第30話

「ふむ。冬野の中学時代の先輩が、この高校にいるって?」

「ああ。知らないか?」

 俺は居心地いごこちの悪い思いをしながら、風間かざまと通話していた。

 どうして居心地が悪いのかと言うと、それは秋月あきづきの顔がすぐ横にあるからだ。通話を聞くためなんだが、心臓に悪い。スピーカーにすればよかったかな……。

「知ってるぜ」

「ほんとか? いったい……」

「その前に、一つ質問だ。お前今どこにいる?」

 言葉を被せるようにして、風間は妙なことを言ってきた。俺は首をかしげた。何故そんなことを聞くんだろうか。

「どこって、俺の部屋だが」

「ふうん」

 風間は面白そうに言うと、

「で? 隣には秋月がいるのか?」

「なっ」

 俺はぎょっとした。秋月も同じだったようで、慌てて距離を取っている。ガタリと音が鳴った。

 よく考えたら、俺が秋月と会いに行ったことを風間は知っているのだ。部屋にいるなんて迂闊うかつに言うんじゃなかった。

「ほう、よっぽどしてるらしいな。どこまで行ったんだ?」

「お、お前、今そういう話はやめろって!」

 必死に意識しないようにしてるのに!

「何だよ、俺は祝福してるんだぜ? 良かったじゃねえか、仲直りして」

「うぐ、ありがとう……」

 そう言われると何も言い返せない。秋月と話せたのはこいつのおかげだし、からからわれるぐらい甘んじて受けなければならないか……。

「で、でも今はそれどころじゃないんだ。冬野の話もしただろ」

「ったく、自分勝手なこと言いやがるなあ」

 風間はわざとらしくため息をついた。うっ、反論できない。

「仕方ねえな、教えてやるよ。冬野と中学が同じなのは、小夏こなつ先輩だ」

「た、助かります風間様……」

 もうおがむしかない。神様仏様風間様だ。

 しかし聞いておいてなんだが、よく知ってたな……。ほんと、こいつの情報網はどうなってるんだろう。

「どのクラスの人なんだ?」

「分かんねえのか? 薄情なやつだな」

「んん?」

 え、俺の知ってる人か? 先輩に知り合いなんて……。

「まさか、部長?」

「名前ぐらい覚えとけよ」

 そう言えば、最初に紹介された気がする。全く興味がないから忘れてた。

 しかし、冬野の先輩というのが部長だったとは。前に名前を出した時には、知ってる様子もなかったが……いや待てよ。よく考えると、冬野の名前を認識していたような気もするな。

「ちょうどいい。ついでに相談もしろよ」

「分析についてか? そうだな」

 本人からも、いつでも相談してと言われていた。忙しくてできていなかったが、いい機会だ。

「用件はそれだけか?」

「ああ。マジで助かった」

「いいってことよ。今日の秋月との話も後で聞かせろよ? 期待してるぜ」

「と、特に話すようなことも無いぞ……」

「へえ?」

 意味ありげな言葉を最後に通話が切れた。ないよな? ないかな……?

「誰か分かった?」

「ああ、小夏先輩だ。パソコン部の部長」

「髪の長い人?」

「そうだな。知ってるのか?」

 はて。部室で同時に会話した記憶はないが、どこで知ったんだろう。冬野がパソコン部に用事もない気がするが……。

「あなたがその人のことを何度か見ていたから」

「そ、そうか……」

 意味深な視線を向けられても、俺が言えることはない。何だろう、この居心地の悪さ。

 早速冬野のことを聞いてみようと思ったが、連絡先を知っているわけもない。もう日が沈みそうな時間ではあるが、俺たちは部室に戻ってみることにした。いつも最後まで残っているので、まだいるかもしれない。

 果たして、部室には鍵がかかっていなかった。中は閑散かんさんとしていたが、唯一、一番奥の席には……。

「小夏先輩」

 すぐそばに行って声をかけると、部長はびくりと体を震わせて驚いていた。あ、やっぱり気づいてなかったのか。足音ぐらい聞こえてるかと思ったが……。

「な、な、なに……?」

 必死に俺から距離を取りながら、いつもの倍は聞き取りづらい声で応えてくれた。いやそんな怯えなくても……一応顔見知りではあるでしょう……。

「あのですね」

「ひい……はい……」

「冬野と同じ中学だったって、本当ですか?」

 部長はぴたりと動きを止めた。

 次いで、急に真剣な表情になった。探るような目を向けられて、俺は少し動揺した。

「後ろの人は、誰?」

「秋月です。初めまして」

 本人が答えると、こう続けた。

「突然すみません。私たちは、冬野さんの問題を解決しようとしています。力を貸してもらえないでしょうか」

「一緒に分析してるの?」

「私は分析はしません。でも、二人で協力してやっています」

 二人で、の部分を強調して秋月は言った。何だろう、妙に攻撃的な気がするんだが……。

 しばしにらみ合いが、いや睨んでるのかは知らないし考えたくもないが、女子二人は無言で視線を交わし合っていた。俺は黙って待機した。この判断は間違ってないと思う。

「うん、わかった」

 部長は視線を俺に移すと、言った。

「い、一花いちかちゃん、爆発しちゃったんだね。プランを抜けるには、人付き合いの時間を減らしてもらわないと……」

「ちょ、ちょっと待ってください」

 話が飛んでいる。一花って、冬野の下の名前か? どうしてプラン云々うんぬんの話になるんだ?

「もしかして、先輩は冬野の現状を知ってるんですか?」

「し、知らないよ。推測しただけ」

「推測って……」

矯正きょうせいプランに引っかかって、君に解決を依頼したけど上手くいかなくて、変なことをしたから彼女さんが怒ってるんでしょ?」

 誰だその彼女というのは。話し手の部長と、怒る対象の冬野が除外される以上、該当するのは一人しかいないが……。

「いや」

「ええ、だいたい合っています」

 秋月が素早く答えた。まあうん、間違ってはいない。だいたい、がどこにかかってるかが大問題ではある。

「つ、付き合う人を減らすのが素直だよね。重要人物をピックアップして、それだけで被害を防げることを納得してもらって……」

「いやだから待ってくださいって」

 俺は必死に口を挟んだ。どうも部長は全部分かった上で解決策まで考え始めているようだが、内容がさっぱり伝わってこない。さては喋るタイプのコミュ障だな?

「すみません、こっちは全然分かってないので最初から教えてもらいたいんですが」

「ええ……効率悪い……」

 うぐっ! た、確かに部長が解決策まで出すなら俺が理解する必要は……いやしかし……。

「冬野さんを説得するのは先輩には無理でしょう。私たちの仕事です。詳しく知っていないと伝えられません」

「そ、そっか……」

 秋月の言葉に、部長はしょんぼりとしていた。援護射撃、助かる。ちょっと、いやかなり失礼なことを言ってる気もするが。

 部長は床を見つめ始めた。俺はじっと待った。秋月がいぶかしげな視線を送ってきたが、黙って頷いておいた。

「一花ちゃんは、中学時代にいじめられてたことがあるの」

 しばしの間のあと、一度口を開くとその後はスムーズだった。普段の姿からは考えられないほど、明瞭めいりょうに説明を始める。

「その前からクラスのほとんどに好かれてたけど、それが気に入らないちょっと悪いグループに虐められた。トラウマになって、友達じゃない人が一人でもいると怖い。昔はクラス内で済んでたけど、今は上級生すら怖くなってる。最後のは推測」

 そうか、虐めにあってたのか……。詳細はともかく、心に深い傷を残したというのは分かる。冬野のあの必死さを見れば。

「上級生も怖くなってるというのはどうして分かったんですか?」

「その条件が無いとプランが発動するほど成績が落ちないから。同級生までなら、一花ちゃんは上手くやるよ」

「ええと、プランが発動したってのはどうして……」

「一花ちゃんが爆発したのはさっき言った理由から推測した。爆発すれば成績が落ちるだろうと推測した理由は、昔を知っているから。成績が落ちる未来があるなら、プランは必ず発動する」

 先ほど述べた理由ってのは、彼女……じゃなくて秋月が怒ってる云々うんぬんだよな。怒ってるのか? いやそれは置いとこう。

 俺は何とか部長の論理ロジックに付いていこうとした。よし、たぶん理解できてる。そして、ここからが肝心だ。

「それで、解決する方法も思いついてるんですか?」

「うん。素直な解としては、付き合う人数を減らせばいい。そのためには、減らしても虐められないようにすればいい。そのためには、生徒の各グループの代表だけを選べばいい。各クラスの代表と、あとははぐれ者何人かだけをリストにせればいい」

 なるほど。それを冬野が納得してくれれば、人付き合いで忙しすぎて成績が落ちる未来はなくなり、成績予測も改善する。不安になって様子がおかしくなることもない。これなら……。

「あれ、待ってください。そのリストはどうやって作るんですか? 聞き込み?」

 まあできないことは無いだろうが、かなり大変そうだ。少なくとも、月曜までに作るのは不可能だ。冬野が待ってくれればいいが。

「そ、それは、大丈夫」

 脳内で整理していた範囲から外れたからか、部長はぼそぼそ声に戻って言った。

生活記録ライフログデータから、作れる」

「誰の?」

「み、みんなの……」

「どうやって集めるんです?」

「わ、私が、持ってる……」

「へ?」

 持ってる? なんで? 学校の関係者でもないだろうに。

 すると、部長は驚くべきことを言った。

「私、ライフログデータをもらって、分析でお悩み解決みたいなのしてるから……。も、もらう時に、他の分析にも使う約束してるの。たくさんあるよ」

 部長の顔を、思わずぽかんと眺めてしまった。俺と同じようなことを、しかも大規模にやっている人が既にいたとは……。

 だがよくよく考えれば、ある意味当然のことだったかもしれない。自分のデータを活用したいと思う生徒は多いだろうし、かと言って一人分では意味が薄い。この高校ができて何年も経つんだから、どこかに集約されるようになっていても不思議はない。

 そして、そのどこかというのがパソコン部の中である可能性も、それなりに高いだろう。しまったな、最初にこれを思いついていれば……。

「俺、だいぶ非効率的なことしてましたね……」

 がくりと肩を落とす。非効率的どころか、無駄なことをやっていた気分だ。そもそも冬野が相談した相手が部長だったら、すぐに解決していたのだ。

「それは……」

「それは違う」

 秋月が言いかけた言葉を、部長が上書きした。

「君が言ってるのは単なる結果論。答えが分かった今だから言えること。最初の段階では、分からなかったはずだよ」

「それは理解できますけど、やっぱり非効率的でしたよ。もっと簡単で効率のいい方法があったはずなのに」

 俺は愚痴るように言った。どうにも納得できなかったし、納得したくもなかった。してしまったら、次からもまた同じようなことを繰り返すじゃないか。

 すると部長は、そんな俺の考えを見透かしたように、言った。

「世界はそんなに単純じゃないよ」

 くすりと笑う。それは俺のことを微笑ましく思っているようでもあり、単純ではないことを歓迎しているようでもあった。不意打ちの笑顔に、少しどきっとした。

「何が最適解かなんて簡単には分からない。人間関係の問題なら、特に難しい。だからずっと考え続けなきゃいけない。君は考え続けたから、ここにたどり着いた」

 そうなんだろうか。慰めでも呪いでもある言葉だ。楽にはいかないということか。

「じゃ、じゃあ、データは渡すから。あとは二人で頑張って」

 部長はあいまいな笑みを浮かべて言った。ふと秋月に目をやると、不機嫌そうな顔で俺を見ている。

 うっ、ねてるなこれは。置いてけぼりにして悪かったって……。

「早く部屋に戻りましょう。時間が勿体もったいない」

「え、今からはさすがに……」

「はやく」

 腕を引っ張られた。これはもう、何を言っても無駄だろう。今の俺になら、それぐらいは分かる。

 不意ふいに気づいた。今までの選択が正しかったかどうかは分からないが、一つだけ確実に言えることがある。それは、もし最初から部長のことを知っていたら、秋月とこんな関係になることは無かったということだ。

 冬野には悪いが――仮に全てをやり直すことができたとしても、この権利を失うような選択は、絶対にしない。

 データを受け取り、帰る段になって、最後に俺は気になっていたことを尋ねた。

「先輩って、物理シミュレーションが専門じゃなかったんですか?」

 初対面の時に聞いたことだ。物理と人間関係なんて、最も遠いものに思えたが、

「人間関係も物理現象だよ。複雑すぎて、そう認識するのが難しいだけ。いつかシミュレートできるようになる日が来る」

 部長の澄んだ目に何が映っているのか、俺にはまだ理解できなかった。それは美しいようにも思えたし、恐ろしいようにも思えた。

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