投資、投機、融資の違いが分からない者にとって、すべては投機的である。

「大総統、この奴隷は、脱走を試みたのではないと申しております」と、大総統の眼前で、自分の隣の少女を守るべく、僕は大胆な嘘をついた。

 上手な嘘のコツは、大きな嘘をつかねばならないなら十割とも嘘であるように大胆であること。そうでないなら、嘘を一割以下に抑えて九割を本当で欺くこと。

 今回は前者だ。

「如何にしてそれを信ずるに足ると言う?」

 大総統がほぼ表情を変えずに言った。

 その様子で僕は確信した。大総統は、ここにいる奴隷がどうなろうと、本当にどうでも良いのだ。大総統は最初に、「命がどうなろうと構わない」と言っていた。それは、殺しても良いし、そうでなくても構わないのだ。だが、面子というものがあるし、他の奴隷の手前、基本的には殺す心算でいるのだろう。

 つまり、上手くやれば『殺すほどの価値がない』形で丸く収められるかもしれない。

「既にご承知の通り、この奴隷は魯鈍でございます」僕は少し嘲りを敢えて込めた言い方でそう言った。「そしてその加減は、恐らくここにいる皆様のそれを大きく越えているのです」

「続けよ」

「この奴隷は、雑用をした後に、この大総統府の中で迷ってしまったのです」

 僕のその言葉に、グラン将軍は「はぁ?」と呆れを強調したような声を出した。

「一ヶ月もここで雑用をしているのだぞ。まだ自分の寝床も分かっていなかったのか」

「そこがこの奴隷が愚かたるところで」

 僕も呆れを強調したように言った。僕の立場は、あくまでポリグラット人寄りで、愚かな奴隷の無能さを嗤うものでなければいけない。僕が少しでもシェラに同情しているような、助けるような素振りを見せたら、シェラと僕の言葉が分からなかったとしても、何かの違和感を感じられてしまうかもしれない。

「グラン将軍、そしてサイラス殿。どうしてこの奴隷は、見つかったときに逃げなかったのだと思われますか。脱走を試みたのだとすれば、きっと踵を返して逃げても良かったはず。あるいは死を覚悟したなら、ひょっとすると一矢報いようと思ったかもしれません。決死の覚悟なら、子どもでも——」と、そこで大総統をチラリと見た。「大人を殺すことも可能なのだと、皆さんはご存知のはずだ」

「つまり、その奴隷は帰り道が分からず彷徨っていただけだと?」と言ったのはサイラスだった。

「その通りです。この奴隷を見つけたのはサイラス殿でしたか?」

「左様だが」

「そのとき、奴隷に力が抜けたような感じはありませんでしたか?」

 シェラは、追っ手に見つかったときに死を覚悟し、すべてを一度諦めたはずだ。そのときの身体的反応は、緊張が解かれたときの弛緩に近かったかもしれない。

「確かに」

「つまり、見つけてもらえて安堵したのです。良かった、これで帰れる、と。しかしそのまま連れてこられたのはこのような閣下の御前とあっては、言葉の分からぬ奴隷であれば混乱も必至」少しずつ言葉を選びながら、自分の狙いへと会話を誘導していく。「罰するべきものがあるとすればふたつです。ひとつは、この奴隷の知能の低さです。しかし、知能が低いことは仕方がないことです。ポリグラット人が優れすぎているだけですから。その知能が低い者の価値を引き出そうとして、奴隷として使っているはずです。愚者を導くのは賢者のノブレス・オブリージュです。違いますか?」

 ノブレス・ノブリージュという言葉や概念がこの国にあるかは分からなかったが、敢えてその言葉を使ったのは、外国の言葉を会話に交ぜるだけで『何やら凄そうだ』という印象を与えるレトリックが有効であるかを確かめたかったからだ。反応を一瞥すると、グラン将軍は明らかに分かった振りをしているし、サイラスは何やら意味を取って韜晦するように頷き、大総統は当然という顔をしている。

 ——ただの暴君ではなく、言葉にも知悉している、というわけか。圧倒的カリスマ性とインテリジェンス、そして実行力としての暴力。なるほど、大総統になるだけの人は違う。

「罰するべきのふたつめは、この奴隷の監督者です。奴隷が道も分からぬ暗愚と知らず、勝手に戻ってくるものと考え、しかも居眠りをしていたと言う。この奴隷は、迷惑を掛けまいと考え、自分で檻に戻ろうとしただけなのです。その居眠りをした番人こそ、罰を受けて然るべきでしょう。何せ、大切な預かり物であるはずのグラン将軍の所有物を危うく『紛失』するところだったのですから」

 そこで一度、僕は言葉を止めた。

 注意深く周囲の反応を観察する。

 これと言って、違和感のある反応はない。

「しかしその者はもう、グラン将軍が罰を与えたと見えます。そうですね、グラン将軍?」と、僕がグラン将軍に振ると、将軍は虚を衝かれたらしく、あぁ、とだけ応えた。「恐らくその者は、言い訳もできなかったでしょう。完全に自分の過失だったのですから、弁明があるはずもありません」

 これは少し大きな賭けだった。だが、ここまでの僕の創作に対して大きな反応がないということは、少なくともグラン将軍とサイラスにとって大きな矛盾はないということだろう。それはつまり、鍵を盗まれた警邏係は、「いつの間にか鍵がなくなっていて」だとか「奴隷に盗まれた」だとか、そういうことも言っていなかったということだ。

 多分、グラン将軍のサディズムらしい性癖が本物だとしたら、グラン将軍がその不幸な誰かに行ったのは尋問や詰問の類いではなく拷問だったはずだ。それもしかも、自分が楽しむためだけの。まともな質疑応答があったとは思えない。

 とどのつまり、グラン将軍は脱走の真実を知る唯一の『言葉が分かる者』を自分の手で葬ってしまったのだ。

「確かに」と言ったのはサイラスだった。「グラン将軍の『尋問』にも、件の者は弁明すらありませんでした」

 それは多分、自分の上司をかばうための言葉だったのだろう。だが、今のでまたひとつ分かったことがある。

 グラン将軍がどうかは分からないが、少なくともサイラスはグラン将軍のやっていることについて客観的に与えてしまうであろう印象を理解しており、そしてそのことを、大総統に詳らかにしたくないと思っているのだ。


 ここだ。

 ここが話の急所だ。


「おい奴隷」と、わざと荒々しく、僕はポリグラット語でシェラを呼んだ。それから、あぁ、と少し苛ついた素振りを見せて、今度は少女の言葉でこう続けた。「シェラ、グラン将軍が部下に暴力を働いているのを見たことは?」

「日常茶飯事だよ」

「それは叱責とか懲罰とか、そういうこと?」

「それもなくはないだろうけど、多分、半分以上は趣味だと思う。そうやって、ターミナルから連れてこられた男手が何人も殴られて——」

「ごめん、良くないことを訊いた。でも、ありがとう。今の話、使える」

 シェラとの会話を切り上げて、僕は少し大袈裟に、「ふむ」と考える振りをした。

 そのまま暫く沈黙が流れる。

 ここは僕から言い出すのではなく、誰かに訊ねてもらうのがベストだ——

「何だ、何の話だ?」

 ——痺れを切らしたようにグラン将軍が言った。

 助かる。

「いえ、今の話の流れを、この奴隷に説明したのです。するとこの奴隷、『まさかそんなことになっているなんて』と驚いて心痛まで感じている様子。本当に状況が分かっていなかったのでしょう。それもこれも、この小さな頭ではポリグラット語が分からないからだ」

「何が言いたい?」

「この奴隷は、言葉が分からないだけでなく、一月も寝泊まりした場所の道も分からないのです。この奴隷は、グラン将軍に相応しくない。グラン将軍の所有物として、価値を発揮するどころか、邪魔にしかならないでしょう」

「だから何が言いたい」と、グラン将軍は苛立ったように言った。「要点を言え」


「この奴隷、私に頂けませんか」と、僕は言った。


「何だと?」と言ったのはグラン将軍だった。「奴隷もただじゃないんだ。ターミナルからの買い物とは言え、商人にいくら払ったと思ってる」

 一丁前にサンクコストの計算をするのか?

 それとも、所有物が手を離れるのが惜しいだけか?

 まぁ、どちらでも良いけれど——。

「将軍、この奴隷は、将軍がどのような人間であるかを理解しているようです」僕はその言葉を、少しだけはっきりと発音するように、台詞を朗読するように言った。「この奴隷は、己の暗愚のために、将軍の怒りを買うことを恐れております」

「何の話だ」

 やっぱり、これだと分からないか。

 仕方ない、もう少しだけ分かりやすく言うか。

「私は今、この奴隷から、あなたがどのようなお方であるかを聞いた——と、そう言ったのです」僕のその言葉に反応したのはサイラスだった。僕はそれに目だけで応えて、こう続けた。「お陰で私も、あなたの『聡明さ』を理解しました。その聡明さを頼りにしたお願いです。どうか、この奴隷を私にお譲り頂けませんか。そうすれば、この奴隷が『あなたたち』の不利益になるような真似はさせません。私がこの奴隷に分かる言葉で、強く言い聞かせましょう」

「貴様、何を勝手なことを——」と大声を出そうとしたグラン将軍を、別の声が止めた。

「将軍!」それは、サイラスの声だった。「——売りましょう。どういうわけか、この者は奴隷を欲しがっている様子。確かに言葉が分かるなら、他の使い方もあるのでしょう。欲しいと言うなら売りましょう。買ったときよりも高く売れば、こちらに損はありません」

 そこまで言って、サイラスは僕を見た。

「欲しいのでしょう? 名も無き異邦の人」

「そう言えば名乗っていなかったですね。ユウです。どうぞよろしく。はい、ぜひ頂きたいと」

「では、ユウ。金貨五十枚です。払えますか?」

 金貨五十枚?

 僕が本を翻訳して売って、ディミトリと折半した取り分がだいたい銀貨一枚だ。銀貨十枚で金貨一枚分。

 正直に言えば、途方もない金額だ。

 多分、足元を見られている。

 だが、それを断れば、この場でシェラを殺すと言ってもおかしくない。そしてそれを、大総統は止めはしないだろう。

 すぐには難しいかもしれないが、一年か二年もあれば、多分きっと、何とか——。


「——私が即金で立て替えましょう」


 聞き覚えのある声が朗々と響いた。

 振り返ると、そこにはディミトリの姿があった。

「閣下、失礼をお許しください。たまたま納品で早くに参りましたところ、当店の雑用係の声が聞こえたもので、しかも商談中だったようでしたから、商人の血が騒ぎ、つい差し出がましい真似を致しました」

 ディミトリのその言葉に、「構わぬ」とキングワース大総統。

 こちらに近づきつつディミトリは上着のポケットから何やら紙を取り出し、それに数字と自分の名前を書き込んだものをグラン将軍に手渡した。

「自由に使ってください」と将軍に言ってから、ディミトリは僕の顔を覗き込んだ。「私は、投資も嗜むものでね」

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