過去と現在は非連続である。私たちは、認識によってその点と点を繋いでいるに過ぎない。
外交官としての一日目の昼過ぎ、僕はシェラと一緒にディミトリ・トレードに戻った。どうやらディミトリは自分の用事が終わった後そのまま馬車で帰ったということである。シューベルとは違うけれど、ディミトリにもそういう、マイペースなところがあるよな、と思った。
「じゃあ、ちょっと行ってきます。ここで待っててください、ハクさん」と、ここまで車で送ってくれた、運転席に座るハクに声を掛ける。
「早くしてよね。ボクだって暇じゃないんだからさ」
僕とシェラはディミトリ・トレードの裏口から中に入った。
中では既にディミトリが開店準備をしていて、「おや、随分お早いお帰りで」なんて言うのでとりあえず力一杯ボディブローを入れておいた。
「い、いやぁ、元気そうで何より——」
「僕がどうなったか、知ってるんでしょう」
「ははは、雑貨屋の雑用から外交官への昇進、おめでとうございます。似合ってますよ、新品の軍服。女の子の方も綺麗になって——」
大総統府を出る前にハクに頼み、僕は軍服を支給してもらっていた。シェラもいつまでも布一枚では心許ないが軍人ではないので、ハクの私物らしい服を借りている。本人の趣味だろうか、シャツ、短パンにサスペンダーという少年のような見た目だった。これはこれで似合っているから良いと思うけれど。
「左遷とは言わないまでも、栄転とは言い難い配属ですけどね……。実は、その件でひとつ、相談があって来たんです」
「へぇ、何です?」
「あの、潰したい商売敵がヴェンドヴルムにいたりしません?」
僕のこの質問に、ディミトリが纏う空気が変わった。軽口を叩くシニカルな紳士から、明らかに商人の顔になったと思う。
「ははは、商人は敵同士ではなく、味方同士ですよ。私たちがやっているのはパイの奪い合いではなく、いかに皆でパイを求めている人を助けるか、ということなのですから」
とぼけた返答は、多分まだ話の本筋を見定めようとしていたからだろう。ディミトリという男は、こういう慎重なところがある。
「そういう話をしているのではありません」
「なるほど。伺いましょう」
だが、確認が済んだ後のディミトリは話が早い。この男は、良くも悪くも相手や状況を値踏みするところから入るようなところがあると思う。しかしその値踏みの概算はおよそ正しい。
この人もまた、大総統とは違う意味で化け物染みている。
「僕は大総統から、ヴェンドヴルムに宣戦布告をするように仰せつかりました。しかしある筋の情報では、ヴェンドヴルムと戦えばポリグラットの敗北は必至であるということです。負け戦の宣戦布告をするわけにはいきませんが、しかし大総統の命令に背くわけにもいきません」
「なるほど、それは困りましたね」とディミトリは笑った。シューベルの『状況を楽しんでいる』という笑いとはまた違う、含みのある笑い。この笑いの正体が分かるときが、いつかくるのだろうか。
「そこで僕は、まずヴェンドヴルムがポリグラットに対して行っている何らかの非道を告発するつもりでいます。それでポリグラットの立場を強めることが、戦争の可能性を交渉する上で役立つと思うからです」
半分しか本当のことを言わなかったのは、仮にも大総統をペテンに掛けて戦争を回避しようというのは、言うなれば国家犯罪だと言われても仕方がないからだ。
だが、ディミトリはあっさりとそれを見破った。
「今、何か隠しましたね」
「え?」
「分かりますよ。ユウ、あなたは今、商人の目をしている」シューベルはそこで、改めて僕の目を覗き込むように直視した。「すべてが嘘ではないにせよ、事を有利に運ぶために不都合な真実を隠していますね」
「……分かりました、本当のことを言います。本当は、宣戦布告と非難声明を大総統に取り違えさせるつもりです。非難声明が上手く通れば、ヴェンドヴルムからは謝罪のために使者がやってくるはずですから、それを宣戦布告の取り下げ懇願であるように伝えるんです」
「なるほど、経験を活かした案ですね」とディミトリはシェラをちらりと見てから言った。「いえ、これは私の推測ですけれど」
「そこはまぁ、ノーコメントということで。ただ、重要なのはここからです」
「非難声明の内容、ですね? さしずめ、密輸か禁止薬物か——奴隷問題、ですか」
ここまでの流れでそこまで理解してもらえるとは。
「はい。この子——シェラって言うんですけど、この子を商品としてヴェンドヴルムに密かに出荷します。その後、奴隷売買があった証拠を得て戻ってきてもらう。その奴隷売買契約を証拠として、ポリグラットからヴェンドヴルムを『禁止されているはずの奴隷売買があった』として公的に非難します。ただ、ここで問題が——」
「——誰に売りつけるか、ということですね」
「そうです。この計画では、シェラを買った人は最終的に立場をすべて失うことになるでしょう。それに、奴隷を裏取引で買うなんていう真似をする人は、そんなに多くないのではないかと」
「それで私の商売敵、ですか」
なるほどね、とディミトリは言いながら近くにあった椅子を寄せて座った。足を開いてそれぞれの膝に肘を突きながら両手を顔の前で組むその姿は、シャーロック・ホームズがするという座り方にも似ている気がした。
「心当たりは、ひとり」と、少し考えたようにしてからディミトリが言った。「流石にリスクのある取引ですから、絶対というわけではありませんが——唯一の候補ですね。商談を私に任せてくれるなら、お手伝いしますよ」
「え、その人はヴェンドヴルム語を話すのでは?」
「いえ、その人は元々ポリグラット人でしてね。昔ちょっと付き合いがあったものですから、丁度良いかな、と思いまして」
「昔付き合いがあったポリグラット人をターゲットに?」
「過去は過去、今は今です。仕方ありませんよ、商いは時に誰かが貧乏くじを引くものです」
「パイを求めている人にそれを与える仲間なのでは?」
「だから与えるんじゃないですか」とディミトリは言った。「食べた後のことは医者にでも相談すれば宜しい」
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