ココロノアリカ~癒場所の物語・タバーン~

藤棚更紗

プロローグ

「私はいつも此処に、この場所にいるから…。」

 儚い脆いガラスの様な微笑を浮かべ、その人は言った。

 彼女は一体いつから、そこにいるのだろう。

 そこだけが、時間に置き去りにされている乾かない水溜まりのような

 そんな空間だった。

 目が覚めて、顔の横にいた黒猫に顔をペロペロされ、起き上がりそのに導かれて歩いた先のお店なのか旅館なのか…それとも酒場なのか喫茶店なのか。

 青い小さい花が咲き乱れる丘の上の、不思議な場所。

 そこに、その女性ひとは居た。

 差し伸べられるその手を取ったら、もう自分に戻れない気がした。

「貴女は誰で、どうして私のすべてを知っていて、どうして私の

迷っている事を、すべて見透かしてしまうの? 女神様なの?それとも悪魔なの?」

 彼女はその問いにふと虹色の双眸を伏せ、小さく呟いた。

「私は…そのどれにもあてはまらない…そのどれにもなれない…選ばれない者…。

 元々は貴女と同じ人間だもの。だからこそ、わかるの。一つ私が自分の事を言えるとすれば…ずっとここに在る者…かな…。 お客様は貴女で何人目かしらね…。大勢の人がこの子を見つけられないのに 貴女はとても、いい目をしているのね。」

黒猫が、大きなあくびをして私の隣の椅子に丸くなり、寛ぎ始める。

可愛いなあ、となでなでしていたらグルグルと喉を鳴らしている。

なつっこい子だなぁ…。

 そうしていると、アールグレイのいい香りがふわっと立ち上り、目の前に白を基調とした蒼い花のティーソーサーに添えられたお菓子と、ティーカップが置かれる。

「えっと…此処にお独りで、ずっと…?」

「独りではないわ…この子がいるもの…。冷めないうちに、どうぞ。」

 私はお菓子を、一口頂く。

 甘くてほろっと口の中でほどけていく、優しい手作りクッキーの味。

 こんなの食べたの、いつだったっけ…小さい頃、かな……。

 ドクンッ!!

 心臓が、すごい音を立てる。

「…貴女は、どちらを選ぶ…?このまま、この世界を通り過ぎてこの子に導かれてあるべき世界に還るか…もしくは、現世(うつつよ)に何かを心残りにしているのならその心残りを片づけるか…それとも…現世にとどまるか…。」

 苦しい…私は…。

 私はどうしたいの…?

「私は…っ…。」

「決めたら、苦しくなくなるわよ…。選んだ方にお行きなさい。」

「…生きたい…ううん…生きたかった…。」

 やっと、絞り出した言葉。

 そう、私は死んだのだ。まだまだこれから、16才という若さなのに。

「そうよね…貴女が死んだ原因はわかってるというか知ってるというか…。

 失礼だけど、可哀そうな人生よね。それもたった16年。だけどそれには意味があって 貴女が選んだ人生の一つなのも確かね。」

 白に近い銀の髪の巻き毛を指で弄びながら、彼女は静かにそう呟いた。

「ただ、それでもね。他人に閉じられる人生や自分で閉じる人生はできるだけないほうがいいわね。因果応報や苦痛から逃れる方法がなかったといえど、気持ちはよくないですもの。」

「はい…私は…。」

「どうすれば気が済む?貴女を殺めた者を同じ目に合わせる?それとも、生き地獄を見せて狂わせる?世間的に抹殺っていうのも、いい手よね。色々とあるけど…貴女はどうしたい…?」

「私は…。」

 彼女は、私がそのあと紡いだ言葉に驚いていた。

 そして、悲しそうに笑ってこう言った。

「さ、召し上がれ。これを飲み干したら、貴女の思った通りにできるわ。

 貴女には、このカードを預ける。このカードの絵が薄くなってきたら、貴女をここに呼び戻すサイン。忘れないで。時間は、24時間。夜0:00を回ったら、人には会わない事。いいわね。」

「はい。頂きます…。」

 彼女に渡されたのは、一枚のタロットカード。「恋人」のカードだ。

 紅茶を一気に飲み干すと、何だか体が溶けてほどけていく感じがした。

 私がさっき口にしたクッキーのように、甘く、そして切なく。

どこかで、猫の鳴き声がした気がした。








  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る