第12話

 データを33%増量し、よしこれならと意気込んで始めた分析は、

「うん、まあ足りないな」

 金曜日の放課後には、ほとんど何も進んでいないという状況になっていた。ちょっとは期待したんだけどなあ……。うちの学校は土曜も必ず休みなので、今週の進捗はもう駄目です。

 やはりデータが圧倒的に足りない。頑張ればあと何人かはもらえるかもしれないが、それでは意味がなさそうだという直感があった。このやり方では、やっぱり百人ぐらいは必要なんだろう。手法自体を変える必要がある。

「うーむ……」

 俺は背もたれに身を預けると、天井を見つめた。こうすると何となくいいアイデアが浮かびそうな気が……。

「うおお!?」

 視界に突如割り込んできた長髪の人影に、俺は驚いて身を引いた。前髪がだらりと垂れ下がって、ホラーな感じになっている。怖い。

「ぶ、分析、悩んでる……?」

 俺の態度を気にする様子もなく、部長はぼそぼそと言った。俺は心を落ち着けてから答えた。

「ええと、はい。データの量が足りないみたいで」

「も、もしかして、生活記録ライフログ?」

「ああ、はい。友達からもらったのが何人分かはあるんですけど」

 こう言うと友達が何人もいるみたいだな。実際は楽天的ポジティブに考えても一人である。

「りょ、量じゃなくて、バリエーションが大事」

「バリエーションですか?」

 データの種類ってことか? 例えばこの前の探し物で、物体認識だけではなく位置情報も使ったように。とは言え今はライフログデータを全て使ってるんだが……。

 もう少し詳しく聞きたかったのだが、こくこくと頷いて去っていってしまった。うーむ、バリエーションとは何のことかとはっきり質問すべきだったな。対部長戦略を間違えた。

 今から聞きに行ってもいいのだが、ちょっと自分で考えてみる。そう言えば、まだ使ってないデータがあったな。

 俺はライフログの方ではなく、人工知能AIから毎日送られてくる矯正きょうせいプランのスケジュールを見た。

 相変わらず奇妙なスケジュールだ。三分だけ勉強しろやら、特定の時刻に十歩だけ歩けやら。もし人間が作るとしたら、絶対こんな風にはならないだろう。

 理屈ロジックは分からないが、とにかくAI様はこれで生徒の成績低下を回避できると判断したわけだ。先生の言葉を信じるなら、実績もあるらしい。ということは、ここに成績低下のヒントが隠れてるんじゃないだろうか。

「……とは言ったものの……」

 うむ、ちょっと奇妙すぎるな。何も分からん。

 ため息をつきながら眺める。成績予測を確認すると、約二十点だった科目が約二十一点になっている。誤差程度だが、マシにはなってるな。これもスケジュールと同じく毎日更新されるようだ。

「……ん?」

 予測が毎日変わる。ということは、毎日新しい情報データが得られるってことで……。

 出し抜けにスマホが振動した。誰かからメッセージが来たなんてことはなく、設定していたアラームだ。そうだ、矯正プランに中庭で散歩しろと言われてるんだった。

 うーむ、何かアイデアが浮かびそうだったんだが。もやもやしながら向かう。

 それなりには広いが、スポーツするには狭すぎる中庭は、主に生徒たちのお喋りの場になっていた。カップルらしき姿もちらほらと見える。俺には縁の無い場所だ。

 謎の散歩のスタート地点は、中央にある大きな木のようだ。ベンチで囲まれていて、庭の中でも特に騒がしい。いかにも陽キャの巣窟という雰囲気だ。行きたくないなあそこ……。

 よく見ると、一人雰囲気の違う女子がいた。楚々そそとした立ち振る舞いで、あそこに混じるにはちょっと落ち着きすぎている。長い黒髪が腰の辺りまで……って、秋月だなあれ。

 何やらスマホをじっと見ている。俺と同じく、スケジュールに散歩でも入ってたのか。前も被ったしなあ。

 俺は声をかけようかどうか迷った。とりあえず、スタート地点が同じようなので近づかないわけにはいかないが……。

「こんにちは。あなたも?」

「ああ」

 と思っていたら、あっさりあっちから話しかけられた。あいまいな疑問文だが、やっぱりプランのスケジュールのことだろう。

 近くに立つと、秋月は小さく欠伸あくびした。こいつにしては、珍しく無防備だ。自分でも同じようなことを思ったのか、はっと口元を押さえている。

「寝てないのか?」

「……勉強時間を増やしてるの」

「無理するなよ」

 俺の言葉に、秋月は何も返さなかった。やり方を変えるつもりはなさそうだ。そんなに矯正プランが嫌なんだろうか。

 スケジュールの時間が来て、二人揃って歩き出した。なんかこれ、誘い合わせて散歩してるみたいだな……。自意識過剰かもしれないが、視線を感じる気がする。

 何となくいたたまれなくなって、俺は聞いた。

「そう言えば、成績予測って毎日確認してるか?」

「ええ、一応」

「初日から変化した?」

「ええ。ほんの少し」

 ふむ。俺と似たような状況か。

 短い散歩が終わる。ゴール地点は、校舎の裏手の誰も来ないような場所だった。この散歩によって、成績予測はまた微妙に変化するんだろうか……。

「あっ」

 そうか。さっき思いつきそうになったことが何か、ようやく分かった。

「秋月」

「なに?」

「明日、一緒に遊びに行かないか?」

 秋月の動きがぴたりと止まった。しばしの間のあと、ゆっくりと一歩下がりながら言った。

「……やっぱり報酬をよこせってこと?」

 襟元を両手でぎゅっと握りながら、俺をにらんでいる。いかん、何か勘違いされている気がする。

「違う違う。分析の一環なんだよ……ええとだな」

 俺は頭の中を整理してから話し出した。

「秋月は勉強時間を増やして、成績予測が少しは良くなった。でも、大幅には変わってないんだよな?」

「ええ」

「じゃあ何をすれば変わるのか。それを調べるには、極端なことをやってみればいい。極端というか、今までやらなかったようなことだ」

「だから二人で遊びに行くって?」

「そうだ」

 一日遊んで、すると成績予測はどうなるのか。それだけで矯正プランを抜けられるほど良くなるというのは楽観的すぎるが、そこそこの変化が出る可能性はある。そうすれば、次の分析のヒントになる。何なら下がったっていい。

 これは、自分からデータを作りにいっているようなものだ。毎日違うことをすれば、どの行動が成績に影響するか分かる。百人分のデータを漫然と集めるより、こっちの方が有効かもしれない。

 要は、データの量だけでなく、バリエーションを増やすということだ。たぶん、部長が言いたかったのはこういうことだろう。

「男子と休日に遊ぶなんて、そのまあ、あんまりしたことないよな?」

なんて迂遠うえんな……いえ、効率の悪い言い回しをしなくても、全くしたことがないで合ってる」

「ぐっ、効率悪いって……お前わざと言ってるだろ……」

 わざわざ言い直しやがった。歯噛みする俺に、秋月は素知らぬ顔だ。こいつ……。

「とにかく、明日は出かけるぞ。いいか?」

「ええ」

 というわけで、あっさりと決まってしまった。このイベントの意味を、お互いあまり深く考えていなかったんだと思う。行き先やら何やらを考え出して頭が痛くなるのは、もう少し後のことだった。

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