『命懸け』という言葉に関わらず、人生のすべての時間は命の還元である。

 射貫くような眼光——という言葉があるが、この表現を初めて考えて使った人は天才だ。あるいは今の僕と同じような状況の経験者だろう。

 キングワース大総統の眼光は、質量をもって見る者をその場に縛り付ける力でもあるようだった。それをカリスマというのか威厳というのかは分からない。だが、それを為すだけの何かが、このレジナルド・キングワースという人物を大総統の地位にまで高めたのだろう。

 自伝によれば、レジナルド・キングワースは、まだポリグラットが小国だった頃に貧民街に生まれたとされている。当時のポリグラットは別の国の支配下にあって、ポリグラット人はかなり酷い扱いを受けていたという話である。

 ある日、レジナルド少年は食べるものがなく、駐屯兵の倉庫からパンを奪おうとした。それはもちろんあっという間に露見して、兵士たちは子どもに食料を盗まれそうになったことで、あるいは小汚いポリグラット人の子どもというだけで激昂し、レジナルド少年が死んでも良いと思っているに違いない勢いで殴りかかった。

 そこでレジナルド少年は、倉庫で奪っていたもうひとつのもの——手榴弾のピンを抜いた。兵士たちはそれに驚き、一目散に逃げようとする。自爆覚悟だったレジナルド少年だったが、相手が逃げるというなら自爆しなくても良いわけで、手榴弾をそちらに向けて全力で投げてやった。

 これがポリグラットが軍事国家として独立する自由革命の発端である。レジナルドはその後革命軍に入り、自分の命を何とも思っていないような戦いぶりで戦果を挙げ続け、この国の独立に大きく貢献した。そうして、レジナルド・キングワース大総統と軍事国家ポリグラットは生まれた。以後、キングワース大総統の指揮のもと、この国は武力によって領地を拡大してきたのだ。

 そのような、この国の歴史そのもののような男が、今、僕の目の前にいる。年は五十か六十か分からないが、顔には皺が刻まれている。だがそれは老衰や弱さの象徴というよりも、むしろこれまでの決意や過去の数を表しているようで、向かい合うだけで敗北を感じさせる威圧感がある。

「楽にして良い——と、言った」キングワース大総統が、そう言葉を繰り返した。「耳が聞こえないのか? それともこの国の言葉が分からないか?」

 その絶対的な迫力に息をするのにも必死だった僕が何とか声を絞り出そうとしたところに、キングワース大総統は更に続ける。

「言葉が聞いて分からぬなら、その耳、要らぬか?」

 その言葉を聞いてか、キングワース大総統のすぐ隣に立っていた兵士(そう、兵士がキングワース大総統の両脇に立っていたのだ。そんなことにも気付かないほど、大総統は圧倒的だった)が鞘から刀身を引き抜く。

「大総統閣下、お目にかかれて光栄です」と、刹那の間に言葉を選び、僕は言った。「閣下のお姿を前にして、お恥ずかしながら緊張しております。どうかご容赦を」

「そうか」とキングワース大総統が短く言い、兵士は鞘に剣を戻す。

 どうやら耳は繋がったままだ。

 命の綱も。

「——宜しいでしょうか」と、僕は発言権を求めて恐る恐る声を出した。黙っているのも変だし、かといっていきなり話し始めるというのも、それで気分を害されては堪らない。このレジナルド・キングワースという男の何が地雷で、どこに導火線があるのか、早く理解しなければならない。

「宜しいも何も、私は汝と話がしたくて呼んだのだ」

「私とお話を? どのような——」


「汝は、他の言葉が分かるのか?」


 ふいに背中に冷たい水を一滴流されたように、全身に鳥肌が立った。どうしてバレた? やはり店番をしたことが不用心だったか? いや、だからと言って誰が大総統にその報告を? それに僕が他の言語を理解できるからと言って、それは国家反逆とは関係ないのでは——。


 ——いや、違う。

 逆も然り、だったのだ。


 少数民族たちが独自言語で国家転覆を企てているかもしれないというなら、例えば僕のような人物が国家側の作戦などをターミナルの住人に漏洩するということもあり得る。僕のように両方の言葉が分かる人間は、ターミナル側にいても国家側にいても面倒なのだ。


 どうする?


 言葉が分からない振りをするのは容易い。

 だが、ここまでして僕を、しかも自らの目の前に持ってこさせている。そんなキングワース大総統を、今さら小手先の誤魔化しで欺けるだろうか。きっと何か確信があったから、僕は今ここにいるのだ。

「——はい。私は、異国語が分かります」と、僕は認めた。

 異国語という言い方をしたのは、そうすれば同じ国の他の言葉は分からないということだと思ってくれるかもしれなかったからだ。

「異国語とは、この国のものではない、他の言葉ということか?」

「はい」

「国が違わなければ理解できないか? 例えば、少数民族生活地域の連中の言葉はどうか」

「——理解できます。不確かな言葉で失礼致しました。異国語というのは、異国の言葉ということではなく、この国の主なる言葉とは異なるもの、ということでございました」

 瞬間、死を覚悟したが、キングワース大総統は「なるほど」と言っただけだった。

 分からない。早く状況を正確に把握したい。誰が大総統に僕の話をした? それはなぜ? 大総統はなぜいきなり僕を殺さず、こうして話を聞いている? それはこの場で質問しても許されることか——?


 そのとき、背後から扉が開く音がした。


「閣下、持ってきました」

 別の男の声がして、ふたり分の足跡が近づいてくる。そして僕の隣に、何かがどさりと投げられた。

 いや、それは人だった。

 僕より少し年下の褐色肌の女の子だった。ほとんど布一枚のような服で、お世辞にも綺麗な格好だとか、衛生的だとかとは言えない。その目は少しぼうっとしているようでもある。その雰囲気に、僕は覚えがあった。

 恐らくこの子は、ターミナルの出身だ。

 多分、ポリグラット語は分からないだろう。そしてさっき、兵士は「持ってきた」と言った。つまり、そういう扱いを受けている——奴隷か、そうでなくても人としての扱いを受けていないのは間違いない。

「さて、異邦人。本題に入ろう」大総統が僕の方を見てそう言った。異邦人——。僕が外から来たこともバレているのか。ますます僕の立場は弱い。「汝には、命じたいことがふたつある。そのうちのひとつをまず命じる。その如何で、もうひとつを命じるかどうかを決める」

「かしこまりました、何なりと」

「では、命じる」と言って、大総統は僕から一切目を離さず、指だけで僕の隣に倒れたままの女の子を指した。「その奴隷の言葉を介して伝えよ。私が知りたいのは、それの目的である」

 この女の子と大総統の通訳ということか。

 それくらいなら、多分、何とか——。

「その奴隷は脱走を図った。その命がどうなろうと構わない。だが、殺す前に愚かにも脱走を図った動機を知り、今後の対策とする旨である。宜しいか?」

 何とか——するしか——。

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