己が何者であるかは己で決めねば、都合良く他人に決められてしまうだろう。

 大前提として、ポリグラットがヴェンドヴルムに宣戦布告をすれば、ヴェンドヴルムはそれを受諾し、この機にポリグラットに壊滅的なダメージを与えようとするだろう。つまり、宣戦布告に対して取り下げをしてくる、ということは有り得ない。

 だが大総統の目的は、恐らく戦争それ自体ではない。ポリグラットの国力を高めることが本質的な目的であるはずだ。戦争はその手段に過ぎない。これはつまり、仮にヴェンドヴルムが宣戦布告の取り下げを願って交渉してきたとしたら、大総統はそれを受け入れる可能性が高いということだ。

「——でも、ヴェンドヴルムが下手に出ることはないんでしょ」

 作戦の全貌をシューベルに説明した後、シューベルはすぐに部屋を出ていった。必要な手筈を整えてくれるつもりなのだろう。もちろんそのやり取りはすべてポリグラット語だったので、シェラには分かっていなかったはずだ。だから僕は、シューベルが出て行ってから改めてシェラに事の顛末を話していた。

「だから、ヴェンドヴルムには何らかの形で『非難声明』を出す」

「どういうこと?」

「今、シューベルにヴェンドヴルムがポリグラットに対して行っている非道がないかを調べてもらっている。これは、できればヴェンドヴルムの上層部が把握していないだけの、一介の市民が勝手にやっているような問題が良いと思う。例えばだけど、ヴェンドヴルム人がポリグラット人を差別している、とかね」

「その証拠を突き止めて公式に非難するために手紙を送ると——」そこで一度シェラは考えたようにして、それから得心がいったように続けた。「そうか、向こうが一方的に悪い内容なら、使者を遣わして何らかの謝罪があるはずだから——」

「そう、ヴェンドヴルムからやってきた使者と大総統の通訳を僕がする。大総統には『どうか宣戦布告を取り下げてください』という旨であると伝えるし、上手く話がまとまればヴェンドヴルムの使者には『では今回は矛を収めようと大総統は言っている』と伝えるのさ」

「シンプルだなあ。でもそれって、今回は上手くいくかもしれないけど、本質的な解決にはなってなくない? むしろ大総統の勘違いを増長させちゃったりして、なんて」

「それは確かに——。でも、とりあえず今できることをやるしかないんだ。今日の夜には書簡を渡す相手が到着するはずだから」

「今日食べるものがないのに明日の心配をしても意味がない、って言うもんね」

 初耳だった。


 まぁ、とにかく。


 目下するべきは、ヴェンドヴルムのポリグラットに対する非道を明らかにすることだった。でもこれは、多分探せば何かしらはあるだろう。ある国の中の本当に一部の人が他国に対して過激な物言いをすることは珍しくはないし、例えばそれに対してどんなに心を痛めているかなんて当人以外には分からないので、大総統が『誠に遺憾である』と言えばそれは一気に国際問題だ。

 この話の種についてはシューベルが調べてくれるということになっていたが、僕の方でも探りを入れてみる必要があるだろう。他の国のことと言えば、まずはディミトリに訊いてみるのも良いかもしれない。そう言えば、ディミトリはどこだろう。誰かに訊いた方が早いかな。

 そう思って部屋から出ようと扉を開けると、目の前に小柄な、色白の少年が立っていた。

「うわ!」

 僕が突然扉を開けたことで少年は驚いたようで、尻餅をついてしまったらしい。悪いことをしたと思い、「すみません」と言いながら手を差し伸べる。少年は軍服だった。しかも徽章の数もそこそこある。

「結構。ボクはひとりで立てるから」と言いながら少年は立ち上がり、転けた拍子に脱げた軍帽を被りなおして、また背筋を伸ばして僕の目の前に立った。「初めまして。ボクはハク・イェルク。シューベル将軍の遣いで来た」

「あぁ、えっと——どうも」

「ドウモォ?」ハクと名乗った少年は怪訝な顔で僕の言葉を繰り返す。「名乗られたら自分も名乗る、それくらい当然だろ? きみはレディの扱いが分かっていないな」

「え? レディ?」

「目の前にいるだろ」

 どうやら少年ではなくレディだったらしい。シューベルの遣いってことは、シューベルの部下ということだろうか。やっぱり変わり者の部下は変わり者なのかな。

「あ、えっと、すみません。僕は、ユウって言います。あっちのベッドの上にいるのはシェラ」

「……あのさ、まぁ、ここはきみの執務室にもなるわけだからさ、きみのプライベートにもなるわけだしさ、だからあんまり面倒なことは言いたくないんだけどさ、初日からベッドと半裸の女の子と一緒っていうのは、倫理的にどうかと思うな」

「それは滅茶苦茶勘違いだし、そのことについてはもう本人にも話しましたよ。でもほら、文化の違いってのがあるし」

「それは最大限尊重するとして、今いる場所の文化に合わせるくらいの適応はしてもらわないと困るよ」

 それは、言われてみればまぁその通りだった。

「まぁいいや。シューベルからの伝言だよ。『調べたところ、ヴェンドヴルムでは、現在奴隷商が問題になっている。国の中では奴隷制度が事実上認められているようなところもあるが、国家間での奴隷売買は禁止されている現状、もしも、——仮に、だが——その商品の中にポリグラットから密かに仕入れられたものがあったなら、それは大変なことだな』だってさ」

 シューベル、ここを出ていってそんなに経ってないと思うけど、随分仕事が早いな。それとも、最初からアテがあったのだろうか。

 それにしても——。

「奴隷……か」

 僕の言葉に、シェラが反応した。

「え、ウチ?」

「え、いや、何も」

「だって今、ドレイって聞こえたし。それって、ウチみたいな人のことでしょ」

「あぁ、いや——。シェラは奴隷じゃないし、奴隷なんて言葉、本当はない方が良いんだ」

「そうなんだ。あんまりその辺、よく分かってなかったかも。分かってなかったっていうか、気にしてなかったかな」と言って少し考えてから、シェラはこう続けた。「でも、ウチはユウのためなら何でもするよ。命を助けられたということは、それより先の全部の未来が、その人のお陰なんだ。ウチはその未来を、ユウのために使うよ。きっとユウは、間違ったことに命を使ったりしないものね。それに、ターミナルに戻っても、やることなんて何もないんだ。ウチの両親はウチを売ったわけだしね」

 命を救うというのは、僕が想定していたよりもずっと大変なことだったのだな、と今さらに思った。ただ助けるだけではなく、その先をどうするかまで考えなければいけない。その視点が、僕に欠けていた。

「……悪い奴を懲らしめたいんだけど、助けてくれるかい」

 僕の言葉に、いいよ、とふたつ返事でシェラは応えた。

 少し気は進まないけれど、最短ルートでいこう。


「じゃあ、シェラ、これからきみを『奴隷』としてヴェンドヴルムに売ろうと思う」

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