第6話

 パソコン部の部室に入ると、作業中の先輩方に目礼だけして席に着いた。俺が言うのもなんだが、さすが陰キャの巣窟そうくつだ。誰も声を出して挨拶あいさつしないし、そもそも視線すらよこさない人も多い。効率もいいし、居心地もいい。

 席の配置も、お互いが邪魔にならないように工夫されている。画面も覗けない配置だ。そのせいでごちゃごちゃして非常に歩きにくいが、ほとんど座ってるんだから些細ささいな問題だろう。

 この部は個人主義、と言えば聞こえがいいが、要は何をやってもいいという緩い集まりだった。若干じゃっかんの縛りはあるが、ほとんどは自由だ。部長は確か、物理関係のシミュレーションが好きだとか言っていた。

 俺は早速学内のネットワークにアクセスすると、自身の生活記録ライフログデータを取得した。見るのは初めてだが……。

「おお……」

 ずらっと並んだファイルを見て、思わず小さく声をあげた。そのままのデータ、つまり俺が映った監視カメラの映像や音、スマホで見たウェブサイトの一覧などがあるのはもちろんだが、それを処理したデータも豊富に揃っている。

 例えば目線から何を見ていたのかとか、会話しながらどんな身振り手振りをしたのかとか、ウェブから得た知識の一覧だとか。AIの学習はもちろん、無限の活用先がある貴重なデータだ。莫大な費用をかけて企業が集めたがるのも分かる。

 圧巻だな。美しいとすら言える。

「これを分析して成績が落ちるって予測したんだよな」

 パソコンから矯正きょうせいプランを開く。最後の方の項目に、俺の成績予測も含まれていた。科目ごとに具体的な得点が書かれている。いつの予測なのかは明記されていないが、まあ半年後とかだろうか。

 この中に赤点、つまり三十点未満が含まれることが、プランが適用される条件らしい。なお抜けるためには、五十点まで増やす必要があるようだ。ぎりぎりでは困るのは分かるが、ちょっと余裕を見すぎじゃないだろうか。

 俺の場合、文系の暗記科目に二十点ジャストのやつがあるな。正確に言うと、小数点以下まで細かく出ている。

 さて、どこを見てこの予測が成されたのか。まずはそれを調べてみるか。

 普通に考えれば授業態度や寮での勉強内容、と言いたいところだが、現時点では成績優秀の秋月もいた。何かの遊びにハマって勉学がおろそかになる未来が見えた可能性もある。

「んー……」

 ライフログをざっと眺めてみたが、いいアイデアは浮かばなかった。うーん、データが一人分では厳しいな。せめて二人分あれば、違いや共通点を抽出したりできそうだが。

 誰かからもらうか。誰かというか、頼めそうなのは一人しかいない。あまり気は進まないが……。

 目的の席に行くと、妙にレトロなゲームをしているのが見えた。荒いグラフィックで、石造りの迷宮が見えている。意外とマニアックだな。

風間かざま、ちょっといいか?」

 振り返ったのは、相変わらず腹が立つほど整った顔だった。男にしてはかなり長い髪が、鬱陶うっとうしく揺れる。

「何だ、今日はえらく遅かったな。呼び出しでもくらったか?」

 廊下に連れ出すと、風間は開口一番にそう言った。俺は渋い顔を返す。たぶん冗談のつもりなんだろうが、ピタリと当てるんじゃあない。

「おいおい、マジか? 人付き合い以外は無難にこなす効率主義者じゃなかったのかよ?」

「人付き合いは関係ないだろ……」

 やたらと嬉しそうに言われ、俺は顔を歪めた。口を開くとすぐこれだ。毒舌というか、軽口が過ぎるというか。これで女子人気は高いというのだから納得がいかない。

「いいや、あるね。お前が呼び出されるなんて、人間関係しかあり得ないだろ? デリカシーの無いこと言って女を泣かせでもしたか?」

「違うわ! 風間じゃあるまいし」

 二股かけて泣かせてたのはお前だろうが。どうして入学一ヶ月でそんなことができるのか、俺には全く理解できない。

 しかし、人間関係しかあり得ないというのはいい読みかもしれない。よろしくない対応をしてストーカー疑惑をかけられたのは確かだ。

 こいつ頭はいいんだよな……。真面目に勉強しないせいで成績はぼろぼろだが。何故さっき一緒に呼び出されなかったのか、不思議なぐらいだ。

「それより、風間に頼みたいことがあるんだ。ライフログデータくれないか?」

「分析したいのか?」

「まあそうだ」

「ふむ、友達の頼みなら仕方ねえな。だが」

 風間はにやりとしながら言った。

「生の映像と音は出せないぜ?」

「分かってるよ……」

 茶化すような言葉に肩をすくめる。べつに、男の着替えや寝顔を覗いたからってどうってことはない。ただこいつの場合がいることがよくあるので、見たり聞いたりするのは大変まずい。

「で、俺の頼みも聞いてくれんだよな?」

 うっ、まあそうなるよな……。

「あのな。何度も言うが、俺は春日井かすがいさんと親しくなんかないぞ」

 春日井との仲を取り持て。それが、前からしつこく頼まれていることだった。確かに挨拶はされるが、話したこともないのにどうしろと言うんだ。

謙遜けんそんするなよ。クラスで一番仲のいい男はお前だろ?」

「んなわけ……」

 ちょっと考えて、俺は言い直した。

「もしかして春日井さんって、俺以外の男子とは話さない?」

「自分から話しかけるという意味じゃあ、お前が唯一だな」

 そうなのか。大人しいとは思っていたが、予想以上のようだ。しかしそうなると、どうして俺には話しかけるのか余計に謎だが……。

「だとしても、風間なら他の女子に頼めるだろ」

「おいおい、他の女の好感度下げてちゃ本末転倒だろ?」

 何がほんで何がまつなのか、是非ぜひ聞いてみたい。いや、やっぱり聞きたくない。

 うーむ。まあ挨拶されるのは確かだし、ちょっと話をして風間のことを話題に出すぐらいでお茶を濁すか。それでも激しくやりたくないが、ライフログのためだと思えば……。

「氷室くん」

「えっ!?」

 ちょうど考えていた相手の声が聞こえて、俺は驚きの声をあげた。

 視線を移す。春日井が、胸の前で控えめに手を振っている。もう帰るところなのか、バッグを肩にかけている。幻聴じゃなかった。

「な、何か用か?」

「うん。その……」

 風間の方をちらちらと見ている。どうしたんだと思っていたら、

「他の人が、来ないとこ、行きたいな……」

 ぽしょりと呟く。頬を染め、目を逸らす。俺の動作は一時停止した。

「階段上ったとこはどうだ? 屋上の出口の前なら誰も来ないぜ」

「あ、ああ、助かる」

 風間のアドバイスに、俺はこくこくと頷いた。

「じゃ、俺は戻る。……親しくなんかない、だって?」

 すれ違いざまに、にやにやしながら囁かれた。いや、そのはず、なんだが……。

「ええと、行くか?」

「うん」

 春日井はこくりと頷いた。俺がぎくしゃくと歩き出すと、斜め後ろにぴたりと着いてくる。

 えっ、何だこれ。何のイベントが始まるんだ。もしかして、もしかするのか?

 心臓の音がうるさい。頭が勝手に妄想を始めてしまう。

 待て待て落ち着け。俺と春日井は話したこともないんだ。イベントを起こすにはフラグが足りない。一目惚れされると思うほど自信過剰じゃない。

 秋月に関することか? いやそれにしたって、用事なんてないと思うけど……。

 悶々もんもんとしているうちに、目的地に着いてしまった。鍵のかかった扉の前で、小さな体と向かい合う。

「あのね、氷室くん」

 手をもじもじとさせる春日井。その乙女な仕草に、俺は限界を迎えそうになった。

 屋上が存在することの意義と、鍵がかかっていることの意味について考察を始め、なんとか耐える。しばしの間のあと、春日井は意を決したように言った。

「もしかして、ユズと……」

 って、やっぱり秋月か。でもいったい、何を。

「付き合ってるっ?」

「えっ」

 時が止まった。いや、遠くでピアノの声が聞こえている。止まったのは俺の周りだけらしい。

「……なんで?」

「あれ?」

 再起動した俺が平坦な口調で聞くと、春日井は首を傾げた。

「ちがうの?」

「ぜんぜん、全く。話したのも一回、いや二回だけだし……」

 廊下でのあれを含めてもそうだ。その上、会話するたびに関係は悪化している。どこに付き合う要素があるのか。

「でも、わたし、見ちゃったの」

「……なにを?」

 見られて勘違いされるようなことも無いはずだが。春日井は答えを言いかけ、すぐに口を閉じるのを繰り返している。恥ずかしいのか、耳まで真っ赤だ。

「えと、その……キ、キスしてるとこ!」

 恥ずかしさが限界突破したらしく、両手で顔を覆った。かわいい。ではなくて。

 キスって、キスだよな。あり得なさ過ぎて、何だか冷静になってきた。人違いじゃないのか。

 待てよ。もしかして、電気屋で秋月に胸ぐらを掴まれたやつのことか? あれを遠目に見たら、そう思ってもおかしくは……いや、やっぱりおかしいな。

「電気屋の時のことなら、勘違いだ。あんなとこでするわけないだろ。だいたい、あの日入学式で初対面だったんだぞ」

 ちょっと考えれば分かりそうなことだ。だが春日井は納得しなかったようで、指の間からちらりと俺を見た。

「でも、よく二人、こっそり、目を合わせてるよね?」

 それはあれか。俺が秋月に睨まれてるやつか。どう見ても好意的な視線じゃないと思うんだが……観察眼が鋭いんだか鈍いんだか、よく分からない子だ。

「ね、教えて。ナイショにするから」

 俺が答えあぐねていると、春日井は目を輝かせて近づいてきた。真下から覗き込まれてのけぞる。

 その後も問い詰められたが、ひたすら否定して乗り切った。乗り切ったというか、本当に何もないんだから否定するしかない。

「そっか」

 ようやく納得した、いやしたかは分からないがとにかく解放されたのは、結構な時間が経ってからだった。意外と押しが強いな……。

 春日井は残念そうに言った。

「カレシなら、ユズのこと、分かるかなって思ったのに」

「分かる?」

「うん」

 小さく頷いて続ける。

「ユズ、さっきから、ちょっと変なの。なんだか、落ち込んでるみたい」

「あー……」

 確実に、今日の先生の話が原因だろう。成績が下がると言われたのがショックだったのか、それとも矯正プランが受け入れがたいのかは分からないが。

「氷室くんは、理由、知ってるんだ。……やっぱり……」

 やっぱりって何だやっぱりって。

「まあ、たぶん知ってる。でも俺からは教えられないぞ。秋月には聞いたのか?」

「うん。でも、なんでもないからって……」

「ならなおさら言えない」

 成績が下がるなんて、他人に知られたくはないだろう。春日井になら言ってもいい気がするが、それは本人の判断だ。

 春日井はしばし顔を伏せていたが、不意に俺の目を見て言った。

「じゃあ、じゃあね。言わなくていいから、ユズのこと、助けてあげてほしい」

「それは……」

「厚かましいのは、わかってる。でも、お願いします」

 うるんだ瞳に見つめられ、俺はたじろいだ。必死な思いが伝わってくる。

「まあ、考えとく」

 断るに断り切れなくて、俺は目を逸らしつつ言った。卑怯な答えだとは分かっていつつも、それ以外言えなかった。

 話はそれで終わりのようだった。どちらともなく歩き始める。

「わたし、いっつも、助けてもらってばっかりなの。たまには、お返ししたいな……」

 ぽつり、と小さな呟き。そんなの気にしなくていいと思うけどな。秋月はきっと、春日井のことを大切に思っている。電気屋の時も、自分より春日井への被害を考えて、あれだけ怒っていたんだろう。

 まあ、俺なんかが言うことじゃない。無言のまま、俺たちは階段を降りた。

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