種明かしの第四章
翻訳とは言葉の置換ではなく、むしろ言葉以外の何かの置換である。
僕が——そして僕以外の存在が何をして、結果としてこうなったのか。
それを、ひとつずつ明らかにしていこう。
まず僕がやったのは、言語的な錯誤を起こすことだった。アリアに渡した、例の録音である。そのデータに記録されているのは、次の一文だ。
「そうなると、明後日の朝に重火器を初めて実戦的に使うという流れに、変わりはないということですか、グラン将軍」
もしも僕の経験や人生がひとつの小説だとして、それを日本語で誰かが読んでいるとしたら、この部分の翻訳はかなり難しいところがあると思う。それは、ポリグラット語とヴェンドヴルム語には、発音は近いのに意味が異なる語彙があり、僕はそれを利用したからだ。
例えば英語でも、practiceという言葉がある。これは『実践』と『練習』の両方の意味があり、文脈によって判断しなければいけない。ポリグラット語とヴェンドヴルム語にあった言葉も、これに近い。ポリグラット語ではその言葉は『実戦』と『練習』の両方の意味があるが、ヴェンドヴルム語では『実戦』の意味しかないのだ。
こういうのを翻訳するときには、翻訳家の腕が試される。僕がこのワンシーンを翻訳するなら、『実戦』で使うという意味と、『実践的』に演習するという『ジッセン』という音で掛け言葉にするところだろう。
つまり僕は、その言葉を敢えて使い、グラン将軍から『明日、銃火器の実戦/実践導入を行う』という言葉を引き出したのだ。この一文はポリグラット語なら「銃火器の実践演習」という意味にも「銃火器の実戦での使用」という意味にもなるが、ヴェンドヴルムでは後者にしかならないのである。
このワンセンテンスが入った録音をアリアに渡し、アリアはそれをヴェンドヴルムに持ち帰る。ヴェンドヴルムがこの録音を聞いて『ポリグラットがヴェンドヴルムに銃火器攻撃を仕掛けようとしている』と考えてくれたなら思い通りだ。
「こちらは銃火器の扱いを『実践』していただけで——これはただの軍事演習だったのだ」と主張できるからだ。
だがもちろん、これだけだと心許ない。
まず第一に、ヴェンドヴルムが「ポリグラットが銃火器による軍事攻撃をしようとしている」と判断するかどうか分からない。ヴェンドヴルムにもポリグラット語が多少分かる人はいるはずだから、そういう人があのセンテンスを判断すれば、「これは単なる軍事演習という可能性もある」と判断できるかもしれない。
それに、ポリグラットが実際に銃火器をヴェンドヴルムに発砲する以上、ヴェンドヴルムからすると「単なる軍事演習だった」という答えは受け入れがたいだろう。
つまり、「軍事演習ではなさそうだ」ということを感じさせ、かつ実際に調べてみると軍事演習であることが明らかだった、という状態を作る必要があった。
そしてこれを可能にしてくれたのが、グラン将軍の単独作戦、そしてディミトリ・イヴァノフの商人としての勘と保険だった。
グラン将軍の作戦は、レオナルドを暗殺し、ヴェンドヴルムを襲撃するというものだった。だがこの襲撃作戦は、実はシューベルに見破られていた。
グラン将軍の襲撃作戦を知ったシューベルは、シェラを利用してこの襲撃作戦を乗っ取ることを考えた。
「ユウが困った様子で帰ってきて——そのまま寝ちゃったから、ウチ、何かできることはないかと思って——とりあえずシューベルに相談しようと思ったら、たまたまシューベルも何かで困ってて」と、後にシェラは言った。「それで話を聞いて、手伝うことになって」
「でも、どうやって互いの言葉を理解したんだ?」
「そんなの簡単——じゃ、ないけど」と、シェラが笑う。「辞書を使ったりして、身振り手振りも交えて、互いに伝えようと頑張っただけだよ。もちろん、多分お互いに半分も分かってなかったけど、それでもウチは、シューベルが困っていること、ウチがその力になれることは分かったよ」
言葉が理解できないからといってコミュニケーションを諦める必要はない。
そんな当たり前のことを、ひょっとすると僕は忘れていたのかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます