殺人記 番外編

巡ほたる

あるラジオ番組にて バレンタインの思い出

「バレンタインの思い出。ええ、分かってはいるんです、この話が募集していたバレンタインの話と趣旨が明らかに違っていることは。でも、この怖くて、不気味で、ほんの少し希望を持ってしまっている話を誰かに聞いてほしくて堪らないのです。

 夢かもしれないし幻想かもしれない。もしかしたら私たち夫婦が見ている都合のいい幻覚という可能性だってある……だって、こんなありえない話は、むしろ幻覚だと断言されてしまった方が余計なことを考えなくて済むのですから。

 私たち夫婦には子供がふたりいました。過去形です。もう七年も前になるのでしょうか、息子と娘をほとんど同時に亡くしたのは。

 息子は頭が良くて、次の年にはかなり名前の大きな大学へ入学することが決まっていて、なのに全然それを驕ることもなく「偶然だよ」とか「母さんたちが応援してくれたお蔭だよ」とか、こっちへの気遣いまでする優しい子でした。

中学生のときに習った元素から始まって、色んな化学を学ぶのが好きで、学校で行われる読書の時間にも理科の教科書や大学が発表した論文を読んでは「それは読書ではない」と先生に怒られたとぶすくれて帰ってくるほどのめり込んでいました。高校に入ってからは特に毒性学というものに深く興味を持って、ボツリヌス菌が一番危険だとか毒キノコの毒性だとか、私にはちんぷんかんぷんでしたけれど随分楽しそうに話していました。いつか毒性学を極めて、毒物で死にそうになった人も助けられるような医者になりたい……こう私に目を輝かせて話していたのはいつ頃だったでしょう。

妹である娘にも語って聞かせていたけれど、娘の頭にははてなマークが沢山あったみたいで、そのあと「お兄ちゃんの話は難しすぎるよ」と本人のいないところで愚痴っていました。

 妹である娘のことはとても大事にしていました。幼い頃、遊びに行ったと思ったら数分経たないうちに帰ってきて、犬が怖いと泣いた娘に、少し寝坊して起きてきた息子は寝間着のTシャツにジャージのまま、サンダルをつっかけて送ってあげたんです。娘も「お兄ちゃんがいるなら怖くない」なんて、ついさっきまで半べそかいていたくせに言うものですから、私は可愛いやら楽しいやら、ふたりで歩いていく後ろ姿をこっそり写真に撮ってしまいました。

 娘はどことなくぼんやりしていた子でしたが、変なところで思い切りが良くて、急にピアノを習いたいと言って夫が昔使っていたキーボードで練習をしていたんですけれど、才能があったのかどんどん上手くなっていって……ピアノを通じて知り合った人に本気でピアノを極めてみないか、なんて冗談みたいな誘いをされて、娘も安直にそんな怪しい人の誘いに乗ったものですから、当時は家族中が混乱していました。

でも案外人を見る目はあったのでしょう。誘ってくれた人も本気で、娘のピアノの上達のために我が家に本物のピアノが送られてきたのです。グランドピアノは流石に家に置く場所がないと、娘が事前に誘ってくれた人に断っておいてくれてよかった。そうでなければ今でも娘の部屋の半分以上がグランドピアノに占領されていたでしょうから。

 兄である息子のことは誰よりも頼りにしていました。ぼんやりした、なんて言うと可愛らしく感じるけれど、見る人が見れば少しとろくさくてイライラしてしまう部分もあったから、気の強い男の子からちょっかいをかけられることもあったんです。それが数日続いて娘も我慢の限界で、それであの子、親より先に兄に相談したんです。

 これは全部あとから聞いた話なのですが、兄に相談した娘はある計画を立てたんです。息子は本当に頭が良かったから、あんな荒唐無稽な計画を企てて成功させてしまえたんですね。簡単に言うと、ピタゴラ○イッチです。娘は足が遅いので追いかけられると簡単に追いつかれて、それでランドセルを掴まれて……なんてことが多かったらしいんですが、息子はそこに罠を張りました。その日も追いかけられた娘は、いつもならもっと簡単に追いつかれてしまったけれど、兄との復讐計画のために本気になって走って、いじめっ子からある地点まで逃げ切りました。ある地点でぴょん、と飛ぶと、足元には転ばせるための紐。いじめっ子は気付かずそれにひっかかります。すると、あらゆるところから集めてきた木材がまるでピタゴラ○イッチみたいにドミノ倒しで色々起こって、そんな急展開にいじめっ子も呆けて眺めてしまい、最後はいじめっ子のお股に、落ち葉で隠してあった太い木材が地面から持ち上がってコーンと当たったらしいんです。

 今考えるとニュースになってもおかしくない事件ですね。でも向こうの親も娘のされたことや日頃の行いを考えるとちょうどいい制裁だった、と後日耳打ちされて、そこでようやく私もそんな復讐計画の全貌を知ったんです。冷や汗が出ました。

 そんな娘は中学三年生になってしばらくして、急に身体の調子がおかしくなってあっという間に入院してしまいました。

 原因もわからない病気で、どんどん体の機能が衰えてくから脊髄小脳変性症とかパーキンソン病とか、様々な病名が憶測で飛び交ったのですが、結局あれがどんな病気だったのかはわかりませんでした。

娘のピアノの才能を見出した、我が家に本物のピアノをくれた方で、どうやらかなりのお金持ちらしい人が、娘のピアノの才能を惜しんで……と言って多額の融資をしてくれて、かなりいい病院に入院させてもらえたんです。本当にありがたかったですね。

でも病気は治るどころか、目に見えないところで娘の身体をどんどん蝕んでいきました。これが脊髄小脳変性症やパーキンソン病と違うところで、話すことも動くことも普通にできるのに明らかに数値が狂っていくんです。

 病名がつくこともなく、娘は二月十四日になってすぐ、息を引き取りました。雪の降る夜でした。

 娘は頑張った、でもどうして死ぬのが娘でなければいけなかったのか、できることなら自分が代わってあげられたらよかったのに……そんな自分への責任転嫁と叱責を繰り返したけれど、娘が帰ってくることはありません。息子があんなに感情を露わにするところなんて見たことはなかったのに、初めて見たあの子の涙が娘の死で悲しむ涙だったなんて……。

 そして娘の告別式も済んだ数日後、卒業おめでとうテストとかいう祝う気のまったくないテストを受けに行く息子の背中を見送ったのが、息子の姿を見た最後でした。

 娘が亡くなって気落ちしていたのに、ちゃんと学校のイベントには参加する律義なあの子を、あの日、引き留めなかったのを今でも後悔しています。妹が亡くなってテストなんて受けられるはずがない、無理しないで休みましょうと、強く言って休ませていれば、息子を喪うことだってなかったはずなんです。

 あの大事件は記憶に残っている人もいるかもしれませんね。

 殺人鬼が息子の通う教室に爆弾を仕掛けて、息子の教室と両隣と階下の教室を巻き込んだ爆破事件。死者は百人近く、仕掛けられた教室の生徒と教師は全員死亡……。息子は、死体も見つかりませんでした。

 何故、息子でなければいけなかったのでしょう。

 何故、娘でなければいけなかったのでしょう。

 私たちはそうして、息子と娘をほぼ同時期に亡くしました。

 ……これで終わりではありません。最初に言った、怖くて、不気味で、ほんの少し希望を持ってしまっている話は、続きがあります。

 それは、娘の命日である二月十四日に必ず起こっているのです。

 娘の命日にわたしたち夫婦は毎年墓参りをしているのですが、朝早くに行くにも関わらず、私たちより先に梅の花と線香が手向けてあるのです。それも毎年。

 ふと思い出すことがあります。

 息子は娘が亡くなる日の夜、私に「梅の花ってどこに売ってる?」と訊ねました。私はなんと答えたのか覚えていませんが「どうしてそんなことを訊くの」と返すと、「妹が次のお見舞いの花は梅がいいって言ってたから」と答えました。

 それを知っているのは私と息子だけです。お見舞いに梅の花がいいと、娘が言ったのを知っているのは。

 だから……あの梅の花はもしかしたら息子なのではないかと、私は不気味に思うと同時に希望を持ってしまっているのです。息子はまだ生きていて、娘の命日に、私たちより先に娘に梅の花を届けているんじゃないかと。

 これが私の持つバレンタインの思い出です。甘いお話でなくて申し訳ありません。けれどどうしても、誰かに聞いて欲しかったのです。

 ――S県の、ラジオネー」


 ぶつん。


 と、毒殺は車のエンジンを切って煙草を吸いに外に出た。

 妹の眠っている墓地は少々遠く、こうして高速道路を使わなければ日付が変わる時間に間に合わない。立ち上る煙を眺めると、あの日見た凄惨な笑顔の天使を思い出す。

 梅の花も用意したし、あとは十二時前に墓地に行くだけ。両親にも見つかるわけにはいかない。

 息子が殺人鬼になったなんて、娘も残酷な殺人鬼だったなんて、あんな善良な両親は知るべきではない。

 煙草の煙を深く吸って一息に吐く。

 今年も大嫌いなバレンタインデーがやってくる。

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