死を恐れないのは勇気の欠如であるし、死を恐れるのは想像力の欠如である。その逆ではない。

 清々しいくらいの青空だった。


 僕が初めてこの世界に来たときにもこんな空だったな、と思い出す。

「外交官殿はお気楽でよろしい」と嫌みを言ってきたのはサイラスだった。

 僕が立っているのはポリグラットの外壁を一歩外に出たところで、周囲を見渡すと馬や蒸気自動車(馬力は多少乗用車よりも高いらしい)が荷台と括り付けられていて、その荷台には大砲の類いが乗っている。それを操作するのであろう人員も荷台に一緒だ。

 それ以外にも軍人が何人も居て、剣やら弓やらを手入れしている。グラン・ベリオの姿も、そうした白兵戦に備える影の中にあった。

「お前ら、これは歴史に残る一戦になる。死んでも相手を殺せ。その決死の覚悟が相手の戦意を挫くのだ。俺がそのとどめを刺す」

 現場の士気は最高潮だった。シューベルの将軍としての武器が知略だとすれば、このグラン将軍の武器は士気の向上力にあると言っても良い。

 今この場で負けるかもしれないなんて思っている人はひとりもいないだろう。自分が死んでもポリグラットはきっと勝てると、本気で思っているのだ。


 いや、ひとりだけ負けを確信している人がいた。

 僕だ。


「外交官殿、戦場のご経験は?」とサイラスが言い、僕は首を横に振った。「とにかく、邪魔だけはしないでくださいね。あなたの命を優先して作戦を変更するなどということは、絶対にありませんこと、予めご了承ください」

「えぇ。でも、さっきも言いましたが、相手が早々に戦いを放棄した場合には、僕の出番です。そこからは戦争ではなく、国交になること、約束ですよ」

「分かりましたとも。——まぁ、そんなことがあれば、ですが」

 こうして、グラン将軍の舞台と僕は、まだ朝の早い時間から、ヴェンドヴルムを不意打ちで襲撃するという作戦に出発した。


 全体としては、作戦は次のような流れになる。


 まず、このままポリグラットからヴェンドヴルムに向かう。そして、ヴェンドヴルムの外壁を越えて攻撃できるぎりぎりの位置に陣取って、そこから大砲を中に撃ち込む。これで完全に不意打ちだ。

 大砲については装填時間が惜しいということで、大量の大砲(および銃火器)を用意し、弾がなくなったら本体ごと取り替えて打つという作戦にした。大砲による連続射撃で敵の数を大きく減らし、敵がこちらに向かってくる間に銃火器で発砲、さらに数を減らし、残った敵を白兵戦で殲滅するという流れだ。


 僕らがヴェンドヴルム領域に到着したのは(大砲の移動に手間取ったこともあって)昼過ぎのことだった。だが、時間など大きな問題ではない。ヴェンドヴルムにとって、今日ポリグラットから攻撃を受けることは全く想定していないことなのだから。

「第一次大砲部隊、構え!」

 グランが叫び、大砲部隊が前線に出てきて照準を合わせる。実際に使うのが初めてということもあるだろう、やはりその扱いはどこかぎこちない。それでも、とにかく壁を越えた向こうに弾が届けば良いのだから、何とかなると思っているのだろう。

「よく狙え! 他の者は目と耳を守れ! 発射まで三秒!」

 将軍の声に反応して、部隊員たちは各々耳を塞ぎ、そして砲台の方から目を背けた。僕はその様子を、部隊最後尾から見ていた。


 それから三秒。

 二秒。

 一。


 耳を押さえていたにも関わらずそれでも轟音と分かる音、そして僅かな閃光が大砲から発せられた。

「続け! 続いて発射を!」

 同じ要領で、大砲が次々に発射される。

 これで少なくともヴェンドヴルムの外壁周辺は壊滅的なダメージを受けたことだろう——


 と、誰もが思っていた。


「ど、どういうことですかこれは!」と言ったのは、双眼鏡でヴェンドヴルムを見ていたサイラスだった。「ヴェンドヴルムにひとつも着弾していないじゃないですか!」

「なんだと!」

「ちゃんと狙いなさい! どこにも当たっていませんよ!」

「第二部隊、撃て! 調整を忘れるな!」

 同じように第二部隊の発砲。

 だが、やはり大砲から轟音がするだけで、ヴェンドヴルムにはひとつも弾丸が着弾しない。

「何故だ、どういうことだこれは! サイラス、説明しろ!」

「わ、私にもさっぱり——。ま、待ってください将軍! 何かが、こっちに近づいてきます!」

 双眼鏡を覗いていたサイラスが言うので、僕も自分の双眼鏡を取り出してヴェンドヴルムの方を見る。


 あぁ、これは勝ち目がないなと、心底思った。

 これまでも別に勝ち目があるとは思っていたわけではないけれど、いよいよ絶対だな、と確信した。


 それは戦車だった。

 そんなの反則でしょ。

 技術レベルが違い過ぎるよ。


 もちろん、戦車という言葉(そういう言い方)を知っているのは、ポリグラット軍の中では僕だけだっただろう。だから僕は、無理に説明しようとは思わなかった。

 代わりに、そっとその場を離れる。

 そうしてグラン将軍の部隊から距離を取ったところで、ヴェンドヴルム側から、どぉん、という低い音が聞こえてきた。

 巻き込まれないように、急いで部隊から遠ざかる。


 次の瞬間、背後で本物の爆発が起こった。


 もちろん、戦車から発射された弾が部隊に着弾したというのもあるだろう。しかし、まだ発射前だった砲台にも引火したらしく、爆発は思ったよりも大きい。念のため早めにその場を離れて良かった。

 爆発の中心地にいたはずのグランやサイラスのことを、少しだけ考えた。

 まず間違いなく死んだだろうか。

 それとも、上手く逃げたのだろうか。

 もしも、『よく分からないうちに死んだ』としたら、死ぬ恐怖を感じる前に死んだのだろうか。それは良かった——と、そう言えるのだろうか。

 この事態を引き起こした張本人として、現実を逃避するようにそんなことを考えていたけれど、まだ僕には仕事がある。


 しっかりしろ。

 問題はここからだ。


 攻撃対象にならないように、大きく迂回してヴェンドヴルム軍に近づく。

 ポケットに入れておいた白旗を、見えるように振りながら。

 そしてヴェンドヴルム語で、こう叫んだ。


「止めてください! こちらに戦う意思はありません!」


 戦車のハッチが開いて軍人が顔を出す。

 まだ半信半疑らしいが、言葉は聞いてくれるらしい。


「しかし皆さん! これは国際問題になりますよ!」


 僕の言葉に、軍人のうちのひとりが叫んだ。

「何を言っているんだ! 先に仕掛けたのはそちらじゃないか!」

「身に覚えがありません!」

「そんなことが通ると思っているのか!」

「本当です! 本当に身に覚えがないのです!」


 そして僕は、精一杯の声で叫んだ。


「僕らは軍事演習をしていただけなんですよ!」


 この言葉に、ヴェンドヴルム軍は混乱したようだった。それはそうだろう。これから少しずつ、状況を作り上げていくのだ。

「嘘をつくな! ポリグラット軍が、銃火器を実戦導入するという確かな情報をこちらは得ているのだぞ!」

「そんなはずがありません! 勘違いです!」

「お前、まさかこちらを油断させる作戦じゃあるまいな!」

 そのとき、ポリグラットの方角から早馬が走ってくるのが見えた。

 もうちょっと遅かったら死んでたかもしれないぞ。

「本当です! こちらに敵意はない!」

「嘘をつくな! そもそも、こちらの外交官がそちらからずっと戻っていないのだぞ!」

「そんなことを言われましても! 本当なんです!」

「貴様、どこまで馬鹿に——」


「——待て!」


 と、声が飛んだ。

 それはヴェンドヴルム語で、僕も久々に聞く声だった。

 その声に、ヴェンドヴルム軍の兵士が驚いた顔で反応する。


「その外交官が言っていることは本当だ! 私は彼らに助けられたのだ!」


 早馬に乗ってこちらに近づいて来たのは、レオナルド・デ・サンティス。

 ヴェンドヴルムの使者だった。


 さぁ、種明かしといこう。

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