『事実は小説よりも奇なり』と言った人には読書量か想像力が足りない。

 ポリグラットに来て数日が経った。その間の寝泊まりはディミトリが世話をしてくれて、その間に僕らはそれなりに距離を縮めた(と僕は思っている)が、ディミトリの丁寧な口調は親密度とは関係ないらしくそこに変化はない。


 ここまでで分かったことを整理してみよう。


 ここ、ポリグラットは軍事国家で、その指揮は現在、レジナルド・キングワース大総統が執っている。聞いた話を僕なりの言葉で言い換えるなら、キングワースはまさに暴君という印象だ。とにかく武力や暴力によってポリグラットは土地を獲得し、少数民族を支配下に置くことで領土を広げてきた。その点についてポリグラット民は心中複雑らしく、もっと武力によって拠点を増やすべきだと考える人も、このやり方はあまり良くないのではないかと薄ら考えている人もいるようだ(というようなことに、ディミトリ・トレードでの店番で何人かと話す中で気付いた)。

 また、ポリグラットに住む人たちの見た目は様々だった。ディミトリのような紳士然とした人ばかりでもなく、元の世界で言うならアジア人っぽい人やインド系っぽい人など、色んな人がいたので、本当は純日本人であるこの僕も別に違和感なく受け入れられることができた。

 一方、強制的な支配を続けてきた歴史の弊害か、ポリグラット語のネイティブでない人もいた。こうしたマイノリティの人々は言語の壁があるためにポリグラット人が就くような仕事を得ることができず、裏道で物乞いをしたり、言葉が分からなくても良いような仕事をしたりして細々と生きているという。そうした人々が集う場所は『ターミナル』と呼ばれていて、一般人は寄りつかないのだとか。

「ひょっとすると、僕なら彼らの言っていることが分かるかもしれないし、取り次ぎましょうか? 上手くすれば、顧客開拓になるかも」と、ディミトリに提案してみたことがあった。

 しかしディミトリは、いや、と首を振った。

「必要ないですよ。危ないですし」

「危ないって?」

「まず必要ないという部分ですが、彼らはわざわざお金を出してうちのものを買ったりしませんよ。話が通じる者同士でやり取りをするのが基本ですからね。それに、あなたが彼らから信用されるかも別問題だ。例えばあなたが銀貨一枚だと言った品物の値段を、彼らは信じるしかない。それは彼らにとって不利な取引だ」

 それは確かにそうかもしれない。

「では、危ないというのは?」

「これは噂ですが」と、僕に顔を近づけてディミトリは言った。「ターミナルの人たちの中には、国家転覆を企てる者もいるそうです。まぁ、突然暴力で支配下に置かれたのですから、当然と言えば当然ですけれどね」

「あぁ、なるほど、分かります」

「いえ、話は多分、あなたが思っているより少し複雑です。最後まで聞いてください」とディミトリは言って、また含み笑いをした。「仮に、彼らが国家転覆を企てているとしましょう。では、その相談や会合はどう行われると思います?」

「そりゃ、秘密裏に——」

「そんな怪しいところを憲兵に見つかったら、一瞬で弾圧されて終わりですよ。まさに摘発の格好の口実じゃないですか」

「え? じゃあどうするんです」

「私たちには分からない言葉で、普通にその辺りで話すんですよ。世間話でもするみたいにしてね」

 なるほど。確かに全く言葉が違うなら、そういうやり方の方が良いのかもしれない。傍目から見ると今日の夕飯の相談をしているのか、どこかを襲撃する相談をしているのか、分からないわけだ。

 ——待てよ?

「ちょっと待ってください、それって僕、ヤバいじゃないですか」


 もしも僕が彼らの言葉を理解できるとバレたら、彼らは僕をどうするだろうか。

 僕は彼らの会話を聞いて、それを憲兵に密告するかもしれない。

 そんな僕を、彼らが野放しにしておきたいと思うはずもない。


「えぇ、まさに、『死に神はいつも傍にいるが、声が聞こえないだけなのだ』というわけです」

 多分それは何かの引用だったが、異世界人の僕にはよく分からなかったので、「えぇ、まぁ」とだけ言っておいた。

「まぁとにかく、そういうことを考えると、あなたはその力を他言するのは避けた方が良いでしょうね」

 幸いなことにこの会話があったのは僕がポリグラットに来た次の日だったので、それ以降、僕はポリグラット語ではない言葉を話す人が店に来たときは、よく分かっていない振りをしつつ相手の欲しいものを探る素振りで品物を売った。多分、『察しが良いやつ』くらいにしか思われていないだろうと思う。

 その一方、時間があるときにはこの言葉を理解する能力を使って、僕はディミトリが貯蔵していた外国の本を片っ端から訳していった。最初は一日で読める程度の小さな本を手に取り、翻訳してみた。流石にパソコンのようなものはなかったが活版印刷などはあるらしく(本があるならそれはそうか)、ディミトリの書斎にはタイプライターもあったので、僕はこれを使って海外の短編を訳し、それをディミトリ・トレードの品棚の片隅に置いて買われるのを待った。そして、すぐに売れた。その売上の半分は僕のもの、もう半分はディミトリのもの、ということで配分が決まった。こうして僕は、ディミトリが持っていた大量の本を少しずつ訳して売って日銭を稼ぐことができた。

 異世界に来たというのだからどうなることかと思ったが、結局のところ、衣食住と仕事さえ得られれば、ひとまずどんな場所でも、生きるというのはどうにかなるものだ。それに本を読んで翻訳をして売って喜んでもらって、こんな幸せなことがあるだろうか。

 そうだ、この能力を使って僕はこの世界で一番の翻訳家になってやるのも良い。何ならこの国を出て別の国に行ったって、言葉は通じるし翻訳はできる。もっと大っぴらに翻訳ができる国がないか、地図か本か、情報を探しても良いかもしれない。いよいよ異世界転生らしくなってきたじゃないか。

 タイトルは、そうだな、『あらゆる言語を理解する能力を得た僕は、異世界で最高の翻訳家になって成功と名誉を手に入れることにしました』ってところか?


 だが、異世界でもどこでも、人生はそんなに甘くなかった。

 ポリグラットに来て二週間が経つ頃、僕は誘拐されたのである。

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