第31話

 第一の前提として、うちの高校の生徒はほぼ全員が一人暮らしである。この未来都市スマートシティの移住権を得られるのは、高校に受かった本人だけだからだ。家族が元から住んでいたというケースもあるが、ごく稀だ。

 第二の前提として、一人暮らしの生徒はほとんど寮に住む。無料だし、寮とは思えないほど綺麗で広い。親が金持ちでもっと豪華な部屋を借りるとかじゃない限り、他を選ぶ理由は無いだろう。

 最後に、寮にはそこそこ立派なキッチンがある。結果として、結構な割合の生徒が自炊するようになる。男子なら俺みたいに外で済ますやつも多いだろう。だが女子を一人任意に選択すると、自炊をしている可能性はかなり高い。

 つまり何が言いたいかというと、秋月は自炊する側の人間であったということだ。いや違う、本当に言いたいのは、今二人で材料の買い出しをしているという事実であり、またこのあと俺の部屋で秋月が夕食を作ってくれるという事実だ。

 自分の部屋で、女子が、料理を作る。冷静に考えるとべつに大したことはないような気もするのだが、感情はそうではなかった。ものすごく緊張する。何なら今二人で野菜を選んでいるのも緊張する。

「実家では何を入れていたの?」

「えー、ニンジンとじゃがいもかな……」

「タマネギは?」

「あー、あったかもしれない……」

 もごもごと答える。俺の持ったカゴに、横を歩く秋月が野菜を入れていく。妙にむずがゆい。これじゃあまるで……いや、言葉にするのはめておこう。

 何を作るのかというと、カレーらしい。理由を聞くと「カレーなら失敗しないから」ということだそうだ。

 実は料理苦手だったりするのか? 微妙に不安ではある。

「ルーはどれ?」

「え、どれだったかな。二種類使ってた気がするが……」

「ちゃんと思い出して」

 にらまれた。理不尽だ。

「と言うか秋月はどうなんだよ。俺の好みばっかりで決めちゃ駄目だろ」

「いい。今日はあなたのために作るから」

 平然と告げられた言葉は、俺の心に致命的な一撃クリティカルヒットを与えた。いや死んではいない。まだ。

 それにしても。俺は秋月の横顔をちらりと見た。

 部室ではずいぶん不機嫌そうだったが、今は普通に見える。もっと詰められるかと思ったのに、ちょっと拍子抜けした。べつに期待してはいない。

 もしかすると、秋月は買い物や料理をするのが好きで、機嫌を直したのかもしれない。そういうことにしておこう。

 その後、何とか思い出して買ったあと、カレー以外に必要なものを探しに行った。サラダも欲しいなと思っていると、口に出す前に秋月がレタスをさっさとカゴに入れてくれた。ドレッシングなんてものがうちにあるわけもないので、それも探す。

「げ、なんだこのドレッシング。高すぎないか?」

「外よりは安い」

「マジかよ……」

 俺からするとあり得ない値が付いている。確かに具(?)みたいなものが入ってて高級そうではあるが。マヨネーズでいいかな……。

「家に飲み物はある?」

「いや、今は無いかな」

「そう」

 秋月は短く言うと、コーラをカゴに入れていた。俺が炭酸飲めなかったらどうするつもりだ。好きだけど。

 そうやって、二人でああだこうだ言いながら買い物を続けていると、

「どうした?」

 秋月が、突如足を止めてしまった。視線が変な方向を向いている。その先を追ってみると、

「あっ、ばれちゃった」

「おーい」

 目立つ容姿の女子二人が、棚のかげから俺たちをのぞき見していた。片方はにこにこしながら手を振っている。

 やべ、クラスメイトじゃん。と言うかあれは、音楽室の前で秋月を質問攻めしていた二人だ。

 どうしてこんな場所でなどと一瞬思ってしまったが、よく考えればここは高校のすぐ近くだ。当然の結末だと言える。状況シチュエーションの衝撃が強すぎて、クラスメイトに会うとかいう基本的なイベントのことが頭から抜け落ちてた……。

「ねねっ、今から一緒にごはん作るのっ?」

「楽しそうだねー?」

 興味津々しんしんで近づいてくる二人に、俺は顔が引きつるのを感じた。いかん、また変な噂が……いや変も何もその通りなんだが……。

「ええ。氷室ひむろ君のお家にお邪魔するの」

「わっ、こんな時間に行っちゃうんだ! もしかして、お泊まり……?」

「カレシに手料理いいなー」

「ね、二人はどこまで進んでるの? こっそり教えて?」

「……秘密」

「きゃー!」

 俺が混乱しているうちに、秋月が正しく答えていた。いや完璧に正しいのは確かなのだが、どう見ても正しく受け取られてはいないし、秋月の方も誤解を解く気は全くなさそうだった。意味ありげな顔をするな。

 何とか口を挟もうとしたのだが、どう考えても俺には不可能な仕事ミッションだった。話題は今日のことだけに留まらず、先週行ったカフェやカラオケのことまで広がっている。と言うか本人が隣にいるのに、俺の歌がどうとかよく話題にできるね君たち……。

 きゃいきゃいと話が進んでいくのを、呆然ぼうぜんと眺めるしかない。俺は無力だ。

 やがてお喋りも終え、女子二人は去り際にこう言った。

「ね、この前は変なこと言ってごめんね? すっごくお似合いみたいだねっ」

「新婚さんみたいだったねー?」

「うんうん!」

「ありがとう」

 秋月はずいぶん満足そうにしていた。俺は体力を根こそぎ持っていかれた気分だった。一言も喋ってないけど。

「行きましょう」

 かすように腕を引っ張られ、俺は何とか足を動かした。

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