第23話

 日曜日には、俺は秋月あきづきによってカラオケに連行された。昨日はまあいいかと思ったが、当日になるとやっぱり気は進まなかった。何故陽キャはみんな(偏見)カラオケなんかに行きたがるのか……。

 もっとも、秋月はカラオケで騒ぎたいわけではなく――もしそうだったらまだ本性を隠していたのかと疑うところだ――純粋に歌うのが好きなようだ。すごく上手いわけでは無いかもしれないが、もともと声はんでいるし、音を外すこともなかった。

 俺はと言うと、音痴オンチでは無いにしろ、平凡以下で見るべきところもない。あと、得意な歌というものがない。アニメ好きならまた違うかもしれないが、俺はゲーム派閥なんだよな……。

 仕方なく、まあ耳にしたことはあるメジャーな曲を歌っていたが、最後の方で分からなくなって途中停止したりしていた。カラオケは音楽ゲーム音ゲーとは違って曲ごとではなく時間で金がかかるから、中断しても効率が悪くならないのがいいな、うん。

 なんて思っていたのだが、秋月は俺の行為に不満があるようだった。何曲目かからは、中断すると次に同じ曲を入れられて、二人で歌わされた。手本を見せるからついてこいというわけだ。スパルタか。

 これは新たな発見、と言うかそもそもカラオケなんて行かないから今まで知りようもなかったのだが――二人で歌うというのは、滅茶苦茶恥ずかしいということが分かった。何だろうなこれ……途中から瀕死だったよ……。

 そんな正気を削る週末を終え、精神的疲労を引きずったまま登校した俺は、意外な出来事に遭遇そうぐうした。教室では(睨むとき以外)ほとんどこっちを見ない秋月が、あからさまに視線を送ってきたのだ。

 その直後には、席を立って廊下に出た。朝のホームルーム前の、微妙な時間にだ。これはあれだな、話があるからついてこいということか。

 少し時間を置いて、俺も外に向かった。元から影は薄いし、これで秋月に会いに行くとは気づかれないだろう。約一名には見られてる気がするけど。

 秋月は、廊下の隅で所在なさげにたたずんでいた。俺が誰かに見られていないかきょろきょろしていると、早く来いとばかりに手招きされた。

「急ぎの用事か?」

 朝から珍しいな。トラブルか、とちょっと身構えていると、

「見て」

 差し出してきたのは、スマホに映った矯正きょうせいプランの画面だった。昨日の更新分が表示されていて……。

「おお!」

 思わず大きな声を上げてしまった。だってそこには、成績予測の五十点突破と、プランを終了するむねが書かれていたからだ。

「おめでとう。やったな」

 俺は笑みを浮かべながら、心の底から祝福した。秋月も、微笑ほほえんで返してくれた。

「ありがとう。あなたのおかげ」

「いや、あんまり役に立ってないけどな。改善したのも偶然だし……」

「そんなことはない。……本当に、感謝してる」

 秋月はそう強調すると、俺のことをじっと見つめてきた。なんか照れくさいな。過大な評価だとは思うが、これ以上否定するのも変なのでやめておいた。

 でも、終わっちゃったか。すぐに俺の心は冷えていった。これで、秋月と関わる理由はなくなってしまった。少なくともあっちには無いだろう。

「あー、秋月の生活記録ライフログデータ、まだしばらく持っててもいいか? 嫌ならすぐ消すが……」

 もう少し分析に使いたい。これは純粋に俺の都合だ。今は冬野ふゆののデータもあるし、無くてもなんとかなる。

 すると、秋月は妙な顔をした。何を言っているのか分からないという表情だ。ん?

「いいに決まってるでしょう。何故消すの?」

「何故ってそりゃ、俺と秋月の協力関係は終わったわけだろ?」

「は?」

 聞いたこともないような低い声で威圧された。怖い。

 秋月は、ぐいっと身を寄せながら睨んできた。

「あなたがプランを早く抜けたいから、あたしにも協力しろって話だったでしょう。まだ片方しか終わってない」

「あー……」

 言った。ほとんど口から出任せではあったが、確かに言った。実は俺もゴールまで半分切っているのだが、まだ時間はかかるだろう。

「つまり、あれか。俺がプランを抜けるまでは協力してくれるってことか?」

「何故分かりきったことをわざわざ確認するわけ? 効率が……」

「わ、わかったわかった。もう聞かない」

 俺は慌てて言葉を遮った。秋月はわざとらしくため息をついた。

「冬野さんのことも手伝うから」

「いやそれは……助かるよ」

 そこまでの義理はないだろうと言おうとしたが、やめた。手伝うと言ったら手伝うんだろう。それにもう意見を聞いたりしたし、実質既に手伝ってもらっているようなものだ。

 不意に、足音が耳に入った。廊下の先に先生が見えて、俺たちはそそくさと教室に戻った。

 しかし、過去の俺は余計なことを言ってしまったもんだな。俺自身はプランなんて大した問題じゃないと思ってるのに、協力を続けさせるのは申し訳ない。

 その上、だ。その上、これで秋月との縁が続くだなんて、ちょっと喜んでいる自分が嫌になる。……ちょっとなんていうのも、卑怯な付け足しかもしれない。

 授業を無気力に……いや効率的にやり過ごし、三回目の生徒指導室に向かった。当然、秋月は大変褒められていた。先生はご満悦のようだ。

 その後、分析のために部室に行った俺は、こそこそと自席に向かっていた。今ちょっと会いたくないやつがいるんだが……。

「あ」

 目が合った。合ったのだが、それは思っていた人物ではなかった。

「ちょ、ちょっと、聞きたいがことあって……。いい……?」

「あ、はい」

 部長の言葉に、俺は首をひねりながら答えた。二週間ほど前に、寸分すんぶんたがわぬ台詞セリフを聞かされたような。安物のスマートスピーカーか?

「ま、前に連れ込んでた、女の子って……」

「ええと、秋月? 冬野?」

 答えてから思ったが、連れ込んだってなんだ連れ込んだって。部長は小刻みに頷きながら言った。

「も、もしかして、ライフログデータ分析してる……?」

「まあ、はい」

 してるかしてないかと言われたら、してる。だったらどうしたのかは全く分からないが。

 すると部長は、唐突に動きを止めた。視線は床に固定されている。

 考え事をしているのかと思ったが、ずいぶん長い。そろそろ保健室に連れて行くべきだろうかと心配になり始めたころ、部長はおもむろに顔を上げた。

「相談したいこと、ある?」

 じっと見つめられながらそう言われ、俺は少しうろたえた。急に言われても困るんだが……いや、せっかくだし聞いてみるか。

「ええとですね、ライフログを分析して成績を良くしようみたいなのやってまして」

 矯正プランのことに触れないように気を付けながら、俺は話し出した。

「いろいろやったら良くなったりしたんですけど、何が原因かよく分からないんですよ。候補はいくつかあるんですけど、どれか分からなくて」

 冬野の分析で困っていたことだ。読書なのかゲームなのか、上手く特定する手段があるなら教えて欲しい。

 とは言え、この曖昧あいまいな説明ではさすがに分からないだろう。あまり期待せずに待っていると、

「その候補の中に、答えはないよ」

 予想外の返事が来て、俺は面食らった。

「よく分からないうちに答えを絞っちゃ駄目。一度頭をまっさらにして、全部回帰してみるといいよ」

「回帰って、成績と連動する値を調べろってことですか?」

 夏の気温が高いとビールが売れて低いと売れない、とかそういうのだ。

「うん。データを全部数値化して」

 部長は小さく頷いた。ふーむ、俺が全く気づいていない要因があるってことか。確かに、そもそも成績予測が改善した原因が、やることリストの中にあるとは限らないか……。

 俺が考え込んでいると、部長は再び口を開いた。

「ま」

「ま?」

「また相談したいことがあったら、い、いつでも来て……」

 ぼそぼそと言うと、自分の席に帰っていった。俺は礼を言って見送った。

 ヒントをもらって、俺は俄然がぜんやる気が出てきた。また相談に乗ってもらえるというのもありがたい。秋月は偶然上手くいったとは言え、分析はほとんど進んでいないに等しいのだ。今度聞くときはちゃんと問題点をまとめて……。

「よお」

 などと考えていたら、後ろから肩を叩かれた。くっ、フラグは回避したと思ったのに。まさか二段構えとは……。

 俺は観念して振り返った。まあ、ずっと逃げ続けるわけにもいかない。

 風間かざまは口の端を歪めながら、親指で外を指していた。じっくり話し合おうということらしい。俺は素直に従った。

「で?」

 一文字の問いかけ。それで分かるだろうとでも言わんばかりだ。まあうん、分かる。春日井かすがいを紹介する件だ。

 先週は風間も忙しかったのか(何になのかは知らないし聞かない)、部活には来なかった。教室ではしづらいだろうし、追求を免れていたのだが……。

「悪い! その話、無かったことにしてくれないか」

 とうとう言ってしまった。不義理だと分かってはいるが、断ってしまった。ずいぶん悩んだが、やっぱり無理だ。

「ほお。女ができたら俺との約束なんかどうでもいいってわけだ。友情なんて虚しいもんだな」

 うぐ、こいつに言われると滅茶苦茶刺さるな……。女ができたなんてのは勘違いだが、秋月に配慮して断ってるのは確かなので、反論もしづらい。

「まあいいさ。実は、他にやってほしいことができたんだ。まさか断ったりしねえよなあ?」

「な、なんだよ……」

 こいつが俺に期待する事って、他に何かあるのか。秋月を紹介しろなんて言われたら、土下座して許しをうしかないぞ……。

「氷室、お前秋月とデート行ったんだろ?」

「それは……まあ」

 デートかどうかはともかく、二人で遊んだのは確かだ。否定するほどでもない。

「しかも、一回じゃねえな?」

「うっ、まあそうだ」

 一回は相談したから知ってて当然だが、昨日の二回目が何故知られてるんだ。誰かに見られてたのか……?

「そこで何があったか俺に教えろよ。詳しくな」

「……それでいいのか?」

 ちょっと拍子抜けした。もともと一回目のことは、多少は話そうと思っていた。手伝ってもらったわけだし。昨日のことにしても、大して話すこともない。

 すると、風間はにやりと笑って言った。

「いいや、まだある。今後も秋月との間にあったことは、俺に話せよ。それで許してやる」

 今後もか……。嫌な条項約束を付け加えてくれるもんだ。

「待て、ええと、一生ってことか? さすがにそれは……」

「何だよ、俺と一生つるむとでも心に決めてんのか?」

「そういうわけじゃないが、その可能性もあるだろ?」

「めんどくせえなあ。じゃあ高校の間だけでいいぜ」

 なら問題ないか。いや、本当か? 上手く乗せられてる気もするが……。

 しかし、もともとこっちに選択肢がある話でもない。一方的に助けてもらってる立場だ。どうせ今後も大したことを話す事態にはならないだろうし、いいか。

「分かったよ」

「よし」

 風間はパチンと指を鳴らした。そんなに嬉しかったのか。

「なあ、どうして秋月の話を聞きたがるんだ?」

 ふいに気になって、聞いた。もしかして、もしかすると……好きなタイプなんだろうか。そう考えてしまって、何だか胸がもやもやとした。

 すると、

「心配しなくても、取ったりしねえよ」

「な、何だよ取るって……」

 動揺する俺を、風間はにやにやとしながら観察している。よし、この話をするのはやめよう。

 何にせよ、契約は成された。とりあえず俺は、出かけた時のことを話した。さすがに隅から隅までとはいかないが――秋月が試着した店とか――できる限り誠実に話したつもりだ。

 風間は満足げに言った。

「じゃ、これからも頼むぜ。詳しくな」

「詳しくと言われても、全部覚えてるわけじゃないぞ」

「覚えとけよ。ライフログの映像をくれてもいいんだぜ」

「さすがにそれは駄目だろ」

 大したものは映らないだろうが、それでも秋月の姿が入るのは確実だ。本人の許可なしに渡すわけにはいかない。

「そうだな、さすがにな……くくっ」

 何故か楽しそうに言うと、風間は部室に戻ろうとした。のだが、最後に爆弾を落としていった。

「言い忘れてたが、お前、秋月と噂になってるぞ」

「うっ、マジか」

 俺は表情を歪めた。若干じゃっかん危惧きぐしてはいたのだが、外で遊んでいるところを見られたのだろうか。

「どんな? 二人で出かけてることなら、事情があって……」

「その話は回ってきてねえな。だが、前からあの二人が怪しいとは言われてたぜ」

「そ、そうなのか」

 やっぱりチラ見してたのが良くなかったのか、それとも二人で話してたことか。具体的には分からないが、いろいろと総合してということなのかもしれない。そう言えば、火口ひぐちにも同じようなこと言われたな……。

「怪しいとは言われてた、ってことは、最近何か決定的なことがあったのか?」

 すると、風間は肩をすくめた。

「おいおい、マジで言ってんのか?」

「マジだ。嘘ついてどうする」

「廊下でいちゃついてたくせに?」

「廊下でって……あ」

 今朝のを誰かに見られたのか。しまったな、俺が大きな声を出したからかも……。

「でも、話をしてただけだぞ。いちゃついてなんかない」

 すると、風間はかわいそうなものを見る目を向けてきた。何だよ腹立つな。

「いいか? 噂の内容はこうだ。『秋月が誰も見たことのない笑顔を氷室に向けていた』『痴話喧嘩してた』『キスするんじゃないかと思うほど接近していた』」

 俺は硬直した。そ、そんな風に見られてたのか……最後の春日井じゃないよな?

 いずれにせよ、三つ目は勘違いだ。初めて会った日にも、同じようなことをされたんだから。あいつが無防備すぎるというか、興奮すると距離感も何も分からなくなるのが原因であって、俺との仲がどうとかとは全く関係ない。

 二つ目だって似たようなものだろう。秋月が実は怒りっぽ……感情の起伏が激しくて、それを他の人は知らないから変な想像をするんだ。痴話喧嘩だなんて、単なる印象論だ。何の根拠も無い、うん。

 なら、残った一つはどうなんだろうか。

 それを考えると、俺の顔は熱くなった。誰も、少なくとも男子は誰も笑顔を見たことが無いというのは、事実なんだろう。俺には見せてくれるというのも、事実だ。そこから導き出される真実は、何だろうか。

「ま、頑張れよ。お前の話には期待してるから」

 風間は今度こそ部室に入った。俺は、しばらくその場に立ち尽くしていた。

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