最初の試練の第二章

文化の差異を文明発展の程度と結びつけるのは、『文明人』の狭量さを示す指標に他ならない。

 ディミトリ・トレードで借りていたソファよりは確実に寝心地の良いシングルベッドだった。たまに旅行に出かけてホテルに泊まると凄く良い寝具でぐっすり眠れる、ということがあるが、あれは本当に気分が良いものだ。

 だが、大総統府で一夜を明かした僕がそんな気持ちの良い朝を迎えられたかというと決してそんなことはなかった。この狭いシングルベッドに、シェラと並んで寝ないといけなかったし、女の子と一緒に寝た経験なんてなかったし、いや単純にシングルベッドにふたりが寝るというのが無理があるのだ。

 そんなわけで精神的にも身体的にも、僕は完全に寝不足だった。別に何時に目を覚ませと言われていたわけではないけれど、一応陽が昇ってから一時間くらいで身体を起こした。

 隣を見ると、完全に無防備に丸まって眠るシェラの姿があった。よく眠れるな。

 部屋の隅には洗面台もあったので、とりあえずそこで顔を洗うことにした。水で濡らす程度でもかなりすっきりする。

 すっきりした頭で考えると、そう言えば結局ディミトリはあの後顔を見せなかった。まさか僕を置いて直帰したのか? もう僕とディミトリの雇用関係は、大総統府直属第一級外交官という肩書きに上書きされてしまったのだろうか。

 薄情な、と思ったけれど、いやそれ以上に僕はディミトリに大きな貸しを作ってしまったことを思い出す。考えてみればそもそもこっちに来て最初に僕を拾い、そしてポリグラットまで連れてきてくれたのはディミトリだし、そこから二週間も世話をしてくれたのもディミトリだ。その辺りを蔑ろにして文句を言うのは筋違いというもので——。


 うん?

 今、何かが引っかかったような——。


「あれ、もう起きたの」と、寝ぼけ眼をこすりながらシェラが上半身を起こして僕の方を見た。「今日から仕事?」

 シェラは寝ている間に動くタイプみたいで、ほとんど布一枚と形容できそうな服がはだけそうになっている。できるだけそれを見ないようにしながら近づいて、僕は毛布をその肩に掛けた。

「別に寒くないけど」

「その、目に悪いから」

「ウチが汚いってこと? まぁ、そうかもしれないけどさ」

「そういうことじゃないけど、その、女の子があまり肌を見せるものじゃないと思うよ」

「そうなの?」

「あと、今日からは寝るところも分けよう」と僕は言った。「ベッドをもうひとつ貰えないか訊いてみるよ。今の僕ならそれくらいは聞いてくれるかも」

「そんなに汚い? 水浴びしたいはしたいんだけどさ、そういう機会がなかったから」

「そうじゃなくて、ほら、男女が同衾するっていうのは、倫理的に、あんまり」

 僕はできるだけ言葉を選んだが、シェラはきょとんとしたままだ。

「倫理的って、ポリグラットの文化でってこと?」

「え?」

「ウチはね、別に男女が一緒に寝ること自体は悪いことじゃないと思うよ。何か疚しい気持ちとか、一方的な暴力とか、そういうのが無ければ良いわけじゃない? 少なくともターミナルでは、集まって寝た方が暖かいから、そういうのを気にする人は居ないと思うな」

「それは——文化の違いかもしれないね」

「でもまぁ、ポリグラットでは性別的に異なるふたりが同じところで寝ることが良くない、という話ね」

 そう言われてしまうと難しい気がする。単純に僕が女の子を隣にして眠る度胸がないだけだ、と言ってしまった方が楽かもしれない。

「こういう倫理観とか道徳観って難しいよね」とシェラは言った。「言葉よりずっと難しいよ。空気みたいなものだしさ。どこまでが許されていて、どこからが許されないのか、そういうのを知っていかないとね、ウチも」

 そう言いながら布団に包まって、難しいなあ、と天井を呆と見上げるシェラを見ながら、僕もこれからの振る舞いを考えないといけないな、と思った。

 僕はこれから外交官として、他の国や文明、あるいは文化に触れていくことになるだろう。それは言葉を理解しているかどうかというだけではなく、相手の価値観とこちらの価値観を摺り合わせながら話をしていかなくてはいけないということだ。


 この先、僕はきっといくつもの言葉や文化と出会うだろう。


 そのときにあってはならない振る舞いをしてしまわないよう、肝に銘じなければいけないと思った。

「本当、勉強っていうのは終わりがないよね」と僕は言った。

「ターミナルでは、『学ぶとは無知や愚かさと常に向き合う勇気の所作だ』って言葉もあるよ。ウチが結構好きな言葉」

「良いね」と僕が言ったところで、叩扉があった。良く言えば品があるような、少し悪い言い方をすると気取ったようなリズムだった。

「……これは、ディミトリかな」

 僕はそう呟いて扉に向かった。


 ディミトリではなかった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る