賢いと思われるよりも愚かだと思われる方が、虚を衝きやすい点で蓋し利がある。

「説明を」とキングワース大総統が言い、女の子を連れてきた男が返事をした。男は兵士ではなさそうだが軍服を着ている。胸元にいくつか装飾が光るのを見るに、軍隊の中の高官だろうか。

「この奴隷は、一ヶ月前にこの大総統府にて給仕をさせるために少数民族生活地域——通称『ターミナル』での取引にて手に入れたものです。所有権は、グラン・ベリオ将軍にあります」

 そう言って軍服の男は僕をここまで連れてきた男を見た。その視線を追って初めて僕も自分の背後にいる男の姿を見た。屈強な体つきをしていて、胸元に輝く勲章の数は少女を連れてきた男のそれよりも多い。そして、腕組みをするその両拳には生々しい傷が目立つ。

 日常的に拳を武器としている、ということだろう。


「ウチを殺すなら早く殺しなよ。何をもたもたしてるのさ」


 それを言ったのは、ターミナルの少女だった。

 ほとんど唇を動かさずに発せられたその声は、街中なら雑踏にかき消されていた程度だったかもしれない。しかし、今この場では、それははっきり聞こえた。

「異邦人、今これは何と?」

 キングワース大総統が顔の皺ひとつ微動だにせず言った。

 そうか、今のはポリグラット語じゃなかった。今の少女の呟きの意味が分かったのは、この場で僕だけなのだ。

 どうする?


「——私に疚しいところはございません、と」


 咄嗟に出た嘘だった。

 今この場で少女の言っていることとポリグラット人が言っていることの両方が分かるのは僕だけだ。何か、上手いやり方はないか。

 別にこの少女を助ける義理があるわけじゃない。

 でも、誰だって目の前で人が死ぬのを見たいとは思わないはずだ。それに自分の責任が何パーセントか乗ってしまうというのなら尚更だし、自分より幼い少女なら絶対だ。


 守れる範囲で他人を守りたい。それは人間らしい感情であるはずだ。


 次の瞬間、鈍い打撃音と、少女の呻き声が聞こえた。

 僕の言葉を聞いた軍服の男は、溜息をついて、何の躊躇いもなく少女を蹴ったのだ。

「随分と図々しいことを言う。ろくに言葉も話せない白痴が一丁前に——」

「——サイラス、それは俺のものだぞ」と、僕の後ろにいた大男が軍服の男に言った。「殺すまでは——いや、殺しても俺のものだ。あまり手荒に扱ってくれるな」

「失礼を致しました」と、サイラスと呼ばれた軍服の男が大男——グラン将軍に頭を下げる。それと同時に恨みのこもった目を少女に向けながら。

「続きを」というキングワース大総統の言葉にサイラスは頭を上げ、一度咳払いをした。

「——この奴隷は、つい先日、脱走を試みているところを見つかりました。既に檻に戻っているべき時間に出歩いているのを見つけたのです。見てみれば、この奴隷を入れておいた檻の鍵がかかっておりませんでした。何らかの方法で鍵を開け、脱走しようとしていたものと考えられます。その鍵は見つかっておりません」

「その何らかの方法というのは?」と大総統が言った。「明らかにはなっていないのか?」

「確定ではありませんが、奴隷の檻を担当していた警邏の者で、ひとり鍵をなくしたという者がおりました。恐らくは命じた雑用で檻の外に出ている間にこの者の鍵を盗み、これによって脱走を図ったのではないかと思われます」

「して、その係の者は?」

「殺しました」

 何てことはない、というようにあっさりと答えるサイラスの声に応えるように、グラン将軍が握り拳を硬くしたような気がした。鼻を鳴らすような音も聞こえたから、多分笑ったのだろう。多分、その人は罰則半分、趣味半分で殺されたに違いない。なるほど、このふたりは、そういうタイプの人間ということか。

「——と、こういうわけだ、異邦人」と、大総統がまた僕を見て言った。「そこにいる奴隷には脱走の容疑が掛かっている。状況証拠は充分で、今すぐ殺しても構わない。だが、どうして愚かにも脱走を企てたのか、その動機を知りたい」

「ご事情、理解しました」できるだけ努めて冷静に、僕は言った。「そして今後の面倒を避けるため、その動機を持つ同胞を、予め殺す、ということでしょうか」

「同様の者を殺すかは決めていない。その動機を薄めてやるだけかもわからない。ただ——」と言ってから、大総統は一瞬だけ憤怒に近い何かを滲ませてこう続けた。「ひとつ汝に忠告をするぞ異邦人。私の胸裏を端倪すること、業腹であるぞ」

 その言葉だけで命が何年か縮まったような気がした。

 このままでは本当に寿命を使い切って、ここで老衰してもおかしくないくらいだ。

「——失礼を致しました」できるだけ早急に、余計なことを言わず、何とかしないといけない。「では、質問をさせて頂きます」

 そして僕は、少女の言葉でこう言った。


「——信じて欲しい。僕はきみを助けたい」


 少女は僕の言葉に驚いたようにこちらを見た。

「僕らの言葉は、彼らには分からない。でも、反応が不自然だと違和感を持たれる。嬉しそうにしたりはしないで」

「異邦人」と大総統が言った。「今は何を?」

「このままだとお前は死ぬ。だが条件によっては助けても良い——と、そう伝えました。とは言え、もちろん、奴隷ですから、反故にして殺して良いと思います。ただ、そう言っておけば本当のことを言いやすくなるかと思い——」

 少しやり過ぎたかと思ったが、僕の返答に大総統は「結構だ」とだけ言った。グラン将軍とサイラスの様子を見ても、僕らのやり取りに不信感を持っている様子はない。

「きみが脱走を試みたというのは本当?」

「本当だよ。鍵は居眠りをしていた当番から奪った。ウチ、上手なんだ、そういうの。鍵は捨てちゃったけど」

「僕はきみが脱走していたわけではないということをここにいる人たちに納得させたい。きみが捕まったときの状況を詳しく教えてほしい」

「……本当に助かる?」

「分からない、でも全力を尽くす。信じて欲しい」

「——ウチが捕まったのは、牢屋を離れてかなり経ったところだったから、それで脱走しようとしているってすぐにバレたんだと思う」

「見つかったときは逃げた?」

「いや、死んだと思ったから諦めて逃げなかった。まだ死んでないのが不思議なくらい」

「きみが何故脱走しようとしたか、それを奴らは知りたがってる」

「自由が欲しい以外に脱走に理由なんてある?」

「でも正直に言えば殺される」

「何も言わなくても殺されるでしょ」

「そうだ。上手くでっち上げよう。何か、納得感のある、きみが時間になっても檻に入っていなかった理由を」

「おい、何て言ってるんだ?」と、僕の後ろにいるグラン将軍が大きな声を出した。少し長く話しすぎたか。

「この奴隷は、自分がどうしてここに連れてこられたのかを理解しておりませんでした。ですので、この奴隷には脱走の容疑が掛かっていること、それによって死罪となることがおよそ決まっている、ということを説明しました」

 僕が最初についた嘘で、ここにいるポリグラット人は、この少女が「疚しいことはない」と言ったと思っているはずだ。つまり少女は、自分がこの場にいる理由を分かっていないということになっている。その説明をしたということなら、少し長く話をしたのも誤魔化せる。

「何だ、本当に自分がどうしてここにいるのかも分かっていなかったのか」とグラン将軍は呆れたように言った。「言葉が分からないだけでなく道理も分からないとは、本当に頭の回転が鈍い者たちだ。単純な仕事しか任せられないのは困りものだな」

「仰る通りです——」と曖昧に笑ってから、僕は大総統の方を向いた。「大総統、斯様にこの者は知能が劣る様子。少し分かりやすくかみ砕いて話を聞いてやること、問題はございませんか」

 僕の言葉に大総統は「許す」とだけ言った。

「頭が悪いと思われてるんでしょ、ウチ」と少女が言った。「大丈夫だよ、分かってる。言葉が違うだけなのに、狭量だよね。でもいつだって、馬鹿だと思われてる方が、利口だと思われてるよりも得だから」そう言う少女の目には、怜悧な知性が確かに宿っていた。「馬鹿な振りをするよ。それは頭の良い側の役目でしょ。その方がきっと、きみにとってもやりやすいよね? えっと——」

「——ユウ」

「ウチはシェラ。よろしくね」

「異邦人、奴隷は何と?」

「私が暗愚なばかりにご迷惑をおかけして申し訳ありません。どうぞ、私の言葉は皆様の知性により補ってご理解とご容赦を頂きたく思います——と」

 ふん、と鼻を鳴らす大総統。

 シェラが僕を見た。

「ユウ、今、何て言ったの?」

「馬鹿に合わせて話をするのは大変だ、って言ってやったのさ」

「笑っちゃうよ」と、シェラは涙声にも聞こえる声で言った。「やめてよね」

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