第2章

第8話

 秋月あきづきを伴って、俺は部室に戻った。外部の人間を連れてきても、部員たちは無関心だ。パソコン周りの雑用でもまわってくるのか、部外の人はちょくちょく来るからな。風間かざまにからかわれるかと思ったが、幸い部屋にはいなかった。

 初めて入っただろう秋月は、部屋のごちゃごちゃっぷりにちょっと驚いているようだった。女子を連れてくる場所じゃないな。いや、部員にも女子はいるんだけど。

「まずは学内ネットに自分のIDでログインしてくれ」

 パソコンの前に秋月を座らせると、俺は右隣に椅子を持ってきて指示した。距離が近くて、少しそわそわする。

 秋月はわずかに首を傾けて言った。

「どうやって?」

「学校の入口ポータルサイトがあるだろ。そこからたどれる」

 分かりやすく説明したつもりだったのだが、こいつは何を言ってるんだろうみたいな顔で見返された。ええ……ポータル使ってないのか……。

「途中までやって」

 そう言って、秋月は体を少し左にずらす。えっ、俺に操作しろってこと? この体勢で?

 促すような目で見られ、俺は仕方なく身を乗り出した。体に触れないように気を付けながら、マウスを操作する。

「ええと、学内ネット、と……」

 リンク集をざっと眺めたが、見当たらない。どこだっけ、目で探すのは効率が悪いな。ここは効率良く単語検索で……。

 キーボードを打とうとして、俺はぴたりと動きを止めた。これ以上左腕を伸ばすと、その、マズいところに当たってしまうかもしれない。まあ大きさ的には当たっても問題ない程度だが……いやいやそんなことは。

「……もうちょっと下がってくれないか?」

 秋月はいぶかしげに俺を見たあと、はっとして退しりぞいた。胸元を手で守るようにしながら睨んでくるのは、ちょっと傷つくからやめてほしい。ちゃんと紳士的にお願いしたのに……。

「ここに入れてくれ」

 IDとパスワードの入力画面を出して身を引く。ここまで行けば分かるだろう。

 秋月は画面ディスプレイとキーボードを交互に見ながら、人差し指一本でたどたどしくIDを打っている。機械音痴なんだろうか。ちょっと微笑ましい。

 俺は視線を外すと、パソコンに向かっている部員たちを見るとも無しに見た。最初に紹介されたが、名前はなんだったか。ええと、確か……。

 秋月が不思議そうに言った。

「どうして顔をそむけてるの」

「パスワードが見えたら困るだろ」

「見えてないじゃない」

 確かに画面上では隠されてるが。

「手の動きで分かっちゃうんだよ」

「ふうん」

 微妙に納得のいってなさそうな声音こわねだった。まあ、どっちかと言うとマナー的な意味合いが強いんだろう。ネットに書いてあったから間違いない。

「よし、ログインできたな。次は生活記録ライフログデータを取得してほしいんだが……」

 ちらりと視線を送ると、無言で体をずらされた。まあうん、操作を要求されるのは予想が付いてた。

「なあ、席替わってくれないか?」

 こんな体勢で操作するのは気まずいし、秋月も嫌だろう。そう思ったのだが、

「いちいち立ってたら効率が悪いでしょう」

「こっ……」

 効率が悪い……だと……?

「ああそうだな。効率が悪いな。席を入れ替えるという必要性の無い行為に数秒消費するのは人生の無駄遣いだな」

「……? 何をむきになってるの?」

「なってない」

 俺は激しいショックを受けつつ、大きく体を乗り出した。お前がそう言うならやってやる、などと奮起していたのだが、

「っ!」

 声にならない悲鳴とともに、秋月がびくりと身を震わせた。やべ、今、ちょっと触れた……。

 自分から言い出したことだからか、文句を付けてくることはなかった。代わりにさっきの倍以上後ろに下がっている。ほらやっぱり気まずくなったじゃないか……。

「パソコンぐらい使えるようになった方がいいぞ……こんな学校なんだし……」

「入りたくて入ったわけじゃない」

 空気を変えようと試みた俺の台詞セリフは、さくっと切って捨てられた。そうっすか……。

「取れたぞ」

 俺は疲れたように元の体勢に戻った。画面に表示された大量のファイルに、秋月は興味をかれたような視線を向けている。

「これがライフログ?」

「そうだ。生データと前処理したデータ両方ある」

 言ってから、これは伝わらないなと思った。案の定秋月は、不思議そうな顔でマウスを操作して、

「あ」

 待て、と制止するよりも、クリックする方が一瞬早かった。

 画面の中央に、小物やぬいぐるみがいっぱいの部屋が映し出された。秋月が、ベッドに腰掛けてリラックスしている。胸元にある手が、制服のボタンを外し……。

 俺は慌てて顔を逸らした。ピンクの下着なんて見えていない。何だこいつ趣味かわいいな……。

「ね、ねえ、これ早く消して!」

 必死に画面を見ないようにしていたのに、肩を引っ張られて再び視界に入った。映像の中の秋月はカメラに寄ったらしく、下着だけの上半身がアップになっている。

 上から覗き込むような角度だ。あと少しで全部見える。扇情的せんじょうてきなクラスメイトの姿に、生唾を飲み込む。

「早く!」

 泣きそうな声で訴えられ、俺は我に返った。マウスを掴み、即座に画面ウィンドウを閉じる。記録的な操作精度と速度だった。

 ようやく映像が消えて、秋月は机の上に突っ伏した。一瞬、泣き出すんじゃないかと心配してしまった。今のところ肩は震えていないし、声も上げていない。

 ちらりと周囲を見回す。ちょっと注目は集めてしまったようだが、ややこしい席配置のおかげで、さっきのを覗けたやつはいなさそうだ。俺はバッチリ見ちゃったけど……。

「……あんなのあるなら先に言ってよ……」

「よく分からないものをクリックするなって……」

 疲れ切った声を交わす。もっともだと思ったのか、反論はなかった。

「……ねえ」

 突っ伏したまま、ちらりと視線を上げた。

「今みたいなのも、あなたに渡さなきゃいけないの?」

「い、いや、全部はもらわない。と言うかそれを相談しようと思ってたんだよ」

 秋月に弱々しく見つめられ、俺は妙に鼓動こどうが速くなるのを感じた。

「なるべく多く欲しいのは確かだが、範囲は秋月が決めていい。ただ最低限、読み書きのデータだけはもらいたい」

 そこが一番成績に関係あるだろうから。位置情報や会話のデータだって影響してないことは無いだろうが、優先度は低い。

 秋月は、しばらく悩んでいたようだった。視線が机の上を揺れている。

「多い方が、上手くいく?」

「そりゃまあ、その可能性は高い」

 俺が言うと、秋月は体を起こした。乱れた髪を後ろに払って、言った。

「じゃあ、全部にして」

「全部って……カメラの映像も?」

「そう」

 そんなわけないと言われるかと思ったのに、あっさりと首肯された。さっきの映像が頭に浮かぶ。視線が胸元に行かないようにするのに、かなりの努力を要した。

「い、いいのか?」

「いい。でも、変なことに使ったら許さないから」

「変なことって……もちろんなるべく見ないようにはするが、見えちゃうこともあるぞ……」

「それは仕方ない」

 言いながら、秋月は顔を赤くしていた。恥ずかしくないわけないのに、それでも早く解決するほうを優先したいのか。

「分かった。ありがたくいただくよ」

 だとしたら、俺も全力でやるしかない。最高に効率良く解決してやろう。

 ライフログは毎日更新される。何度も最新版をもらい直すのも面倒なので、自動的に俺のところに送信されるようプログラムを書いておいた。よし、これで大丈夫だ。

「秋月は成績が落ちる原因に心当たりあるか?」

 プログラムを実行しながら、俺は聞いた。ぶっちゃけ、これが自分で分かってれば一番話が早いのだ。俺はさっぱりだが、秋月はどうだろうか。

「……ピアノかもしれないとは思ってる。練習を始めると、時間が分からなくなるから」

 躊躇ためらいながら言う。それはある意味すごいというか、才能だな。俺は楽器をやったことはないが、運動部の練習なんて嫌で嫌で仕方なかったのに。

「でも、ピアノをやめるのは無理。それは先に言っておく」

「分かった。嫌なことを強制しても意味ないしな」

 それならAIのプランに従った方がマシだ。

「他は?」

「……分からない。ない、と思う」

「そうか。何か思いついたら教えてくれ」

 ちょうど、データのコピーが終わったところだった。秋月に聞くことも、今のところはなさそうだ。

「後はこっちで分析しておく。また話を聞かせてくれ」

「ええ。……ありがとう、助けてくれて」

「まだ礼は早いだろ。それに、データをもらってるんだからお互い様だ」

 しおらしく言う秋月を見て、俺は落ち着かない気分になった。

 部屋を出ようとしていた秋月だったが、ふと何かに気づいたように立ち止まった。忘れ物かと首をひねっていると、気まずそうな顔をして引き返してきた。

「連絡先」

「え?」

「必要になるでしょう」

「……あ、ああ、そうだな」

 交換しようってことか。そういう発想自体がなかった。同じクラスだし要らないんじゃないかとも思うが、あって困るものでもない。

 微妙に緊張しながらスマホを取り出す。よく考えると、風間に次いで二人目の連絡先交換だ。まさかそれが女子になるとは。

「ええと、電話番号言えばいいか?」

 俺の言葉に、秋月は若干じゃっかん不機嫌そうな顔になって言った。

「メッセージアプリに決まってるでしょう。どうして電話番号を教えないといけないの」

「そ、そうか」

 そんな違うかね。今どきメッセージアプリだって通話できると思うんだが……とは思ったが、口に出さない程度の分別は俺にもある。

 アプリで友達フレンド登録すると、秋月は今度こそ去っていった。ようやく静かになって、俺は少しほっとしたような気分になった。

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