第10話

 勉強会は特に面白くもなかったが、面倒というわけでもなかった。一人で淡々と作業していただけだからな。会話を求められないというのは素晴らしい。

 秋月あきづきは、ずっと春日井かすがいの隣でお世話をしていた。質問されたら答えるし、手が止まったら教えるし、何なら順調に進んでいても横から観察している。家庭教師か?

 これなら勉強会なんて来なくても、二人でやればよかったのでは。首をひねっていたのだが、秋月にも思惑があるようだった。

火口ひぐち君」

「何かな?」

 火口は冬野のことを気にしていたが、秋月に声をかけられるとすぐに反応した。人間ができている……いやそれぐらい普通か。俺みたいなコミュ障じゃないんだから。

「ここ、教えてあげてもらえる?」

 秋月が指さした春日井のタブレットには、数式が並んでいる。どうも、数学はあまり得意ではないらしい。そういや火口は小テストの点良かったな。前回クラストップだったから覚えている。

「ああ、もちろんさ」

 さわやかに言うと、春日井の隣に席を移った。秋月と二人で挟むような格好だ。火口に指導されて、真ん中の春日井はこくこく頷いている。

 なんだか微笑ましい光景だ。二人の子供、にはさすがに見えないが、親戚の小さな子みたいな雰囲気だろうか。主に火口がアドバイスしているが、何が分からないか分からない、みたいな状況では、秋月が優しく聞き出していた。

 顔のいい三人が並んでると、絵になるな。俺なんかが混じってなくてよかった。皮肉で言ってるわけではなく、本心だ。美しい物には価値がある。

 そんなわけで、こっちはいいんだが。俺はちらりと視線を動かした。

 残りの一人、冬野ふゆのは、さっきから何やら深刻そうな顔をしている。手は止まっていないし、勉強が進まないというわけではなさそうだ。

 何だろうな。火口が春日井に構っていることに嫉妬している、などというありきたりな状況を一瞬想像してしまったが、どうも違うように思える。食堂に来る前だって、火口じゃなくこっちを気にしてたしなあ。

 冬野は顔が広いようで、ちょくちょく誰かが話しかけにきていた。だが本人が上の空の対応をするものだから、みないぶかしげな顔で帰っていく。他のクラスどころか上級生も混じってる気がするんだが、そんな適当でいいのかね。

 俺は小さくため息をついた。余計なことを考えるのはめよう。俺には関係ないことだ。

 若干じゃっかん面倒度が上昇したのを感じつつ、手を動かす。しばらくして、タブレットに表示された時計を確認した。そろそろか。

「悪い、ちょっと用事が……」

 言いかけて、ぽかんとしてしまった。ちょうど向かいの席に座っていた秋月が、ほぼ同時に立ち上がったからだ。あっちも似たような顔をしている。

 俺の用事というのは、矯正きょうせいプランのスケジュールのことだ。謎の時間に、特定の場所を歩けという謎の予定が入っている。

 もしかすると、秋月も同じなんだろうか。スケジュールは人によって違うはずだが、被ることもあるのかもしれない。例えば、いくつかのテンプレートから選んでいるとか。

「私も、用事。ごめんなさい、すぐ戻る」

 このまま固まっていても仕方ないと思ったのか、秋月が歩き出した。俺もその後を付ける。いや後を付けているわけではないのだが、俺の目的地もそっちだからどうしようもない。

 秋月は校門から外に出ると、妙に一直線に歩き出した。やっぱり俺の予定と同じだな。後ろについて行くと、ちらりと視線をよこされたが、何も言われなかった。

 しかしほんと、この行為に何の意味があるんだか。人工知能AI様の考えることは、まだ人間には理解するのが難しい。

 三分だけの予定を終わると、俺たちは食堂に戻った。素知らぬ顔で席に着いたのだが、まるで二人で示し合わせて何かしてきたみたいだな。それが何なのか、目を輝かせる春日井がどう思ってるのかは考えたくない。

 それからさらに勉強会は続き、みなが、というか主に春日井が疲れてきたところでお開きになった。一人だけスパルタだったもんな。

 風間かざまを呼ぶべきだったか、と今になって思った。春日井を紹介するのにちょうどよかった。あいつも成績は良くないし、呼ぶ理由はあった。

 春日井を一人で呼び出して、さあ話してくれと風間に会わせるのもちょっと気が引ける。とすると他にも人がいないと駄目なのだが、俺にそんな機会はほとんどない。しまった、絶好のタイミングを逃したか……。

「何をぼんやりしてるの」

 後ろから声をかけられて、俺は我に返った。おっと、目的地を行きすぎていた。少し戻って、部室の扉に手をかけ、

「と言うか、なんで秋月までついてくるんだよ」

「ミオをあなたと二人になんてできない。当然でしょう」

 当然ですか。階段上で二人きりだったことは黙っていた方がよさそうだ。

 秋月にしてもらったように、春日井にも生活記録ライフログデータをダウンロード落としてもらった。あの時よりずいぶんスムーズだ。機械音痴ではないらしい。

 欲しいデータについても説明した。主に使うのは、カメラ映像を画像処理した『映っている物体リスト』のデータだ。春日井の近くにあった物が全て挙がっているのでとんでもない量だが、そこは分析の腕の見せ所だ。

 ついでに、というか本当はこっちがメインなのだが、勉強関連のデータも欲しいということを伝えた。春日井は自分の記録を見られることに頓着とんちゃくしていないのか、それともよく分かっていないのか、こころよくオッケーしてくれた。

 のだが、

「そっちが本当の目的ってわけ」

「う、まあ……」

 秋月は微妙にご立腹のようだった。足下を見て上手いこと利用しようとしたように見えたのかもしれない。先に説明しておけばよかったかな……。

 もっとも、これは秋月のためでもある。それは分かっているのか、強く非難してくることはなかった。

 無くした時の状況も聞いた。昨日の朝には間違いなく付いていたのが、寮に帰ったら無くなっていたらしい。うーむ、時間に幅があるな。

「行ったとこは、全部探したと、思うんだけど……」

 春日井は眉尻まゆじりを下げて弱々しく言った。まあ時間に幅があるとは言っても、学校の中か、そうでなければ寮との間の大通り付近かどちらかしかない。探す範囲はそこまで広くないだろう。

 ということは、もう誰かに拾われてるんじゃないだろうか。落とし物として届けられていないなら、取られたか、捨てられたか。言いたくないが、そんな気もする。

 いずれにせよ、探す努力はすると約束した。俺にできるのはそれぐらいだ。

 作業を終えて部室を出たところで、春日井がちょこちょことこっちに寄ってきた。なんだなんだと思っていると、

氷室ひむろくん、ありがと」

「え」

「ユズのこと、助けてくれてるんだよね。ちょっと、元気出たみたい」

 小声で言うと、にぱっと笑う。天真爛漫てんしんらんまんな笑みだ。浄化されそう。

 おっと、見とれてる場合じゃない。もしかすると、今なら風間と会ってくれぐらい頼んでも許されるんじゃないか。そんな汚いことを考えつつ、俺は急いで言った。

「なあ、ちょっといいか」

「ふえ?」

 離れようとしていた春日井が、呼び止められて変な声をあげた。

「助けた代わりにって言うとあれなんだが、こっちも頼みたいことがあるんだ。気は進まないかもしれないが、そんなひどいことにもならないと……」

「えと、その」

 春日井はしばらくきょとんとしていたが、急にわたわたと手を動かし始めた。どういう反応だ?

「また今度の方が、いいと、思うよ……?」

 恐る恐る視線を移動させている。それを追っていくと、あからさまに不機嫌そうな顔の秋月と目があった。

 冷たい視線が痛い。やべ。

「何の話を、しているの?」

 秋月がことさらゆっくり、言い含めるように尋ねた。尋ねたとは言うが、これは質問ではなく警告だ。春日井にちょっかい出してんじゃねえよ、という……。

「いや、何でもない。忘れてくれ。はは……」

 俺は小さく両手を上げて距離を取った。ここが学校でよかった。外だったらまた胸ぐらを掴まれていたかもしれない。と言うかほんと過保護だな……。

 秋月は春日井を守るように背中に手を当て、俺に警戒の眼差しを送りながら去っていった。うーむ、風間との約束はまた今度か。

 席に戻ると、早速分析を始める。データを開いている途中で、妙に視界の端がちらついているような気がした。目が疲れてるのかな、と視線を向けてみると、

「……ん?」

 見間違いじゃなかった。手招きされている。たぶん俺だよな……?

 俺は迷路のような部室内を歩き、最奥さいおうへと向かった。何だかよく分からない機材に埋もれ、この部屋の中でも最も混沌カオスに近い場所に座る人物に、声をかけた。

「何かご用でしょうか?」

 その人物、と言うかパソコン部の部長なのだが、部長はほっとしたように手を下ろした。振りすぎて疲れたのか、もう片方の手でさすっている。口で呼べばいいと思うのだが、この人にとってはその方が疲れるのかもしれない。

「うん、ちょ、ちょっと、聞きたいがことあって……。いい……?」

「はい」

 小さく、低く、性別不詳なぼそぼそ声に、俺は明確に回答した。ここで「何でしょう」とか言ってしまうと、質問に答えていないと見做みなされて聞き直されるのを俺は知っている。ちょっと親近感がく。

 ちなみに声は性別不詳でも、見た目は女性だ。秋月ほどではないが、髪は長い。もっとも好きで伸ばしているというよりも、単に切るのが面倒だからに見える。手入れも怠っているようで、ぼさぼさだ。顔は髪に隠れてよく見えない。

 実際の性別も女性だと思う。たぶん。あれ、そう言えば厳密には知らないな……。

「さ、最近、ライフログデータ落としてる……?」

 どうでもいいことを考えていると、部長はそんなことを聞いた。俺は首をひねった。

「あ、はい。そういうのって分かるんですか?」

 ちょっと気になる。まさか通信内容は筒抜けだったりする?

「ううん。で、でも、学内ネットにあるギガ単位のデータって、それぐらいだから」

 なるほど、大きなデータだからか。通信量ぐらいは把握していても普通だろう。

「もしかして迷惑だったりしますかね?」

 帯域の圧迫がどうとか。注意するために呼ばれたのかと心配したが、

「そ、そんなことないよ。話は、それだけ……」

 部長は画面ディスプレイに視線をやると、俺のことなど忘れたかのようにキーボードを叩き始めた。タイピング速いな。

 本当にそれで終わりのようだったので、俺は小さく頭を下げて席に戻った。何だったんだ。もしかして、親交を深めるための楽しい雑談タイムだったんだろうか。盛り上がらなかったの俺のせいじゃないよな?

 何となく釈然しゃくぜんとしない気分になりながら、俺も部長に負けじと指を動かした。

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