「沈黙は金」であり「死人に口なし」なら、死人には金ほどの価値がある。
大総統が死に、その張本人である側近の兵士が姿を消してから一ヶ月が経った。僕にしてみれば当たり前ではあるが、結局、側近の兵士も、そしてペトー・タルレインも、どれだけ探しても見つからなかった。あるいはあの混沌は、僕らに交じって自分を探す振りをどこかでしているのかもしれないが、それを知る術は僕らにはない。
大総統の死は、まだ国民には知らされていない。
「死に意味はない。だが、残された者が誰かの死を受け入れるには、そこに意味が必要なのだよ」と、シューベルは言った。「無意味な死を受け入れられる者は多くない。自分が死ぬときにはそれが有意味だろうと無意味だろうと、その瞬間には大きな問題ではないが、誰かの死を目の当たりにしたとき、それに意味を求めてしまうのだ。それは、自分の死にも何らかの意味があると、自分の命は何か意味のある終わりに向かって消費されているのだと、そう信じたいからかもしれないな」
シューベルの言っていることは僕には多分半分も分からなかった(言葉や言語が分かったとしても、意味が分かるかどうかは別の話だ)けれど、確かに、大総統が僕らとは文字通り次元の違う存在によって『これ以上は物語を面白くしそうにないから』という理由で殺されたなんて説明することはできない。
それならどう説明する?
事故死?
自殺?
どうすれば、あの大総統が死んだことに納得のいく理由が得られるだろう。
僕らはまだ、その理由を見つけられずにいる。
だから、大総統はまだ生きていることになっているのだ。
ある意味で僕らは、大総統の死を受け入れられずにいるということだ。
「——って、そんな話を一介のメイドさんである私にしちゃって良いんですか?」
昼下がりの、客が少ない日のディミトリ・トレード。
その店先で、僕は人目を憚りつつ、アリアにこの話をした。
「アリアは一応、今回の作戦でかなり重要な役割を担ってくれたし——ひょっとすると今後も何かお願いするかもしれないし、全部を知ってもらっておいた方が良いかと思って。それにアリアは、わざわざこの話をどこかでするようなことはないと思うし」
「分かりませんよ? メイドさんが重要な秘密を目撃してしまうのは、色んな物語の導入になりそうじゃないですか」
「でもその場合、大抵メイドさんが危ない目に遭うけどね」
「確かに。やめておきましょう」
「まぁ、ディミトリだったら、こんな千載一遇のチャンスと値千金の情報をどうしていたことか、分かったものじゃないけれどね」
「——ディミトリさん、何処に行っちゃったんでしょうねぇ」
あの後。
ヴェンドヴルムから賠償金を得て、ポリグラットの財務官はこれをそのままディミトリから購入していた武器類の支払いに充てた。これによってポリグラットの武器庫にはディミトリがこれまで出し渋っていた弾薬の類いがようやく納品されることになり、ディミトリは莫大な利益を得たのだった。
そして、ディミトリは姿を消した。
「ちょっと店を空けるので、その間、留守をよろしくお願いします——なんて言ってましたけど、本当、何処に行っちゃったんでしょう」
ひょっとすると、ディミトリもあの混沌が持つ貌のひとつだったのかも、とふと思った。
だがあの傍観者に徹するのを常とする混沌にしては、ディミトリはあまりにアクティブ過ぎるかもしれない。
考えても仕方がないか。
また会うことがあれば、会うだろう。
ディミトリにも、ペトーにも。
「そのうち帰ってくるよ、多分ね」
「まぁ、そうだとは思うんですけどね。ご主人様が近くにいないと、メイドさん力を発揮しにくいので」
・・・
「変なの。メイドさんってそういうものなの?」
自室に戻ると、そこにはシェラの姿があった。
ここ最近は、一日にあった出来事をシェラに言って聞かせるのが日課になっていて、シェラはそれを通じてポリグラット語を覚えようとしているようだ。
「僕も正直、メイドさんについては詳しくないから……」
「要は召使いってことだよね?」
「まぁ、多分。でも、アリアが言っているのは立場としてのメイドさんじゃなくて、自分の在り方の定義としてのメイドさんなんじゃないかなぁ」
「むつかしいことを言うなぁユウは」
「立場が人を作る、って言葉があるけど、アリアはそう在りたい自分を実現するために立場を獲得している、というか……」
「むつかしいなぁ」
「人は、どうすればなりたい自分になれるのか、って話なのかも」
「なりたい自分をイメージして、それに向けて必要なことをするってだけじゃ駄目なの?」
「それが難しいって話なんじゃないかな」
「そうなのかな。難しいことを簡単そうに言ったり、簡単なことを難しそうに言ったりする人がいるけど、それってあんまり良くないんじゃないかな、って、ウチは思うな。今回、特にそう思ったよ。本当は、伝えるべきことは真っ直ぐ伝えるのが一番良いんだよね」
伝えるべきことは、真っ直ぐ伝えるのが良い。
多分、それはその通りだ。
状況に無理に干渉しようとして本当は思っていないことを言ったり、本当は言っていないことを肯定したりすると、状況はどんどん悪くなる。
何処までが『方便』として許され、何処からがただの『嘘』になってしまうのか、その境界も曖昧なことが多い。
今回だって、ひょっとすると大総統の死という青天の霹靂がなければ、事態はどんどん複雑になっていたかもしれない。仮に戦争を回避できていたとしても、ポリグラットに対するヴェンドヴルムの行動に対する理解と、ヴェンドヴルムのポリグラットに対する行動の理解の齟齬は、きっと何処かで大きな軋轢になっていただろう。
大総統が死んだことで、死人に口なしというわけで、大総統が本当はどう思っていたのかを、今や僕らは自由に捏造できることになった。お陰でヴェンドヴルムとの国交関係の歪みもかなり是正できた。
しかし、もしも最初から、素直にメッセージを送っていたら?
例えば、宣戦布告の便箋に、『しかし外交官としての私は、この戦争に反対している。穏便に済ませる協力をお願いしたい』という旨の手紙を紛れ込ませるだけでも違ったかもしれない。
ただ、ひとつだけついて良かった嘘があるとすれば——。
「でも、僕はシェラが生きていてくれて、良かったよ」
「ウチも、まだ生きていて良かったな、って思ってる。ありがとね」
あのとき、この子の命を救えたことだろう。
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