第9話

「うーむ……」

 秋月あきづきから生活記録ライフログデータを受け取った次の日。昼休みの教室で、俺は頭を悩ませていた。

 昨日はあの後いろいろ分析してみたのだが、いい結果は出なかった。最後に実行して帰った時間がかかるプログラムも、今朝確認したところハズレばかりだった。

 メインでやっているのは、俺と秋月の共通点探し、そして風間かざまとの相違点探しだ。二人に共通し、かつ成績が落ちると言われていない風間に無いのは何か。

 共通点自体はたくさんあった。むしろ、多すぎて困っているのだ。どれが成績低下を引き起こすのかさっぱり分からない。

「やっぱ三人分じゃ少ないかあ……」

 仮に十人とか百人とかいれば、全員に共通する要素はかなり減るだろう。ということは、残ったものが成績低下に関連する可能性は高い。今は無関係のノイズが出てきすぎだ。

 他の生徒に頼んでデータを増やすか。一応今なら、あてはなくはない。春日井かすがいだ。秋月の助けになりたいようだし、もらえるかもしれない。

「でもなあ……」

 一人分増やしたところでどれだけ効果があるかは不明だ。プライベートを覗いて何の役にも立ちませんでしたでは、ちょっと申し訳ない。

 ちなみに秋月のデータは、カメラ映像だけは絶対に見ないように細心の注意を払っている。これで安心と言いたいところだが、一度音声ファイルを開いた時に、妙に悩ましげな声が流れてきてかなり焦った。やはりライフログは地雷が多い……。

 背もたれに身を預ける。今日は分析のことで頭がいっぱいで、授業にさっぱり集中できていない。これが原因で成績が落ちたりしないように気を付けよう。本末転倒にもほどがある。

氷室ひむろ君、ちょっといいかな」

 不意打ちで声をかけられ、俺ははっと顔を向けた。最近聞き慣れてしまった声だが、いつもより少し力がない。

「ええと、何か?」

 若干じゃっかん警戒しながら、俺は冬野ふゆのの顔を見た。またカラオケなどという悪魔陽キャの遊びにでも誘うつもりだろうか。

 冬野はおずおずと口を開いた。

「今日の放課後にみんなで勉強会をするんだけど、氷室君も一緒に来ない?」

「勉強会? ああ……」

 何故こんな妙なタイミングでと思ったが、昨日の呼び出しが原因か。矯正きょうせいプラン以外に自分たちでも勉強して、早く抜け出そうというわけだ。どれだけ効果があるかは知らないが。

 まあ、冬野は前から執拗しつように誘ってくるから、口実として利用しているだけの可能性もある。両方だろうか。

「今日は秋月さんと春日井さんも来てくれるの。あ、男子も火口ひぐち君がいるから大丈夫だよ」

 いや、それはべつにプラス要素ではないかな……。女子三人に囲まれるよりは、多少マシかもしれないが……。

 しかし、秋月も来るのか。こういう誘いには乗らなさそうなのにな。あいつもプランを早く抜けたいのは同じだろうが、この面子メンツではむしろ教える側だろう。意味があるとは思えない。

「ね、駄目かな……?」

「……ええと」

 妙に不安そうに問われ、俺は言葉に詰まってしまった。あれ、こいつこんなやつだったっけ……。もっと押しが強かったと思うんだが。

 うーむ。俺としては、正直全く行きたくはない。秋月の勉強を観察するのは分析に役立つかもしれないが、ライフログを見ればいい話だ。いや待てよ、これは協力の一環とも言えるか……?

「分かった、行くよ」

 様々な要素を加味して検討を重ねた結果、結局受けることにした。考えるのが面倒になってきたとも言う。

「ほんと? ありがとう」

 すると冬野は、あからさまにほっとした顔になった。俺は無意識のうちに首をかしげていた。

 何となく、反応が過剰に思える。違和感を覚えるのは、俺のコミュニケーション能力が低いだけだろうか。

 勉強会は、食堂でするようだった。どうやら放課後も生徒に解放されていて、自由に使えるしちょっとした食べ物も頼めるらしい。この高校は仕組み上図書館がないから、その代わりなのかもしれない。

 授業を終え、五人で食堂に向かう。変な組み合わせだが、特に人目をひくこともなかった。冬野と火口の二人は、よくいろんな人と一緒にいるからだろう。

「ありがとう、火口君。急にお願いしたのに付き合ってくれて」

「いや、構わないよ。氷室君や秋月さんとはあまり接点が無かったからね、二人とは話をしてみたいと思っていたんだ」

 火口は鷹揚おうように頷いた。その言葉に反して、視線は冬野に固定されている上に、妙に熱っぽい。話したいと思ってたのは本当に俺たちか?

 頼られたのが嬉しくて仕方ないという顔だな。付き合ってるかどうかはともかく、冬野に気があるのは間違いない。さすがの俺でも分かる。

 などと思って眺めていると、目が合った冬野に微笑まれた。いや、俺にそんなことされても……ほら、火口がショックを受けた顔してるぞ。

 視線の置き場が無くて、残りの二人に目をやった。秋月は春日井に何やら話しかけている。熱心な口調だ。

 話の中身に耳をませてみると、テストの点がどうだとか、数学をもっと頑張らないととか、勉強に関することのようだ。聞いている春日井の方は、しゅんとした様子だ。あれ、これはまさか……。

「なあ、秋月」

 小声で声をかけると、微妙な顔をされた。しまった、いつだかなるべく関わるなと言われたのに、もろに人前で話しかけてしまった。いや、今は協力してるんだしべつにいいのか……?

「何か?」

 俺が悩んでいると、秋月は短く応えた。にらまれこそしなかったが、早く済ませろとでも言いたげだ。

「勉強会に参加したのって、もしかして春日井さんのためか?」

「当たり前でしょう。あたし……私は付き添いで来ただけ」

 何が当たり前なのかは分からないが、そういうことらしい。なんだ、自分のためじゃなかったのか。それなら納得だが、ずいぶん過保護だな。

 ふむ、春日井は成績が悪いのか。さっきのやりとりを聞く限り、結構やばそうだ。勉強会に引っ張り出されるぐらいだし。

「あんまり強く言わなくてもいいんじゃないか? ほら、落ち込んでるみたいだし」

「はあ?」

 秋月が剣呑けんのんな目つきで俺を見た。ちょっと、また本性出てますよ。

「ふざけたこと言わないで。ミオの元気がないのは別の理由。探し物が見つからないの」

 そんな怒らなくてもいいだろ……。

「探し物って、何をなくしたんだ?」

 よっぽど大事なものなのか。そう思っていたら、

バッグに付けてた、飾りチャームがないの」

 話を聞いていたらしい春日井が、秋月に横からぺたりと張り付いた。しょんぼりとした顔をしている。

「また買えばいいでしょう」

「ユズと、おそろいだったのにー……」

 秋月に頭を撫でられても、気分は晴れないようだった。お揃いというのが重要なんだろうか。微笑ましい理由だが、本人にとっては一大事なんだろう。

 ん、待てよ。これは使えるんじゃないか?

「その……チャーム? 俺が探してやろうか?」

「ほんと?」

 春日井の表情に、わずかに光が差した。だが隣の秋月は、不審げに俺を見ている。

「どうやって? 私たちだって、もう十分に探した」

「そりゃ、ライフログを分析してだ。俺の得意分野だからな」

 俺は自信を持って言った。

 もちろんこれは、純粋な善意で提案しているわけではない。昼に考えていた、データを増やしたいという話の解決策だ。こういう口実、じゃない、交換条件にすれば、もらいやすいだろう。

 それに、ライフログを分析する練習にもなるしな。成績低下要因を探すための、何かヒントが見つかるかもしれない。

「カメラの映像を使うの?」

「いや、そんなそのままのデータはもらわない。何が映ってるか分からないし……」

 そこまで言ったところで、昨日のカメラ映像が頭に浮かんでしまった。顔が熱くなる。秋月も同じ想像をしたのか、わずかに頬を染めている。

「と、とにかく、もらうデータは十分選定する。どうだ?」

 俺は春日井に視線を向けた。

 だがどうも、話の意味がよく分かってないようだ。ぽかんとした顔をしている。しまった、秋月には通じてるからって置いてけぼりにしてしまった。

「えと、見つけてくれるなら、いいよ」

「いや待て。後で説明するから、その時にまた考えてくれ」

 俺が慌てて言い直すと、春日井はこくこくと頷いた。内容もよく分かってないのに受け入れるなよ……。無防備すぎて心配になる。秋月が過保護になる理由がちょっと分かった。

 とにかく、これでデータは一人分増えそうだ。大したことないようだが、33%増加だ。こう言うと多く感じるな。実質的な効果のことは忘れよう。

 ふと視線を感じて冬野の方に目をやると、火口と話しているにもかかわらず、ちらちらとこっちを気にしていた。会話に集中しろよ、隣から悲しそうな目を向けられてるぞ。こいつこんな無神経なやつだったっけ?

 まさか、俺に惚れたとか。いや絶対無いな。実はクールな秋月のことが、とでも言われた方がまだ信じられる。

 馬鹿なことを考えているうちに、俺たちは食堂に着いた。

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