第16話

 写真の店は、すぐ近くにあった。さっきの店主が投稿していたのも、ご近所さんということなんだろう。画像検索より地図で周囲を調べた方が早かったかもしれないが、まあ結果論だ。

 従って、店自体にはすぐに着いた。着いたのだが……。

「おおう……」

 入口の前に立った俺は、気圧けおされたように体を反らせた。

 いや、写真を見た時から思ってはいたが……予想以上に、かわいい。それも、並みのかわいさではない。最大限に想像したかわいい店の、さらに二段階ぐらい上だ。

 だって床も壁も何もかも、全部ピンクなんだぞ? ここに男が入るのは、ベリーハードを通り越して狂気ルナティック、もしくは究極アルティメットの難易度だ。たぶん何らかの罪に問われると思う。

「はやく」

 しかし秋月は、逃走を許してはくれなかった。俺の腕を掴んで、強引に引っ張っていく。

 感触にどきりとする余裕もなく、単純に痛い。こいつ力つよいんだよな……ピアノをやってるからだろうか。

 売られている服も凄まじかった。そうとしか表現のしようがない。とにかくひらひらしているか、でかいリボンや装飾がついているか、胸焼けしそうな甘ったるいデザインか、もしくはその全てかだ。

 こう言っちゃなんだが、ゲームの中でしか見たことがないような服だ。ロリータとでも分類されるんだろうか。分からん。

 混乱状態というか朦朧もうろう状態というかの俺の横で、秋月は喜々として服を見ていた。今日一番テンションが高い。

「かわいい……」

 口元がふにゃりと緩む。それが笑みを形作るのを見て、俺は激しい衝撃を受けた。秋月の笑顔、初めて見たな……。

 じっと見つめられているのを、本人は全く気づいていないようだった。俺の存在すら頭から消えているのかもしれないが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。そこまで楽しんでくれているのが、ただ嬉しかった。

 本当は、こういう服の方が好きなんだろうか。今現在身にまとっている、落ち着いたデザインの服に目をやる。似合ってると言ってあまり嬉しそうじゃなかったのは、そういうことなんだろうか。

「着てみたらどうだ?」

 俺は言った。特に深く考えたわけでもない。そんなに好きなんだったら、と思っただけだ。

 だが、秋月は、

「……似合わないからいい」

 沈んだ口調で言うと、力無く顔を伏せた。さっきまでの魅力的な表情が、一瞬にしてかげっていた。

 美しいものが、失われてしまった。俺は、それが許せなかった。

 服を戻そうとした手を、思わず掴んでいた。秋月はびくりと身を震わせたあと、ぽかんとした顔で俺を見た。

「そんなことないだろ。秋月なら絶対似合う」

「お、お世辞はやめて。あたしは性格きついし、かわいくないし……」

「そういう面があるのは分かる。秋月は綺麗だ。美少女というより、美人ってタイプだろう」

 秋月は口をぱくぱくさせている。俺は言葉を続けた。

「でも、子供っぽいところもあるだろ。雑貨を見てた時なんて、目をきらきらさせてたぞ。さっきの笑顔もかわいかったし、秋月にはこの服が似合うんだよ」

 一気に言い切った。どうだ、反論できないだろう。俺の主張の方が正しいはずだ。

「な、に言って……」

 いた片腕で自分の顔を隠し、秋月は小さくうめいた。よく見ると、耳まで真っ赤になっている。おかしい、しぶしぶ認めるところが見れる予定だったのに。

 待てよ、何を言ったかって? 確かあれだ、綺麗だとか、かわいいとか……。

「いやちが……わない。本当のことしか言ってないぞ、うん」

 否定しかけて、やめた。恥ずかしいし顔は熱いが、それより重要なことがある。秋月の笑顔を奪った失敗は、取り返さないといけない。

「試しに着てみろって。こんなことで言い争っても効率悪いだろ」

「……わかった」

 ようやく納得してくれた。戻しかけた服を胸に抱いて、試着室に向かう。

 しばし待つ。一人になると、急に周りの目が気になりだした。やっぱり追い出されたりするんじゃないだろうか、俺……。

 それに、女子の着替え待ちというのも気まずい。試着室の出入り口が、扉ではなく頼りないカーテンだというのも良くない。その奥に意識を向けないよう、かと言って店内にも視線の置き所がないので、俺は仕方なくスマホをいじっていた。

 SNSを無意味に眺める。お、最近流行はやってるゲームの動画だ。監視カメラで部屋を見張って、現れるお化けだか怪物だかを報告するっていうやつ……。

 その瞬間、頭に浮かんでしまった。何がかと言うと、いつだか見てしまったカメラ映像だ。部屋の中には、下着姿の……。

 俺は慌ててスマホをスリープにした。視線が試着室に行きそうになるのを、全力で阻止する。今あの中ではとか絶対に考えてはいけない。

 ほんと困るな……あの記憶上書き消去できないかな……ちょっと勿体もったいないけど……。

「どう?」

 不安げな声に、俺ははっとして視線を向けた。

 その服は、店にある中でも特にかわいらしかった。白とピンクのワンピースで、胸元には大きなリボンがあしらわれている。人形が着る服みたいだ。

 でも秋月の方が、もっとかわいかった。伏せがちな顔は真っ赤に染まっていて、うるんだ瞳で上目遣いに俺を見ている。両手は胸の前でぎゅっと握られている。

 普段の落ち着いた振る舞いからは、想像もつかない姿。その姿に、今の服が完璧に似合っている。危うく抱きしめそうになるほどに。

「やっぱり……」

 俺の沈黙をどう取ったのか、秋月の顔が歪んだ。しまった、何やってんだ俺は。

「いや、悪い、見とれてた。すごく似合ってる。やっぱり秋月はそういう服も似合うんだって」

「……ほんとに言ってる?」

「俺がこんな嘘すらすらと言えるかよ……」

 情けない顔をして言うと、秋月はくすりと笑った。よかった、とりあえず目標ミッション達成クリアできたようだ。

 秋月は店内の鏡の前に立つと、体をひねったり、服を引っ張ったりしながら、自分の格好を確かめていた。その仕草もかわいくて、俺はにやけそうになるのを必死で抑えた。

 その後、服を買うかどうか相当迷ったようだったが、結局戻していた。せっかく似合うのにという気もしたが、まあ値段が五桁行ってたからなあ……。秋月によると、これでも相場からするとかなり安いらしいが。

「他にも着てみたい服はあるから、いい。これは普段着には無理」

「まあそうかもな」

 滅多に着ない服をいくつも持っていられるような身分でもない。バイトでもすればいいのかもしれないが、秋月はピアノも忙しいだろう。

「だから、その」

 少し言い淀んだあと、続けた。

「また買い物に付き合ってほしい。あなたが似合うと言ってくれたら、自信がつく」

「そ、そうか。まあ俺でいいなら……」

 ええと、それは分析とか全く関係なく、ってことだよな。つまりはその……いや、純粋に俺を頼ってくれてるんだろう。変な考えはよくない。

 店を出ると、秋月の強い要望で、この古い街並みをまわることになった。目的もなく散策なんて、ちょっと苦手なんだが……。せめてスマホで検索しようと思ったのに、それすら許されず引っ張られていった。

 うう、押しに弱いという新たな弱点まで見抜かれてしまった、というか作られてしまった気がする。秋月の弱点は何なんだ。かわいい物ででも釣ればいいのか?

 しかし実際散策してみると、案外悪くなかった。店がちらほらとあって、順番に冷やかしてまわった。秋月はさっきほどのハイテンションにはならなかったものの、ウィンドウショッピングを楽しんでいるようだった。

 事前知識なしでランダムイベントをこなすのも、悪くはない。もっとも、これは結果論かもしれない。仮に店も何もなかったら、胃が痛くなっていた可能性もある。

 それとも。たとえ何も見つからなくたって、楽しかったのだろうか。そんな気も、少しはする。どれぐらいの可能性なのかは分からない。

 歩いているうちに、道が緩く傾斜していることに気づいた。上り坂だ。効率的なこの都市には、坂なんて無いものだと思っていたが。

 坂はだんだんきつくなっていったが、秋月は気にせず進んでいった。この先に何かがあるのか、俺はスマホで調べようとしてやめた。どっちにしろ、秋月は行ってみようと言うだろう。たぶん間違いない。

 ぐねぐねと曲がりくねった非効率的な道を進み、ようやく終わりが見えてきた。傾斜が緩くなり、平坦になった先へと進むと、一気に視界が開けた。

「あ……」

 秋月が、小さく声を上げた。

 そこは、丘の上の展望台になっていた。展望台とは言っても、本当にささやかなものだ。ビル群を上から眺められるほどでもない。だが少なくとも、今日歩いてきた古い街並みの辺りはよく見えた。

「あの店」

「こっから見ても目立つな……」

 秋月が指さす先には、ピンクピンクした店舗があった。相変わらず、すごい。生きて出てきた自分を褒めたいぐらいだ。

「俺の人生で一番入る難易度が高い店だったぞ。たぶん更新されないな」

 うんうんと頷いていたのだが、秋月は少し考えるようにしたあと、言った。

下着屋さんランジェリーショップよりも?」

「そんな店生涯しょうがい行くこと無いだろ」

 ははは……これフラグじゃないよな?

 その後も、今日行った店を一軒一軒探しながら、どうでもいい会話に花を咲かせていた。本当にどうでもいい、何の意味もない会話。

 でも秋月と話すのは、楽しかった。イメージ通りの反応だったり、逆に思わぬことを言われたり。予想が付かないのが楽しいと思ったのは、初めてかもしれない。

 人付き合いも悪くない、のかもしれない。いつも大人しいようでいて、たまに止まらなくなる秋月に付き合って、非効率的な時間を過ごすのも。俺はちらっとだけそう思った。

 そろそろ話題も尽きてきて、撤収することになった。夕日に照らされた展望台から街を眺めながら、秋月はぽつりと言った。

「来てよかった」

 橙色に染まる横顔。わずかに緩んだ口元を見て、俺はどきりとした。

 不意ふいに、足音が耳に入った。展望台へと上ってくる道を、二人の若い男女が歩いてくる。男女というか、どう見てもカップルだ。身を寄せ合って、楽しげにお喋りしている。

 二人は俺たちに気づくと、小さく会釈えしゃくした。微笑ましいものを見るような目を向けられて、悟った。これはあれだな、俺たちもだと思われて……。

「行こう」

 似たようなことを考えたのか、顔を赤くしている秋月を促した。自分の顔がどうなっているのかは考えないことにする。

 坂を下りながら、ふと思った。もしかして、この辺りの妙な街並みは、特定の目的のために設計されてるんじゃないだろうか。つまり、デー……。

「し、しかし、あれだな。丘の上ってのも非効率的だな」

「え?」

 心を落ち着かせるために口を開くと、返事は思ったよりすぐそばから聞こえた。妙に近くにある秋月の顔を見ながら、俺は言った。

「展望台を作りたかったのは分かるが、それならタワーでも建てればいいんだ。坂を上らせるより、エレベーターの方が快適に……いてえ!」

 脇腹に鋭い痛みを感じて、俺は悲鳴をあげた。秋月が思い切りつねってきたのだ。

「な、何を」

「ちょっと黙って」

 だが文句を言おうとした俺の口は、今までで最も温度の低い視線の前に、力無く閉じられた。怖い。マジで怖い。なんで怒ってるんだ?

 人付き合いも悪くないっていうのは取り消そうかな……。急に不機嫌になった秋月に戦々恐々せんせんきょうきょうしながら、俺はとぼとぼと坂を下った。

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