銃口だけで説得できることは弾を込めない理由にはならない。

「ヴェンドヴルム帝国の国力はポリグラットの数倍という規模ではないのだよ。例えばこちらの全軍をまとめた兵士数が三百というところだが、ヴェンドヴルムにとってそれは第一歩兵隊の数に過ぎない。その後に騎兵隊も控えているし、そもそも砲撃隊もいる。ポリグラットで火器の類いを戦いに導入する動きがあったのはごく最近のことで、しかも実践での発砲はまだ一度もない一方、ヴェンドヴルムはその使い方を完全に理解している。爆弾の破壊力ひとつを取ってもポリグラットのそれを遥かに上回るし、噂によると『動く砲台』が完成間近だとも言われているくらいだ」

 舞台役者が朗々と台詞を言うようにシューベルは言った。それがただの台詞だったらどんなに良かっただろうか。

「その、本当に全く、勝ち目はないと?」

「絶対にない。軍師たる俺様が封蝋にオートグラフを入れて押しても良い」

 よく分からないが、まぁ、太鼓判を押す、みたいなことだろうか。

「それじゃあ、すぐにそれを大総統に進言しましょうよ。そして宣戦布告なんて撤回してもらって——」

「——時に、この国とは、何だと思う?」

 僕の言葉を遮ってシューベルはそう言った。

 この国とは何か? ここに来てまだ半月程度の異邦人に訊くには随分難しい質問だ。いや、だからこそ、なのか?

「もちろん、その答えは一言で言うに能わない」と続けるシューベル。この人、本当に自分のペースを崩さないな。「だが、一言で答えられる人間が、この国にひとりだけいる」

「……レジナルド・キングワース大総統」

「そう。かの御仁なら、『この国とは私だ』と言ってのけるだろう。では、その国が戦争で敗北するとしたら、それはどういうときだと思う」

 まさか——とは言葉にならなかったが、多分顔に出ていたのだろう。シューベルは、その通り、と僕の心中を見透かすように前置きした。

「大総統にとっての敗北とは、己の死なのだよ。己が死ななければ国は死なない。己が生き続ける限りは、何があっても国は滅ばないと、本気であの御仁は思っている。そしてここからがなお面倒なのだが」とまで言って、二枚目の役者がするようなあからさまな困り顔をした。「あの御仁は、きっと死なないのだ」

「死なないって、一体——」

「もちろん、殺せば多分死ぬだろう。だが誰も殺せないのだよ。あの御仁の人間としての強さは、それこそ超人的なのだ。仮に壊滅的な戦争が起こったとしても、大総統閣下は死なないだろう。そうしてポリグラットは再生を繰り返すのだ。偶然の前に人は平等だ——とは言ったが、あの人だけは必然の中に生きているのかも知れないな」

 またよく分からないことを言うシューベルだった。

「まぁとにかく、故に己の強さを国力だと思っているあの御仁は、国が負けるところを想像できていない。悪いことに、これまでポリグラットがそうやって領土を増やしてきたという成功体験もあるしな。せめて一度、軍が手痛くダメージを受ければ、ひょっとすると考えを改めてくれるかもしれないが、それが実現するとすれば、そのときは国がほぼ崩壊しているような状況だろう。それでもあの御仁は死なないだろうが」

 これは確かに面倒だ。

 このままポリグラットとヴェンドヴルムが戦争になったら、ポリグラットに国としての勝ち目はない。それは絶対だ。だが、キングワース大総統は自分の能力とポリグラットの国力を同一視しており、ポリグラットの軍力を高く見積もりすぎている。ポリグラットが不滅なのは、キングワース大総統という人間が特別で、死を遠ざける悪運に恵まれているからなのに。

 言い換えれば、キングワース大総統は特別だが、ポリグラットは特別ではないのだ。大総統はそれを分かっていない。これでは、勝ち目がない戦いをするわけにはいかないという説得を大総統にするのは無理だ。

 それはつまり、負けると分かっている宣戦布告をしなければいけないということだ。

「ところで俺様は、戦争が嫌いだ」シューベルは僕から目を離し、窓の外、遠くを見ながらそう言った。その眼差しは、不思議と真実味があり、それが本心であることが言外に理解できた。「戦争行為は抑止力であるべきだ。実際に戦争をすれば、誰も無事ではいられない。それが分かっているからこそ、戦争をするという脅しをちらつかせながら国家間はバランスを取っているのだよ。しかしそれを実行に移してしまえば、被害が出るのみならず、格がついてしまう。戦争の戦勝国と敗戦国、一度そのレッテルがついてしまえば、国家間のテーブルでの影響力は大きく歪んでしまうだろう」

「つまりこれから考えるべきは、戦術ではなく戦略——ということですね」

「何か違うのか」

「これは別の国の言葉で考えた場合ですけど、戦略というのは戦いを略する——つまり、戦い自体を楽にしたり、回避したりすることです。一方戦術というのは、戦う術のことですから、戦いが始まってからの振る舞いとか、ノウハウとか、そういうことですね」

 孫子にも、最も優れた戦い方は戦い自体を避けることだとあるし。

「面白い話だ。博学だな」とシューベルは言って、僕に向き合った。「では、それに則って戦略の話をするとしよう」

「まず前提を確認させてください。宣戦布告の書簡は、いつまでに送らなければいけないのです?」

「国際法に則って、宣戦布告は実際の戦争よりも七日以上前に行わなければならない。宣戦布告は、相手国の伝令役を招き、その者に書簡を直接手渡すことで託される。伝令役はそれを自国に持って帰るわけだな。宣戦布告を受けた国は、その間に自国民を守るためのあらゆる努力をすることが認められ、宣戦布告にイエスと答えるか、または宣戦布告の取り下げを願うことができるのだ。後者の場合、何かしらの土産があるのが普通だな。だが今回の場合、ヴェンドヴルムが下手に出る理由がない」

「大総統の性格からすると、すぐにでも宣戦布告をしたい、というところでしょうか」

「現に、既に今朝、伝令役を寄越すように早馬が出たぞ。ヴェンドヴルムまでは半日というところだろうから、往復とすると猶予は一日。遅くとも今日の夜には宣戦布告の書簡を用意し、伝令役に渡さねばな」

「仮に手紙を伝令役に託したにも関わらず、何らかの理由でそれが先方に届かなかった場合は?」

「そういったことがないように、敵国の伝令役を守る護衛が、侵攻国側から付けられる。侵攻国はこの伝令を絶対に守り、確実に宣戦布告が敵国の親玉に伝わるようにせねばならないのだ」

「それでも書簡が届かなかったら?」

「その場合、護衛がついているはずの伝令役に何かがあったということになるな。しかし伝令役とは言っても、他国からの外交官だ。自国以外のところで外交官に何かがあったかもしれないとなれば、黙っているわけにはいかないだろう。これは正当な非難の理由になる。立場が入れ替わり、賠償をするべきは宣戦布告を仕掛けた側になるし、そのことを口実に逆に宣戦布告を受ける可能性もある。いずれにせよ、国際的な信用力はがた落ちだ」

 なるほど。

「つまり、宣戦布告の書簡を送れば、それは確実に届く。届かなければポリグラットの国際的立場はいずれにせよ危うい——と、こういうわけですね」

「全く、絶望的とはこういうことを言うのかな」

「その割には楽しそうですけど」

「楽しむというのは個人の態度だろう。するべきことをしている以上、それにどうこう言われる筋合いはないはずだが」

「不謹慎、って言葉、知ってます?」

「今朝、鼠が食っているのを見たとも」

 シューベルに分からないようにそっと溜息をついた。そんな僕に対して、シェラが「大丈夫?」と訊いてくれたので、力なく頷いた。

「——今の僕には、たったひとつのやり方しか思いつきません」

「それは、冴えたやり方か?」とシューベルは訊いた。その言葉のマッチングには驚いたけれど、多分偶然だろう。

「結果をご覧じろ、ですよ。作戦の良し悪しは結果が出てみないと判断できないでしょう」

「言うではないか。それで、その方略とは?」


「ヴェンドヴルムに、宣戦布告ではない手紙を送るんですよ。騙す相手は我らが大総統ですけどね」

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