

 でも、この笑顔誰かに似てる。

 誰だろう…タレントさん…?好きだったアイドル…?

 違うなあ…うーん…知ってる気がするんだけど…。

「痛っ…。」

 急に頭痛が襲ってくる。

 いつもそうだ。

 何かを思い出そうとすると…。

「大丈夫?無理して思い出そうとしなくていい。これからでいいんだ。

 これからの君を、僕に全部預けてくれないか?君が幼いころから、僕は

 君を知っている。君の本当のご両親も…兄弟も…。」

「私…の…。」

 本当の両親…?兄弟…?

 そうか…だから…うちの家族は…私に興味がないのか…。

 それどころか…私を…亡き者にしようと薬を…投与し続けてたんだ…。

 一体…いつ…?

「もえ。君は葛城もえ。僕の隣の家に住んでた、可愛い僕の未来のお嫁さん。

 つまり婚約者だ。10才離れてるけど、関係ない。阿久津家と葛城家はお互いそうやって反映してきた。政略結婚では全くなく、お互いがお互いを必要とした結果こうなったんだけど…これでも僕を思い出せない…よね…。」

 整った顔立ちを曇らせて、私の頬を優しく撫でた。

 婚約者…阿久津先生が…私の…。

「あの…先生みたいなカッコいい人が…婚約者だなんて…勿体ない…です…。」

 赤面しながらやっと、絞り出した言葉。

 なんかめっちゃ恥ずかしいんですけど…。

「あはっ。カッコいいだなんて、嬉しいなぁ。昔から、君は僕にべったりだったからね。カッコいいって言われたのは初めてだけど、大好きーっていつも胸に飛び込んできて可愛かったなぁ。今は、素敵なレディーになったね…。」

 阿久津先生は、私の顎を優しく持ち上げて唇を重ねてくる。

 きゃー!!きゃーーーー!!!!

 キスされたああああああぁあ…私のファーストキス…が…。

 先生の舌が、するりと滑り込んできた。

 私は、嫌じゃない…初めてだけど、何とかそのまま受け入れて、それに不器用に応じる。

「っふ…ぅ…。」

 長い長い、口づけだった。

「ごめん。我慢、できなかった。もう11年お預け食らってるからね…。

 君との口づけ…。君は5歳、僕が15歳の時以来だ。君からしてきたんだよ。」

「えっ!?」

 私…そんな発展家さんだったというか…おませだったのね…。

 真っ赤になってると、クスクスと先生は笑ってこう言った。

「昔みたいに、2人の時は亮治か、亮兄でいいよ。僕のお姫様。」

 僕のお姫様…どこかで聴いたセリフ…。

 もっと甘い、高く柔らかい声で。

 私は、この人を知っている。このセリフは、この人のものだ…。

「さて、王子様は回診行ってくるよ。お昼ご飯ちゃんと食べる事。

 いいね。解毒薬混ぜる事になってるから。」

 いたずらっぽく笑って、阿久津先生…亮兄は頭を撫でふと思ったように口にした。

「どうして君がこんないい病院の最上階の特別室にいるか考えてみたことある?

 それを考えれば、普通の一般的な家庭には維持が無理ってこと、高校生ならもうわかるよね?」

「昔から…個室でここなので…それでかなぁって思ってたんですけど…。

 確かに…そうですね…。」

 父はどこで働いてるのか、いつ働いてるのかわからないほど常時家にいるし…

 それは母もなんだけど…家でできる仕事でもしてるのかと思っていた。

 父に至っては、毎日パチンコしたりしてるし母は専業主婦と言いながら友達と旅行に行ったり、ホテルのランチ行ったりしてるし。

 我が家はこう見えて資産家なのかなとも思っていた。それにしては、家が普通すぎるし、弟が通ってるのも私が通ってるのも私立じゃないし…。

 けど、よくよく考えてみたらおかしいことばかりで…。

 たとえば、子供の服にお金かけないで自分たちばかり贅沢してるとことか…。

 父親の知り合いっていう人たちがみんな体に絵が描いてあるとか…タトゥーっていうらしい。たまに描いてない人もいるけども、その人いつも偉そうにするし…私、お尻触られたしこの間…。とにかく怖い顔の人や色んなとこに傷のついた人が多い。

 あの時父が止めたのは親心少しはあったんだなと思ったんだけど本当の親子でないとすればなんでだろう…。

「一ノ瀬さーん、お昼ですよー。」

「あ、はい。」

「今日は、普通食だから美味しいよ。デザートもついてるし、もうすぐ退院かねえ。」

「はい、だといいです。経過観察だそうです。」

「そうかい、お嬢ちゃんも長いものね。たくさん食べてね、いつもより量あるからね。」

 給仕の栄養士さんだ。

「うん、顔色もいいわね。冷えてくるみたいだから散歩はやめたほうがいいけど。」

「先生もそう言ってました。」

「あのイケメン先生に変わったんだって?よかったねぇ!前の先生は違う病院に転勤らしいね。この医療法人葛城総合病院で務めたんだからいいとこに行けるだろうよ。」

 かつ…らぎ…病院…。

 ああ…そうか…だからなんだ…だから私、この部屋にいられるんだ…。

 涙が、溢れてきた。

「あらら!どうしたんだい?大丈夫かい?」

「あ、ごめんなさい、やっと退院で学校行けると思ったら。」

 事実なんだ…そうか…私…親だと思ってた人達に…愛されてなかったんだ…。

 私…退院したら…どこに行ったらいいの…?

「だよねぇ、退院したら思い切り青春だねえ。高校生だし、花盛り。

 うらやましいなぁ、おばさんも戻りたい!」

「えへへ…。」

 いつもこの病院の人達には、励まされる。

 この笑顔、明るさ。

 いつもなら…そう、いつもなら…。

 お昼ご飯は、とてもおいしかった。

 珍しく、完食してしまった。














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