一流の嘘つきは、真実を一部しか見せないことで欺く。
「出国か、ディミトリ。随分精が出るな。それにこの前のあんたも。そっちのあんた、何で顔を隠してるのか知らんが、この前の人だろ。ディミトリのところで働いてんのかい」
ポリグラットの外壁に設置された、外界との唯一の出入り口である門。そこに備えられた門番小屋で、僕が初めてこの世界に来たときにディミトリと話していた『臨時収入がある』門番が、あのときと同じように馬車にふたりで乗る僕らにそう声を掛けた。
「まぁ、今回は視察というか、そんな感じですね。こっちは今日は助手でして。色々あってヴェンドヴルムで顔を見られたくないので、こんな格好なんですよ。似合ってますよね」
僕はディミトリの脇を肘で突いた。
「じゃあ荷台のチェックは要らないか。面倒なんだよな、一々全部確認をするのは」
門番のその言葉に僕は内心安心したのだが、ディミトリはあろうことか「いや」と真面目な顔で言った。
「せめて荷台を見るくらいはしてもらわないと。後々身に覚えのないことで責められるのは面倒ですし。どうするんです、万が一私が今、奴隷を外に売り渡そうとしていたら?」
「はは、お前がそんなことをするとは思わないが、じゃあ念のため——」
どうしてわざわざ確認させる?
それも奴隷なんて言葉を使って——。
門番が笑いながら荷台の後ろに回り込んで、幌を捲った。
そして、驚いた声を出した。
門番が見つけたのは、軍帽を被り軍服を着たまま体育座りをして小さくなっているハクだった。
「こんにちは。ボクはハク・イェルク。極秘任務で密かに出国したいのでこうしている。どうか何も見なかったことにして頂きたい」
ハクのその言葉に、門番は特に相槌をするでもなく、そのまま持ち上げていた幌を戻した。
「驚いたよ、まさか荷台が空とはね。まぁ、お前は仕入れがメインだから、こういうこともあるか」
「どうも」とディミトリが言って、馬車は走り出した。
四人分の重さの轍を刻みながら。
「どうしてわざわざリスクを冒すような真似をしたんだよ。終わったかと思ったね実際」ポリグラットを充分に離れてから幌を剥いでハクが言った。「ねぇちょっと聞いてる? ディミトリとか言う人。ボクがいなかったらどうするつもりだったのさ。ていうか、ボクが軍服を着てなかったら多分普通に通報案件だよ。ボクの胸に光る徽章に感謝があっても良いんじゃない?」
それに続いて、幌の奥からシェラも顔を出す。流石に少し緊張した顔だった。
門番が軽く幌を捲ったとき、まだ剥がされていない幌の下にシェラはいたのだ。
「もちろん、ハクさんがいたから、ですよ」ディミトリは手綱を握ったまま、何でもないことのように応えた。「いてくれて良かった」
「答えになってないんだけど!」
「確かに、荷台を確認させずに出国することもできたでしょう。しかし、荷台を確認して問題がなかった、この一事が重要なのです」
ヴェンドヴルムにて奴隷売買の既成事実を作って告発するというこの作戦では、奴隷役となるシェラは公的な記録に残さず出国させ、またヴェンドヴルムに入国させるのがベターだ。公的な記録に残っていない奴隷売買、これほど見つかると面倒なことはないだろう。どれだけ言い逃れをしたとしても泥沼だ。
「もしも荷台を確認させずに出国していたとしたら、シェラさんを出国させたのは『荷台を確認していなかったディミトリの馬車だ』ということになってしまうでしょう。後々に奴隷がどのように国を渡ったのかが問題になったとき、それは面倒です。だからこそ、敢えて確認させて、幌の手前のハクさんを見つけさせたのです。なるほど、隠していたのはこれだったのかと、本人に納得させるためにね」
手綱を握りながら涼しい顔で言うディミトリに、正直僕は「なるほどなぁ」と思った。
「それならそうと最初に言ってくれれば良いじゃないか!」とハクが怒っている。まぁ、それはその通りだと思う。
「すみません、忘れてました」そう言いながら笑うディミトリだが、これは間違いなく楽しんでいる笑みだろう。「とは言え、この手が使えるのは出国時だけだと思って良いでしょう。私とあの番人の間に『信頼関係』があるから成り立つ話ですから」
この国の辞書で一度信頼関係という言葉を引いておく必要があるかもしれない。
「ヴェンドヴルムへの入国時、どうやってシェラさんを隠すか——それは、ユウにお願いしますよ」
「え、僕ですか」
「だって、ヴェンドヴルム語が一番堪能じゃないですか。他に誰が?」
そう言われればそうだけれど。
とは言え、僕も全く何も考えていないわけではなかった。この作戦の発案者でもあるし。
「まぁ、何か考えておきますよ。それよりも急ぎましょう、あまり時間はありませんし」
ポリグラットを出る前、僕は予め『奴隷売買の非難声明』を書き、それを封筒に閉じ、委任状と一緒にシューベルに託しておいた。
ヴェンドヴルムの使者を呼び出す早馬が出たのは今朝だということだから、使者を連れて戻ってくるのは夕方だろう。そうすると僕らがヴェンドヴルムに向かうのと擦れ違う可能性も高いので、それらしい馬が前方に現れたら僕やシェラ、ハクは顔を隠すことにしている。シェラとハクだけじゃなく僕も顔を隠すことにしたのは、外交官としての立場を考えると、見つかると面倒そうだからだ。
それを上手くやり過ごしたとしても、使者が仮に今晩シューベルから封書を受け取ってすぐに自国に戻るとしたら、使者がヴェンドヴルムに到着するのは明日の朝。そこからすぐにまた使者がポリグラットに送られることを考えると、明日の昼までに奴隷売買の既成事実を作り、その証拠を持ってポリグラットに戻らないといけない。そうなると、意外と猶予はないのだ。
「急がないと、っていうのはそうだけど、その点についてはシューベルが上手くやってくれているよ」とハクが言った。「近辺の警固強化って名目で、今日の夜に出せる早馬をなくしておくつもりなんだってさ。だから、ヴェンドヴルムに使者を送り返すのは最短でも明日の朝。そうすると書簡が確認されるのは昼で、それを受けてまた使者がポリグラットに戻ってくるのは夜だね」
「シューベル将軍——流石は軍師。僕からはそんな話、一回もしてないのに」
「だろう? 凄いんだよ、シューベルは」
何故か自分のことを褒められたみたいにハクは言った。
「随分シューベル将軍と仲が良いんですね」
「は? あいつと仲が良いって? 勘違いはやめてくれよ」
「ほらそれ、完全に仲が良い人に対する軽口じゃないですか」
「仲なんて良くないって言ってるだろ。冗談もいい加減にしないと撃つぞ」
ハクはそう言いながら本当に拳銃を抜いてこちらに向けてきた。冗談じゃないぞ。
「分かりました、勘違いでした、すみません。そんな、拳銃を取り出すこと、ないじゃないですか」
「大丈夫だよ、弾は入ってないから」
僕としては死ぬかと思ったけれど、この一連の出来事に対してシェラはきょとんとしているし、ディミトリは全部分かっているはずなのに全く動ぜず前を見続けていた。
「ディミトリさん、助手が撃たれかけたんですよ、もう少し心配とかしてくれても」
「撃たれるわけないですから」
「分からないでしょ」
「撃たれなかったでしょう。ラナージュ神の縁繋ぎですね」
ディミトリがそう言ったので、僕は人差し指と親指で唇を摘まんだ。
「え、何それ?」と言ったのはハクだった。「その、唇を触るやつ」
「え? これ、ラナージュ神へのお祈りなんじゃ」
「知らないよ。ラナージュ神は分かるけど、そんな祈りのやり方があるなんて。祈りなんて、まぁ、心がそうであるなら所作はどうでも良いだろうけどさ」
怪訝な顔をしてディミトリを見る。
「私、そんなこと言いましたっけ?」
さっきよりも強めに脇腹に肘を入れたので、一瞬、馬車が傾いた。
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